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『はい、榊』
ツーコールで繋がった電話に、翼はやや緊張していた。
「マリコ、先生ですか?」
『あ、翼くん?』
「はい」
『翼くん、開所おめでとう!』
「ありがとうございます!鉢植え、受け取りました。さっそく玄関の正面に飾らせてもらいました。マリコ先生、あんなに立派なものをありがとうございます」
『ううん。独立の話を聞いて私も嬉しかったのよ。ついに一国一城の主ね!』
「はい。マリコ先生も、弁護士が必要なときはぜひ当事務所へ」
『やあね、さっそく営業?』
笑いが滲む会話は楽しい。
「ところで、土門さんとは上手くやっていますか?」
『な、なに?突然……』
「さっき“榊”と出られていましたし、伝票の名前も……。もしかしてまだ…?」
『ええ。榊のままよ』
「……………」
翼は眉間に皺を寄せる。
あれほど土門にはハッパをかけたというのに…。
「マリコ先生はそれでいいんですか?」
『え?』
「以前、子どもが欲しいと言ってたじゃないですか」
『ああ』とマリコはそのときのことを思い返した。
『いいの。あの後、二人で色々話し合ったわ。私も土門さんもこれからのことは考えているわ』
そう話すマリコの声は明るく、翼が心配するようなことはないのかもしれない。
その後も他愛のない会話が続き、翼は受話器を置いた。
電話が切れた後で、マリコは大きく嘆息した。
実のところ、土門との関係は、翼に話した内容とは少し様子が違っているのだ。
あの日以来、二人は真剣に将来について話す機会が増えた。
しかし、土門はどうしても結婚に二の足を踏んでいた。
結婚が嫌なわけではないし、むしろマリコとならしたいと思う。
子どもだって、マリコと二人の間の子なら…。
ただ。
この危険と隣り合わせの仕事が躊躇させるのだ。
かと言って、土門には他の仕事など考えられない。
逆にマリコは事実婚を嫌っていた。
もし本当に子どもを授かったなら、生まれてくるその子のためにきちんとしておきたい。
この微妙なズレが二人の距離を深めていた。
いつしか、肌を合わせる機会さえ減りはじめていたのだ。
そんなとき、一つの事件が起きた。