春香





衝撃のシーンを目撃してから、一夜明け。
巽は京都府警のエントランスにいた。
捜査の報告遅れにしびれを切らした上司から帰還命令が出たのだ。

「はあ…」

一歩歩くたびに、ため息は深く大きくなり、その肩は沈んでいく。
京都に来て、仕事も恋も散々な結末になってしまった。

「おい、巽」

「ど、土門さん」

外回りから戻ってきたのだろうか。
土門はまっすぐに巽へ向かってきた。

「ん?戻るのか?」

「はい。上司からの命令です」

その消沈ぶりに、土門は苦笑する。

「昨日、病室の外に置いてあった花束はお前か?榊が喜んでいた」

あの後迷った末に、巽は持ってきた花束を病室の廊下に置くと、そのまま立ち去ったのだ。

「あ、はい…。あの時は本当にすみませんでした。マリコさんの具合はどうですか?」

「もう大丈夫だ。昨日退院してな。だが今日は自宅で休ませている」

「休ませて……」

「ん?」

「あ、いえ」

“休んでいる”ではなく“休ませている”という言い方に、もう二人の関係性が垣間見える。

「それからな、榊から伝言だ。『向いている、いないは自分で決めるものじゃない。そんなことを気にするより、向くように努力し続けることが大切だ』って何のことだ?」

巽の顔がぱあ…と明るくなる。

「そう、そうですよね!土門さん、俺、頑張ります!!」

「お、おう…」

変貌の激しさに、思わず土門はたじろいでしまった。

しかしこの青年ほど“悲愴”という言葉がそぐわない人物も珍しい。
明朗快活、それを絵に描いたような人柄は周囲を明るくし、土門とは違ったタイプの新しい刑事像を造っていくことだろう。

「春香巽巡査部長!」

「はい!」

巽は条件反射で背筋を伸ばす。

「また一緒に捜査できるといいな?」

「土門さん!」

「それまでにしっかり成長しておけよ!」

「はい!土門さんが俺の目標ですから!」

それには答えず、土門は巽の肩を叩くと歩き出す。

「じゃあな!」

「お世話になりました!マリコさんにもよろしく!」

ピタリ、足が止まる。

「言っておくが、アイツのことは諦めろよ。渡さん!」

振り返ることなく宣言すると、今度こそ土門の背中は小さくなる。

そして、それが見えなくなる頃には、春香る男の姿も消えていた。

その『名残』だけを残して……。




「もうすぐ咲くかしら?」

「ああ。だいぶ色づいているな」

屋上から見下ろすソメイヨシノは、所々ピンクに染まっていた。

「咲いたら見に行きたいわね」

「そうだな。夜桜でもどうだ?」

「いいわね!」

マリコは嬉しそうに、目を輝かせる。

そんなマリコの様子に土門は目を細め、伸ばした手が髪に触れる。

「その前に……………」



土門は一足先に薄桃色の花を愛でることに成功した。

染まる頬を両手で隠し、恥じらうようにはにかむ花、一輪。
ただ一輪なれど、惹かれずにはいられない。

土門は掌中の花の芳香に、改めて酔いしれるのだった。




fin.



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