檸檬爆弾
マリコは土門の車に乗り込む。
京都府警を出てからずっと無言だ。
「もしかして、怒っているのか?」
「誰に?」
「俺に、だ」
「そうね。怒っているわ。でも、土門さんだけじゃない」
「?」
「こんな風に守られるしかない自分自身に、よ。仕事を投げ出して帰るなんて…犯人から逃げているようなものだわ」
「さすが、科捜研の女王は勇ましいな」
土門の声は明らかに揶揄している。
流石のマリコもカチン!と来た。
「そんな言い方ないでしょう?大体、土門さんも勝手に所長と協定結んだりして……卑怯だわ!」
「卑怯で結構!」
土門は目の前の角を左折すると、細い道の脇に停車した。
そしてシートベルトを外すと、そのまま助手席のマリコへ覆いかぶさった。
「ちょっ!土門さん!?」
「……………」
「土門さん、どいて!!!」
「振り払ってみろ」
「え?」
「嫌なら、振り払ってみろ」
マリコは手足をバタつかせるが、土門の体はビクともしない。
それどころか、容易く両手を封じられてしまった。
「土門さん、離し……」
「分かったか?」
「え、なに?」
「お前一人の力では、俺を動かすことすらできないんだ」
土門の目は、マリコをじっと見つめている。
「所長も言っていただろう。何かあってからでは遅いんだ……………」
ぽすん、と土門の顔がマリコの首筋に埋まる。
「土門、さん?」
「頼む、榊。聞き分けてくれ」
耳元で囁かれる声は、小さく、弱々しく、心もとない。
そんな土門の声を聞くことなど滅多にない。
マリコは何も言えなくなってしまった。
やがて走り出した車は、マリコのマンションの駐車スペースに到着した。
「部屋まで送らせてもらうぞ」
「分かったわ」
エントランスからエレベータに乗り、土門はマリコの部屋の前まで付き添う。
「部屋に入ったらすぐに鍵を閉めろよ」
「ええ。土門さんはこのまま戻るの?」
「ああ。まだ仕事が残っている」
「そう…。だったら渡したいものがあるから、ちょっと中に入って」
マリコは土門を扉の内側へ招き入れる。
「せめて、コーヒーくらい飲んでいく?」
「いや……、またにする」
ここで靴を脱いでしまえば、多分しばらく帰ることはできない。
土門は自分を律した。
「渡したいものってなんだ?」
「ちょっと待って」
マリコは一旦リビングへ消えると、小走りで戻ってきた。
「これよ」
「これ……は?」
「この部屋の鍵よ」
「!?」
土門の心臓が早鐘を打つ。
「この部屋の中が100%安全だといえる?」
「……………」
土門はマリコの言葉の意味を測りかねた。
「土門さん、私を護衛してくれるつもりなんでしょう?だったら、ちゃんと家でも守ってちょうだい」
「お前!何を言って……」
「でもベッドは一つしかないから、土門さんはソファを使ってね。それ以外はシャワーもトイレも自由に使ってくれていいから」
「……榊」
土門は唸る。
「ちゃんと帰ってきてね。行ってらっしゃい、土門さん」
クスリと微笑むその顔。
こんな時でなかったら…土門はそう思わずにはいられなかった。
玄関を出ると、マリコが鍵をかける音が聞こえる。
ちゃんと二重ロックも掛けたようで、土門はひとまず安心した。
右手の中の硬質の塊を握りしめると、土門は踵を返し、府警へと戻った。
それから4日。
二人の共同生活は続いた。
当初は様々に悩み抜いた土門であったが、結局は日々の疲れからか…すぐに眠りにつくことがほとんどだった。
マリコも土門が帰宅する頃には、自室に入っており、すでに寝てしまっているのか、物音が聞こえることはなかった。
ただ一度。
早朝に目覚めたとき、寝る前より一枚多く布団が掛かっている日があった。
確かに前夜は冷え込みが厳しく、寒い…と感じながらも、土門はそのまま寝入ってしまったのだ。
きっとマリコがかけてくれたのだろう。
しかし、そうだとしたら……。
土門はおぼろげな記憶を必死に辿る。
夢だと思っていた、あの頬の温かな感触は一体………。
その時、土門のスマホが鳴った。
「土門だ。………ああ。……そうか、わかった」
「土門さん?事件?」
身支度を整えたマリコが、洗面所から顔をのぞかせる。
「そうだ。ついに届いたらしいぞ、お前宛のラブレターがな」
ふざけたセリフながら、二人はピリリと緊張感をまとう。
「行きましょう、土門さん」
「もちろんだ」