今夜くらべてみました

🍀乃里子編


「ただいま」

暗い部屋に言ってみても、当然返事はない。
しかし乃里子はさして気にした様子もなく、電気のスイッチを入れる。

パチンと鳴る音に続いて、ようやく部屋は明るくなる。

コートをハンガーにかけ、バッグを定位置に置くと、乃里子は迷わず正座した。

眼の前には黒塗りの仏壇。
明るい色彩の花が生けられた花瓶の隣には、写真が置かれていた。
こちらを見て、静かに微笑むのは乃里子の夫。
一人先に旅立ってしまった彼に、乃里子は毎日語りかける。

朝は。

「おはよう。今朝はいい天気ね。温かくなりそうだから、そろそろ桜も咲くかしら?…行ってきます」

夜は。

「ただいま。今日もいろいろあったわ……」

いたちごっこのような痴漢捜査に、構内で頻発するスリ、置引き防止の呼びかけ。
そしてパトロール。

「今日は置き引きの現行犯を確保したんだけど、連行中に立花くんが転んでしまったの。その隙に犯人が逃げ出そうとしたから、久々に背負い投げしちゃった。そうしたら、周りにいた人たちが拍手してくれたんだけど…やっぱりちょっと恥ずかしかったわ」

乃里子は楽しそうに語る。

乃里子は今の職場が好きだ。
件の問題児?立花刑事も。
飄々として何を考えているのかイマイチ分からない野川課長も。
真面目な望月刑事も。
そして、腕っぷしでは乃里子といい勝負の内海刑事も。

乃里子には大切な仲間だ。

「そうだわ。明日から出張なの。事件の捜査よ。少し考えを整理したいの。だから………」

そう言いかけたとき。

「乃里子さ〜ん。ご飯よ」

階下から、乃里子を呼ぶ声がする。

「お義母さんだわ…はーい!」

乃里子は立ち上がる。

「いただいてくるわね。戻ったら話をきいてね、吾郎ちゃん」

パチンと電気を消すと、乃里子は部屋を出ていった。
再び部屋には静寂と暗闇がおとづれる。
しかし今は、微かな月の光が窓から差し込んでいる。

淡く照らし出された吾郎の遺影はまるで。

『いつまでも、君の帰りを待っているよ』

そう愛しい妻に語りかけているようだった…。


*****


「ただいま!遅くなってごめんなさい。すぐにご飯用意するわね」

「おかえり、乃里子。今夜は僕の手料理を食べてみないかい?」

「え?作ってくれたの?」

「ここのところ、忙しいだろう?無理しなくていいよ」

「吾郎ちゃん!」

なんてことのない日常だけれど、乃里子には大切な思い出の1ページ。

今はもう、叶わないけれど。



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