今夜くらべてみました





「今帰った」

「お帰りなさい、あなた。お疲れさまです」

「うむ」

互いに顔を見合わせ、まだ慣れない夫婦の会話に二人はぎこちなく微笑む。

陸軍所属土門薫少尉は、先ごろ祝言をあげたばかりだ。
白無垢を着て、その盃を受けた新妻の名はマリコ。
色白で華奢な見目麗しい女性だ。
周囲の軍人仲間からも羨ましがられ、毎日帰宅する際には冷やかされる。
むっとして相手にしない土門少尉だが、内心では悪い気はしない。
本当にマリコは美しく、可愛らしい。
可憐な女性なのだ。

もっとも、これが惚気であることを本人はまるで気づいていないが。

「あなた、着替えを」

「うむ」

土門少尉は軍服を脱ぐと妻に手渡す。
マリコは型崩れしないように、丁寧に衣紋掛けに吊るした。
そして、軍服の代わりに着物をその肩にかける。

日中、詰め襟の堅苦しい軍服を着用しているため、帰宅後は着流し姿になるのが土門少尉の日課だ。
手際よく着付け、襟をしゅっと撫で下ろし整えれば完了だ。

「あなた、今日の夕餉は炊き込みご飯です。それから……」

土門少尉の着替え中、マリコは献立を説明するのに忙しい。
しかし。

「マリコ、何だか焦げ臭くないか?」

「あ!?」

マリコは慌てて台所へ向かう。

「ああ……」

その落胆の声たるや、まるでこの世の終わりのようだ。

「どうした?」

「ごめんなさい。せっかくの炊き込みが…」

土門がのぞくと、お櫃に盛られた炊き込みご飯は、黒く焦げていた。

「焦げ目のない部分を食べればいい。美味そうだ」

「本当ですか?」

「ああ」

「それじゃあ、すぐにお味噌汁を温めますね。あとお漬物も」

「慌てなくていいぞ」

土門少尉の声は耳に入っていないのか、マリコはあたふたと準備をはじめる。

まず、まな板を準備すると、ぬか床から黒い物体を取り出した。

「マ、マリコ…。それは何の漬物だ?」

「ナスですよ。少し黒ずんでしまいましたけど」

「ナ、ナス…?」

「よく漬かっているわ。美味しそう」

ご満悦のマリコはそのナスという物体をまな板に置いた。
そして包丁を握る。

「待ちなさい、マリコ。まず糠を洗い流さないと」

「え?そうなんですか!?」

「そうだ」

夫に言われたとおり、マリコは糠を水で流す。
そして今度こそ包丁を振り下ろした。

ザク、ザク、ザク。

「……………」

土門少尉は目を丸くしている。
今自分が見ているのは漬物ではなく、どう見ても野菜の乱切りだった。

「マリコ。こうしたらもっと美味しそうに見えるだろう?」

そういうと、土門少尉はマリコの背後に立ち、その手ごと包丁を握った。

そして、トン、トン、トンとリズムよく程よい厚みに刻んでいく。
しかし、マリコは背中の温もりに気もそぞろだ。

「今度からはこうやって切ってくれ」

夫の声に、“ハッ”とマリコは我に返った。

「わ、わかりました。あの、あなた…」

「うん?」

「ごめんなさい。私、何もできなくて…。あなたのほうが何でも得意ですね」

しょんぼりと小さくなる妻を、ひと回り大きな夫の体が包み込む。

「私はやもめ生活が長かったからなぁ。出来て当然だ。マリコならすぐに上達して、私を追い越すだろう」

「できるかしら…」

「できるさ。この夕餉も私のことを想って、準備してくれたんだろう?わざわざ私の好物の炊き込みにして」

「あの…。あなたに…………」

「何だ?」

小さな声が聞き取れず、土門少尉はマリコに近づく。
気づけば、互いの顔は間近にあった。

「あなたに、喜んで欲しくて。それなのに、いつも失敗…………」

土門少尉は、それ以上言わせるつもりはなかった。

「私にはこれが何よりのご馳走だ」

存分に味わった後で、そんなことを言われ。
色白な妻の顔は、茜色に染まる。

なんとも甘露な新婚模様。



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