Pseudo family
土曜日。
「ママー!!!」
インターフォンに続いて、開いた玄関から姿が見えた途端、昊はかけ出した。
「昊!ただいま」
「ママ、ママ、ママー!!!」
勢いそのままに、昊は美咲にしがみつく。
思わず美咲がよろけてしまうほどだ。
「昊、いい子にしてた?」
「うん!あのね、パンケーキ食べた!まーちゃんのじゃなくて、どーもさんの。あとね、あみちゃんとロタと、ウサギさんと、しゃちょーとぶちょーと……」
『ゆきちゃんと、かんちゃんと…』と、とめどなく溢れ出す会話を、美咲は笑顔で聞いている。
「そう。楽しくてよかったわね。またお家に帰ったら聞かせてくれる?」
「うん!」
「じゃあ、ママはマリコとお話があるから、ちょっと待っててね」
美咲はマリコに向かい合った。
「美咲、お疲れさま」
「マリコ、今回は本当にありがとう。おかげで助かったわ」
「ううん。私も楽しかったし…。でも………」
「分かってる。実はね、今回、出張したことで新しい契約を結ぶことができたの。上司からも評価してもらえたし。ちょうどいい機会だから、昊のこと…会社に話すつもり。もう辞めろとは言われないと思うわ」
美咲は母親として、働く女性として自信に満ちていた。
「それもこれも、全部マリコのおかげよ。本当にありがとう」
「私だけじゃないわ。職場の皆も協力してくれたし、それに……」
「それに?マリコ、昊の言ってた“どーもさん”って誰?」
「え………………?」
マリコは言葉に詰まる。
「へー、マリコもそんな顔するのね?」
美咲は、困った様子のマリコを見て笑う。
「安心したわ」
「え?」
「だってマリコのことだから、きっと離婚してから『仕事一筋!』だったんじゃない?でもこの前、昊を預けに来たとき、随分雰囲気が柔らかくなったなーって思ったのよ。間違いじゃなかったみたいね」
「美咲!」
「いい人そうで良かったわ」
「どうして分かるの…?」
「だって昊がとっても懐いているみたいだから。子どもの大人を見る目、侮れないわよー。純粋な分、鋭いから」
「ええ。………いい人よ。私には勿体ないくらい」
マリコは照れた様子で、それでもはっきりと口にした。
「あら、あら。ごちそうさま。ねえ、マリコ」
「なに?」
「一度ゆっくり話しましょう?あなたのことも、私たち親子の話も聞いて欲しいわ」
「ええ、ぜひ。約束よ」
大学を卒業し、道が別れてから、もう何十年が過ぎた。
けれど女子大生の頃と変わらぬ気持ちで、二人は指切りをした。
近く、再会を約束して。
「さあ、昊。帰りましょう」
「うん……………」
別れ難いのは、マリコも一緒だ。
「まーちゃん、どーもさんは?」
「どーもさんはお仕事でね。どうしても来れないの。だからこれを預かってるわよ」
マリコは、昊の大好きなキャラクターがプリントされた袋を渡した。
中には科捜研メンバーからの寄せ書きと、音無巡査の手紙、藤倉が用意したクッキー。
そして、一冊の絵本が入っていた。
それは土門が仕事中に買い求め、こっそり昼に届けたものだった。
『会っていかないの?』と問うマリコに、土門は静かに首を振る。
「お前から渡してくれ」
「そう……」
「すまん……」
その謝罪は、昊との別れにマリコ一人を立ち会わせてしまうことへの罪悪感だろうか。
「ううん。でも昊くんは残念がるわね、きっと」
「今生の別れになるわけじゃない。近くに居るんだ、会おうと思えばすぐに会える」
それはマリコへというよりも、土門自身に言い聞かせているようだ。
「ええ……」
マリコは土門との会話を反芻しながら、昊に絵本を手渡した。
「昊くん、この絵本はどーもさんからよ。今度会う時に読んでほしいって」
「ぼく……………」
昊は絵本を抱きしめる。
「まーちゃん、ぼく、がんばる!」
「偉いわね。どーもさんに言っておくわね」
「うん!!!」
大きく頷くと、昊はそのままマリコに抱きついた。
「まーちゃ…………………………」
ぐすっと鼻を鳴らし、泣き声が混じる。
「昊。また遊びに来ようね」
美咲の言葉に、昊の小さな頭がコクリと動く。
そしてマリコから離れると、母親の手を握った。
もう片方の手で必死に目を擦りながら…。
「バイ、バイ。まーちゃん……………」
「……………………………………………………」
マリコは手を振るのが精一杯で、言葉を返すことは出来なかった。
やがて、パタン…と玄関の扉が閉まると。
マリコは声を押し殺して泣いた。