ニューヨークからの客人
希沙良は午後の飛行機で戻る予定になっている。
それまで、空港のラウンジで三人は時間を潰すことにした。
「マリコサン」
「はい?」
「リョーとの結婚式はいつ?」
「え?」
「婚約してるなら準備も進めてるんでしょ?リョーの一時帰国はそのためだと思ってたんだけど?」
「いや、それはさ……」
「それは?」
「……………」
視線の揺れる相馬に、希沙良は確信した。
「やっぱり嘘なんだ……」
「き、希沙良…」
「なんで?なんでそんな嘘つくのよ!」
激高した希沙良はガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
「お、おい。落ち着けって!」
人目を気にした相馬が、希沙良を座らせようと手を引いた。
「NO!!!」
そんな相馬の手を希沙良は力いっぱい振り払う。
両腕を上げて拒否した反動で、反対の手が隣の席のマリコの顔に向かう。
突然のことにマリコも動けず、迫る手に思わず目を閉じた。
けれど、予想していた衝撃も痛みも襲ってはこない。
恐る恐る目を開けたマリコの視界には、大きな手のひらがあった。
マリコを守るように伸ばされた手。
ゴツゴツとしたその手が、実はとても温かいことをマリコは知っている。
「土門さん………」
「お前たち、何をしている?」
土門の声は明らかに怒りの色を帯びていた。
「相馬。こいつを巻き込むなと言ったはずだが?」
まるで被疑者に向けるような鋭い視線に、さすがの相馬もすぐに頭を下げた。
「土門さん、すみません」
「you…、だれ?」
突然現れた男に希沙良は困惑する。
「相馬が何と言ったか知らないが……」
そんな希沙良に、土門はハッキリと伝えた。
「こいつは俺の婚約者だ」
「「「え?」」」
見事にハモる3つの声。
「really?」
「本当だ」
それでも疑わしい視線を向ける希沙良。
土門は腰を落とすと、論より証拠。
座ったままのマリコに前触れもなく口づけた。
「!!!」
目を丸くするのは、相馬と当のマリコ。
一瞬の後、唇が離れると、マリコは熟れたリンゴのように真っ赤になっていた。
「土門さん、ここ空港よ!」
「問題ないさ……ほら?」
マリコが耳を澄ますと、周囲からは。
ーーーーー なに?撮影??
ーーーーー 何のドラマ?
ーーーーー あの俳優さん、誰だろう?
明らかにこのシチュエーションをドラマの撮影だと勘違いしているようだ。
「な?」
「『な?』じゃないわよ……」
ずるずると椅子に沈み込むマリコを、土門は笑っている。
そして、次の瞬間には厳しい顔を相馬に向けた。
「相馬。お前も男なら姑息な真似はしないで、きちんと彼女に向き合え。それが好意を持ってくれた相手に対しての礼儀だろう?」
「…うっす」
「榊は連れて帰る。いいか、今回のことは貸しだぞ?次はないと思え」
最後の一言の睨みに、相馬は青ざめ、神妙な面持ちで頷くのだった。
土門とマリコの去った後、残された相馬と希沙良は無言でただ時間が過ぎるのを待った。
お互いに口を開きかけるが、言葉が出ない。
そうこうしているうちに、搭乗開始のアナウンスが流れた。
希沙良は立ち上がると、スーツケースに手をかけた。
「希沙良!」
思わず声を掛けたものの、相馬もその後が続かない。
諦めた希沙良は、「もう行くわ」とだけ告げ、背を向けた。
「希沙良…ごめん」
その背中に相馬は呟いた。
希沙良の肩が小さく震える。
「俺、希沙良のこと、嫌いじゃないし、仲間としてサイコーにイイヤツだと思ってる。だけど…、だけどさ……」
「リョーが戻ってきたら、デスクの上が資料で山積みよ。覚悟するのね……」
希沙良は振り返らずにそう言うと、後ろ手を振ってみせた。
そしてスーツケースを転がし、搭乗口へ向かった。
「何だよ、アイツ…。イイ女じゃんか……」
手遅れなのか、それとも…?
元物理研究員の心の変容は、まだ本人にすら分からない。