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「あの、大丈夫ですか?」

カツンと止まった足音の主が、頭を抱えるようにうずくまる女性に声をかける。

「あの……」

肩に触れる寸前、彼は女性の手が震えていることに気づいた。
と同時に、その手が見知った女性のものとよく似ていることにも気づいた。

青年の頃、憧れていた美しい人の手。
暫く前、食事を共にしたときと何ら変わらない細い指と桜貝のような薄桃の丸い爪。

「マリコ先生?」

確信をもった問いかけに、顔を上げたその人は翼の予想した通りだった。
ただ、一つ。
彼女の頬が濡れていることをのぞけば。

「マリコ先生!どうしたんです?何があったんですか!?」

翼は思わず、マリコの両腕を掴んだ。

「翼くん、痛い…」

「あ、すみません」

ぱっと手は離れたものの、翼は心配そうにマリコを見つめている。

マリコはゆっくりと立ち上がると、近くの長椅子に腰掛けた。
翼も続いてマリコの隣に座る。

「実は土門さんが怪我をしたって連絡を受けて…」

「……………」

「でも、会えないって。家族じゃないから…。ICUに入るほど深刻な状態なのに……」

「……………」

翼は、マリコが話し終えるのを待った。
こういうときは、思ったことを全部吐き出してしまったほうがいい。

「どうしたらいいの?土門さんと家族になりたいと思っても、お互いの気持ちが噛み合わない。それでも一緒にいられるなら十分だと思っていたわ。でも!こんなときに傍にいられないなんて…。もう子どもが欲しいなんて贅沢は言わない。結婚だってできなくてもいい。ただ土門さんがいてくれたら。生きてさえいてくれたら……」

マリコは両手で顔を覆う。
すすり泣く声は微かで、翼は胸が痛かった。

マリコの話を聞けば、今二人がどんな関係にあるのか、何となく察しはつく。
責任感の強い土門のことだ。
男として悩む気持ちも分かる。
だが…。






「榊?」

廊下の奥から松葉杖を付きマリコを呼ぶのは、今しがたICUにいると聞いたばかりの土門だった。

「え?………土門、さん?」

土門はマリコの泣き顔に驚き、隣にいる見知った男を確認すると、途端に険しい表情を見せた。

「何があった?」

「違うの…」

マリコが答えるより前に、土門は二人に近づくと翼の前で立ち止まった。

「こいつに何をした?」

冷ややかで硬い声は、刑事のそれだ。
翼は「随分と嫌われたものだ」と苦笑する。
そして立ち上がると、土門に手を伸ばした。

――――― ぐいっ!

翼は土門の胸倉を掴んだ。

「怪我人に申し訳ないですが、もう腸が煮えくり返りそうなんで…。『何をした?』それはこっちの台詞だ。あんたはいつになったらマリコ先生を幸せにできるんだ!?」

翼の激高する声にナースステーションから看護師が顔をのぞかせた。

翼は土門から腕を離すと、看護師へ頭を下げる。
すると、問題なしと判断したのか、その姿は消えた。


翼は一つ深呼吸をすると、土門へも頭を下げる。

「すみません、冷静さを失っていました。ですが、土門刑事。僕は今しがたマリコ先生にお会いしたばかりで、何もしていませんよ」

「いや。こちらこそ。いきなりすまない」

土門も落ち着きを取り戻したのか、ばつの悪い表情を浮かべる。

「見たところ、骨折ですか?」

「ああ。俺は大丈夫だと言ったんだが、念の為、今日は入院することになった」

「では、土門刑事の病室で少し…話せませんか?」

「いいだろう」

「マリコ先生も行きましょう」

「……………」

マリコは無言で立ち上がる。

翼がハンカチを取り出すより早く。
土門の手がマリコへと伸びた。
親指が頬を撫でるように涙を拭き取る。

そして松葉杖で歩き始める土門の後ろを、マリコは付いて行った。



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