Pseudo family
翌日、マリコは昊を病院へ連れて行くために半休をとることにした。
土門が出勤前に二人を洛北医大病院まで送ってくれた。
病院へ着くと、早月が予約してくれたおかげで、さほど待たずに昊は診察を受けることができた。
「今朝方は、咳の様子はどうでしたか?」
「朝はたいぶ治まっていました」
「ふむ。今の感じでは胸の音も綺麗ですし、昨夜ぐっすり眠れたことが良かったのかもしれませんね。ですが念の為、今日一日は外遊びなどは控えてください」
「わかりました。ありがとうございました」
マリコは昊の手を引いて立ち上がる。
「ああ、お母さん。薬はどうしますか?」
「え?え?あ、あの……」
思わぬワードにマリコはしどろもどろとなり、意味もなくあちこちに視線を向ける。
「お薬ですよ。お家にありますか?お出しておきますか?」
挙動不審なマリコを訝しみつつも、医師は淡々と問いかける。
「あの、………お願いします」
「わかりました」
「ありがとうございました」と挨拶すると、二人は今度こそ診察室を出る。
「では、お母さん。こちらのファイルを会計窓口にお出しください」
渡されたファイルは受け取ったものの、後半の看護師の説明はマリコの耳をすり抜けた。
「お母さん?」
「あ、はい。わかりました」
「お大事に」
「……………」
キビキビと仕事に戻る看護師とは対照的に、マリコはうつむいたまま顔を上げられない。
「まーちゃん?」
昊がマリコを見上げると、その顔は真っ赤だった。
「お母さん………」
『これはNGワードだわ…』とマリコは胸の内に芽ばえた温かさに、戸惑いを隠せずにいた。
診察が終わり、科捜研へ電話をかけると、日野から思わぬ申し出があった。
「マリコくん、今日はもう来なくて大丈夫だよ。昊くんと一緒にいてあげるといい。明日にはお母さんも帰ってくるんだよね?」
「はい。でも……」
「幸い、急ぎの鑑定は残っていないんだ。気にしなくていいよ」
「ありがとうございます。では今日はお休みさせてもらいます」
「うん。昊くん、お大事にね」
日野との電話のすぐ後に、マリコはもう一本電話をかけた。
しかし、こちらは繋がらない。
仕事が忙しいのだろう。
マリコはメッセージを残し、通話を切った。
タクシーで帰宅すると、マリコは昊と二人でお弁当を食べた。
「ごめんね、昊くん。ちゃんとご飯作ってあげられなくて…」
昊は首を振る。
「午後は何する?」
「まーちゃん、お仕事は?」
「今日はね、おやすみよ」
「ほんとう!?」
「ええ」
「どーもさんも?」
「あ……。どーもさんはまだお仕事よ」
「ふーん」
よほど土門のことが気に入っているのだろう。
昊は分かりやすく落胆した。
「でもきっと早く帰ってくるわよ。それまで何する?お絵かき??」
「ううん。これ…」
昊は自分の荷物から一冊の本を取り出すと、マリコに渡した。
「この本、読んでほしいの?」
「ちがう」
「?」
「ぼく、読みたい」
そういうと、昊はタイトルを指差す。
「『ぐ』、…『り』、んー。『と』?『ぐ』………『ら』?」
一生懸命、一字一字読んでいく。
「そうか…。自分で本が読めるようになりたいのね。じゃあ、一緒にお勉強しようか?」
「うん、するー!」
それから気づけば夕方近くまで、二人は平仮名の勉強を続けた。
昊は飽きることなく、「この字は?」、「これは何て読むの?」とマリコにたずねる。
小さな脳はまるでスポンジのように、貪欲に知識を吸い込んでいく。
一つ字を覚えるたびに、瞳をキラキラさせる昊の表情がマリコには印象的だった。
大変だけれど、人を育てるということの素晴らしさに、マリコは大きな充実感を覚えた。
そして同時に。
この時間があと僅かしか残されていないことを、とても淋しく感じていた。