檸檬爆弾
一方、土門ら刑事たちの捜査も二の足を踏んでいた。
廃ビルにいつ、誰が爆弾を置いたのか…。
周辺を虱潰しに聴き込むが、元々人通りが少なく、周囲に民家もない。
目撃情報を得るのは至難の技だった。
いよいよ八方塞がりの空気が帳場に蔓延し始めた頃、再び事件が起きた。
深夜2時。
緊急入電が入った。
公園の公衆トイレが爆破され、火災が発生していると。
鑑識、捜査員、そして科捜研が到着したときには粗方火の勢いは収まっていた。
「男子トイレだけ、ですね」
宇佐見がひと目見て断言した。
それほど見事に、半分だけ吹き飛んでいたのだ。
「まさか……」
マリコは嫌な予感がした。
「その、まさからしい」
背後の声にマリコは振り返る。
そこには煤けた封筒を差し出す土門がいた。
「今回はまだ開けてはいない。読んでみろ」
マリコは受け取った封筒を慎重に開くと、押収用のビニール袋にしまった。
三つ折りの便箋を開いた瞬間、ふわりと清々しい香りが鼻孔を掠めた。
「リモネンだわ…」
「なんて書いてあるんだ?」
土門はマリコに顔を近づけ、覗き込んだ。
当人たちは何も気にしていないが、周囲はそうはいかない。
みな一応に視線をそらし、二人から距離を取る。
宇佐見も苦笑しつつ、その場を離れた。
「この前と同じ筆跡ね」
手紙の内容は以下の通りだ。
『前略
榊マリコさん。
あなたは僕の想像した通り、小柄で華奢な女性なのですね。
お仕事柄、やはりパンツが多いようですね。
今度はスカート姿も見てみたいものです。
さぞかしお似合いでしょう。
さて。
僕のもうひとつの願いは、あなたの声を聞くことです。
それもこの手紙が見つかる頃には叶っているでしょう。
榊マリコさん。
あなたの声は高いのか、低めなのか。
澄んでいるのか、可愛らしいのか…。
早くあなたの声が聞きたいです。
また次回、お会いできるのが楽しみです。
草々』
「叶う?………どういうことだ」
土門は周囲に鋭い視線を走らせる。
規制線の向こうは野次馬が溢れている。
「あの中にこいつがいる、ってことか?」
「まさか、そんな……」
「しかし、この場所にいなけりゃお前の声を聞くことはできないだろう?」
マリコの瞳に、一瞬不安な影が宿った。
「すまん。怯えさせるつもりはなかったんだが…」
「分かってるわ。多分土門さんの言うとおりでしょうね。でもそうだとしても、もう今は……」
「さすがに立ち去っている、か?」
「ええ。そう思うわ」
「…よし。決めた」
「?」
「お前は暫く現場には出るな。すぐに蒲原に送らせる」
「ええ!?無理よ。採取しなきゃいけないものが沢山あるのよ!」
「そんなもん、鑑識にも手伝わせればいい」
「だけど!」
「いいか?ヤツの目的はお前だ。お前の姿が見えなくなれば、何とかしてお前を引っ張りだそうとするだろう。その時がチャンスだ」
それに、と土門は続ける。
「お前のことが心配だ……」
ハッキリとした音にはならず、漏れた空気のような声はマリコにしか届かない。
「土門さん…」
「今回は言うことを聞いてくれ…」
しばらく逡巡しながらも、結局マリコは頷いた。
この日から、マリコの軟禁の日々は始まった。
といっても、科捜研に籠もる時間が増えたことで、マリコは今まで以上に鑑定に没頭した。
「爆弾は前回同様、時限式のものでした」
「今回もゲソ痕は無理そうだね」
「筆跡はどうですか?」
マリコは顔を右に向け、日野に確認する。
「以前の手紙と一致したよ。同一人物だね。でも、どこのだれかは分からない」
「では、便箋の香り成分の方は?」
今度は正面の宇佐見へ問いかける。
「ええ。やはりリモネンでした」
「同一犯の可能性が高いね」
皆が頷く。
「失礼します」
「土門さん、いらっしゃい」
土門は日野に軽く黙礼すると、マリコに話しかけた。
「榊、仕度をしろ」
「え?どこか行くの?」
「帰るんだ」
「なぜ?」
「なぜ?もう定時は過ぎている。所長にも了解はもらった」
「え?え?」
「俺が送れる時間は今しかない。早くしろ」
「マリコくん。この犯人がマリコくんに執着していることは明らかだ。何かあってからでは遅いんだ。今日は帰りなさい」
「でも……」
「所長命令だ」
「……………はい」
「土門さん、お願いします」
「わかりました」
土門は力強く頷いた。