土門氏、不在につき





「蒲原さん、状況はどう?」
マリコたち科捜研が現場に到着すると、立て籠り犯との交渉は膠着状態に陥っていた。

今から2時間前、学習塾に包丁をもった男が押し入り、そのまま生徒の一人を人質に立て籠ったのだ。
犯人の男はその塾に通う一人の女子生徒を連れてくるように要求し、それ以外の交渉は一切受けつけない。

捜査員らがその女子生徒に話を聞くと、以前から彼女をストーカーしていた男だという。
塾の行き帰りに付きまとわれ、恐怖を感じていた少女は先月末から休塾をしているとのことだ。
彼女の身の安全と世間に顔が晒されることを嫌った両親は、娘が現場に向かうことを断固拒否した。
親として当然の反応ではあるし、一般市民を危険に巻き込むような行為を強制することはできない。
そんな八方ふさがりの状態で、今現在、警察も打つ手をこまねいていた。

「くそっ、こんなときに土門さんがいてくれたら!」
思わず、蒲原から本音が漏れる。
頼みの綱の土門は、昨日から長崎へ出張中だ。

「あのぉ…」
後方からのんびりとした声が聞こえた。

「「土門さん!?」」
振り向いたマリコと蒲原が同時に声をあげる。

「…ではないわね」
「はい。今日はよくその方と間違えられました。よっぽど私、似てるんですねぇ」
ははは、と笑って頭を掻いている。
こんな現場なのに、緊張感のないことこの上ない。

「どなたですか?」
蒲原が尖った声で尋ねる。

「失礼しました。私、警察庁特殊犯罪課交渉係の花島渉と申します。京都府警で行われたセミナーに参加した帰りなんです」
「警察庁の方ですか?失礼しました!」
蒲原は姿勢を正し、敬礼する。
「いえいえ、お気になさらず」

「あの、交渉係ということは、花島さんは交渉人ですか?」
マリコが二人の間に割り込むように尋ねる。
「いいえ。私は交渉はしません。話をするだけです。それでも何かのお役に立てるなら、お手伝いをしたいと思いまして……」
ニコニコしながら、マリコと蒲原の顔を見て、どうでしょう?と聞いてくる。

「……分かりました」
「マリコさん?」
いいんですか?といった表情で蒲原がマリコを見る。
「このまま膠着状態が続けば、人質が心配だわ。藤倉刑事部長に掛け合ってみる」


マリコは科捜研の車に乗り込むと、無線で藤倉と連絡をとる。
「花島渉?彼が現場にいるのか?」
「はい。部長、ご存じなんですか?」
「彼の交渉手腕は群を抜いて優秀だ。本人が手伝うと言っているなら、やってもらえ。私が責任をとる」
「分かりました」


「花島さん、刑事部長の了承が得られました。よろしくお願いします」
「こちらこそ。フォローをお願いします」
「交渉はどう進めるつもりですか?」
「そうですね……。まずはお互いの自己紹介からですね。名前を覚えてもらって、それから好きな食べ物や、趣味の話……なんでもいいんです。まずは話し合うことからはじめて、犯人との“ココロの距離”を縮めていくんです」
「なんだかお見合いみたいですね?」
「ははは!榊さん、でしたか?なかなか面白いことをいいますね。でもその通りですよ。まずは話すこと、私はそれを心がけています」
そう言うと、ちょっと失礼、とスマホを取りだし、どこかへ電話をかけ始めた。


「あっ、もしもし僕です」
「渉さん?どうかしたの?」
「いえ、君の声が聞きたくなりまして…」
「渉さん、給料泥棒にならないようにしっかり働きなさいね!」
「はい(苦笑)」
妻の祐美恵には、いつも頭が上がらない。
苦笑いを浮かべた花島は、取り出したストップウォッチのスタートボタンを押す。

カチリと鳴った音が、交渉開始の合図だ…。


花島は丸腰のまま単身、犯人の面前に乗り込む。
マリコも、蒲原も、その場にいる全員が固唾を飲んで、事態を見守っていた。
花島は、根気強く犯人の話を聞き、時にあいづちを返し、時に説得を促すことを試み、始終穏やかな口調で話し続けた。
交渉開始から2時間、犯人の男は人質を解放し、それから40分後には投降した。


*****


「でね。本当に話してるだけなんだけど、何て言うのかしら……。知らず知らずのうちに心のなかに入り込んでた、そんな自然な交渉だったのよね。すごかったわ!」
いつもの屋上で、土門相手にマリコは花島を絶賛していた。

「蒲原も同じようなこと言ってたな。おまけに、俺にそっくりなんだろう?」
「そうなの!初めて見たときは本当に驚いたわ!でも花島さんは眼鏡をかけているし、雰囲気も土門さんとは全然違うわね」
「ほぉ?どう違うんだ?」
「んー…、花島さんの方が穏やかね」
「悪かったな、粗暴で!」
「何で怒ってるの?」
「同じ顔なら、優しそうなそいつの方がいいんじゃないのか?」
ふんっ、といじけたように土門はそっぽを向く。

「花島さんは、結婚してるわよ。すごーい愛(恐)妻家なんだから」
「………そういうことは、先に言え」
土門の苦々しい顔を見て、思わず吹き出したマリコは、ばかねぇ、と呟く。
そして白衣のポケットから右手を出すと、土門の左手に絡めた。

「ところで、お土産は?」
「あとで科捜研へ持っていく。お前には……これでいいか?」
言うや否や、マリコの頬を掠めた何か。

「ただいま」
「お帰りなさい(笑)」




fin.



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