春香





「土門さん!土門さん、土門さん、土門さん!!!」

突然大安売りされた自分の名前に、眉を潜めた土門が振り返る。
すると、そこには思わぬ人物が立っていた。

「お前!……………誰だ?」

「なっ!酷い!忘れないでくださいよ…。一緒に捜査したバディじゃないですかぁ」

「たった2日な?」

「そう、2日…って、あれ?」

「ちゃんと覚えてるさ。久しぶりだな、巽」

というより、忘れられるはずがない。
この男のせいで、かつて土門はあらぬ疑いをかけられたのだ。

「なんだー、意地悪しないでくださいよぉ」

眉をハの字にして、口を尖らせる顔は昔と変らない。
もう二十代も後半に差し掛かっているだろうに…大丈夫なのか?と土門は心配になった。

この軽そうな若者の名は、春香 巽はるか たつみ
警視庁の刑事だ。
土門は警視庁との合同捜査の際に、この若者とバディを組んだ。
そこまではよくある話だが、土門が京都に戻った後、実はこの“はるか”を巡って騒動が勃発した。
しかしそのあたりのことは、ここでは割愛したいと思う。
ご興味のある方は、キャプションをご参照願いたい。



「ところで、なぜここにいる?」

「あ、はい。一昨日こちらで起きた殺人事件の被害者は、われわれ警視庁がマークしていた人物だったんです」

「というと?」

「一週間前に都内で建設会社の社員が飛び降り自殺をした事件、ご存知ですか?」

「ああ。確か会社の金を使い込んでいたのがバレて、自社の屋上から飛び降りた、ってアレだろ?」

「そうです。当初は自殺として処理される予定でしたが、裏付けを進めるうちにどうも組織ぐるみの犯罪の可能性が出てきたんです」

「じゃあ、飛び降りた奴はスケープゴートか?」

「おそらく。一昨日殺害された男はその辺りのことを知っている可能性があったので、我々は本当なら昨日から尾行を始める予定だったんです。ですが…」

「その矢先に殺害された、か?」

「はい。それでこちらの捜査状況を伺うために派遣されました。俺ならほら、土門さんとツーカーですし」

「何がツーカーだ。大体、よく知ってるな。そんな古い言葉…」

土門は呆れ顔だ。

「なので、今回もよろしくお願いします!」

ペコリと巽は頭を下げるが。

「生憎だが、その事件の担当は別の班だ。俺は捜査に加わっていない」

「え?そんなぁ………」

巽は情けない声をあげた。




「土門さん」

背後から聞き慣れた声に呼ばれ、土門は巽との会話を止めた。
そして振り返る。

「なんだ?」

「うん、ちょっと話が…。忙しかった?」

「いや。全く。一ミリも」

土門には巽との会話より、マリコの話を聞くほうが数十倍も大切であり、価値がある。

「そう?実はさっき頼まれた鑑定のことなんだけど……」

マリコと土門は向かい合って、真剣に話し始める。
しかしマリコはどこか居心地の悪さを感じて、土門の肩越しに視線を向けた。
すると先程まで土門と話していた男が、じっと自分を睨んでいることに気づいた。

「あの、土門さん。やっぱり何か話があったんじゃない?そちらの刑事さんと」

「うん?」

マリコに言われ、土門は巽の存在を思い出す。

「ああ。榊、紹介しよう。こいつは警視庁の春香 巽だ」

「はるか?…って、もしかして!?」

「そう、その春香だ」

マリコは驚きに目を丸くした。

「巽。科捜研の榊だ。以前話した………おい!」

巽は土門を押しのけるようにしてマリコの眼の前に立つと、その両手を掴んだ。

「榊さん、下のお名前は?」

「え?マ、マリコですけど……」

「素敵なお名前だ!では、マリコさん。マリコさんは、独身ですか?」

「え?ええ、まぁ……」

一瞬、ちらりとマリコは土門の顔を見る。

「よっしゃ!あの、では、お付き合いされている方は?」

「は?」

「おい、いい加減にしろ!セクハラだぞ!」

「そっか、そうですよね。すみません……」

土門に諭され、巽はしゅんと落ち込む。
その分かりやすい姿に、マリコは思わず吹き出した。

「春香さんて面白い方ね」

「そうですか?マリコさんに褒められるなんて嬉しいです。あ、俺のことは巽って呼んでください!土門さんもそう呼んでいますし、それに……」

マリコの言葉に息を吹き返した巽は、意気揚々と喋りだす。

「うるさい!」

ついに土門の雷が落ちた。

マリコと巽は手で耳を覆う。

「巽、お前はさっさと自分の仕事へ戻れ。報告が遅れてどやされても知らんぞ!」

「うわっ、ホントだ!ヤバい!!マリコさん、また後でお話の続きを…」

「さっさと行け!!!」

巽は猟犬に睨まれ、逃げ出した。

「何なんだ、アイツは!」

土門は憤懣やるかたない、といった様子で鼻息も荒い。

「案外いいコンビなんじゃない?」

マリコは笑いながら、小さく首を傾げる。

「どこが!…と、悪かったな。話が途中だろう」

「ええ。実は……」

話しかけて、マリコは止まった。

「榊?」

「土門さん、喉が乾かない?」

その意味に気づかないほど、土門は鈍感ではない。
土門はマリコの白衣の背に軽く触れる。
見上げるマリコと視線を合わせ、微笑み合う。
そして二人の足は、馴染みの場所へと向かっていった。



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