偽り





女は徐にポケットからスマホを取り出すと、どこかへ電話をかける。

「もしもし、私よ。頼んでおいたもの出来てる?…そう。すぐに運んでほしいの。そうねぇ………一つは京都府警捜査一課土門薫宛に。もう、一つは科捜研へ届けてちょうだい。頼んだわよ」

マリコは女が電話している間、息を殺すように沈黙していた。

「さぁ、早ければ1時間もしないうちに………ドッカーン!あははは」

女は心底愉快そうだ。

それからの1時間、女は時おりマリコへちょっかいを出しながらも、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべ、誰かからの連絡を待っていた。

しかし1時間を過ぎても連絡はなく。
女は明らかに苛つき始めていた。

「電話にも出ないなんて、どうなってるのよ、あの男!」

癇癪を起こした女はスマホをソファに投げつけた。
するとようやく通話が繋がり、意外な人物の声が聞こえてきた。

『残念だが、その男なら今は取調室にいるだろう』

「あんた!誰!?」

女はスマホに叫ぶ。

『捜査一課の土門だ』

静かだが怒りのこもった自己紹介に、女は一歩よろめく。

「どうして………」

「手玉に取ったつもりだろうが、お前より、榊のほうが上手だったということだ」

ガチャと玄関が開き、土門が現れた。
その手にあるスマホは実行犯のものだろう。

「土門薫!どうやって入ったの?」

「馬鹿か?お前が俺と榊の関係を突き止めたんだろう?だったら、こういうことだって当然………」

土門はマリコの部屋の鍵をヒラヒラと女にかざす。

「合鍵か……」

ギリッと、女の唇を噛む音がはっきりと聞こえた。

「どうしてここへ来たのさ?」

「大切な女を助けに来るのに、理由がいるのか?」

「………土門さん」

涙混じりの声で自分を呼ぶマリコへ、土門は一瞬だけ視線を向けた。

「……お前、喧嘩を売った相手が悪かったな」

地を這うような土門の声。

「最強の科学者とその猟犬だぞ?特に猟犬の方はな、こいつを傷つけたり、泣かせたりする奴に容赦はしない。たとえ女だろうとな!」

そういうと、土門は言葉通りに女を床に押し付けた。

「罪状はまだまだ増えそうだが、まずは榊に対する暴行罪で逮捕する!」

背後に回された女の手首に手錠がはめられた。




「榊、大丈夫か?」

「ええ、ありがとう。でも、あの………」

ひそひそとマリコが小声で伝えた言葉を聞き、土門は素早くソファの下に手を入れた。
引きずり出したのは、通話状態のままの子機だ。

『マリコくん、大丈夫かい?』
『マリコさーん』
『おーい!』
『お二人とも無事ですか?』

受話器の向こうからは、二人を案じる声が次々に聞こえる。

「榊も自分も無事です。犯人も確保しました」

“おおー!”と、“やったー!”という声が一気に聞こえる。

「土門さん、間もなく蒲原さんが到着すると思います」

「わかりました」

「それと、マリコくんのこと。よろしくお願いします。マリコくん、明日も休暇申請しておくから、まずはゆっくり休んで」

「所長………」

マリコの声は吐息に溶けるほどに小さく、日野には聞こえない。

「わかりました。自分が責任を持って休ませます」

代わりに土門が請け負った。

『ねー、ところで猟犬て何のこと?みんな頷いてたけどさぁ。僕、わかんない……えっ?なに?亜美さん、痛い、髪引っ張らないでよー………』

土門は慌てて通話ボタンを押し、電話を切った。

ややこしいことになりそうだ……と、思わず息を吐く。
それでも、この数時間に比べれば大したことはない。

2時間ほど前、宇佐見から連絡をもらい、急ぎ科捜研へ駆けつけた土門は、マリコと女の会話の一部始終を聞いていた。

それは機転をきかせたマリコが、自分たちの会話を通話状態にした電話から科捜研へと流していたのだ。

なぜマリコが突然別れを切り出したのか……。
もちろん、土門は何か理由があるはずだと勘づいてはいた。
しかしマリコが口を開かないということは、何かしら事件が絡んでいるのかもしれないと踏み、一度はその別れを受け入れた振りをしたのだ。

その真相がようやく分かった。
と同時に、原因が自分だと知った土門は激しい後悔の念に襲われた。

どれだけ恐かっただろう。
寂しかっただろう。
心細かっただろう。
マリコはたったひとりで戦っていたのだ。
いくら周囲から気丈だと思われていても、マリコは女だ。
それに気づけなかった自分の不甲斐なさに、土門は怒りさえ覚えた。

傍にいて、守ると誓っていながら……。


土門がマリコへ手を伸ばそうとしたそのとき、玄関の扉が開き、数人の足音が響いた。
マリコは急いで立ち上がると、寝室へ走り、こもってしまった。

その気持ちが分からなくない土門は、一人で蒲原ら捜査員を迎えた。

「土門さん!無事ですか?」

「ああ」

「マリコさんは!?」

「あいつも無事だ、心配ない。それより、この女の正体分かったのか?」

「はい。快楽かいらく園という占いの館のオーナーでした。しかし裏では売春斡旋やら薬の販売やら、胡散臭い噂が絶えません。叩けばかなりの埃が出るでしょうね」

「そうか……。おい、なんで榊に目をつけた?あいつは警察官でこそないが、警察関係者だぞ?」

女は土門の顔は見ずに答えた。

「この間、うちの近所でヤクの摘発があったのよ。そのとき彼女を見かけたの。警察関係者だってことは分かっていたけど、それもスリリングだと思ったし。何より、本当に彼女は魅力的だと思ったから。手に入れたくなったのよ!あんたなら分かるでしょ?」

土門はふっと笑うと、女と視線を合わせる。

「お前、人を見る目は確かだな。だったらその才能をもっと別のことに使え。そして、二度と榊の前に現れるなよ」

「……………」

女は答えない。
土門は女の胸ぐらをつかんだ。

「ひっ!」

「土門さん!」

蒲原が止めにはいる。
しかし土門は落ち着き払った声で、女を脅した。

「わかったな!!!」


すっかり縮こまった女を連行し、捜査員らはマリコのマンションを後にする。
しかし蒲原は、土門が同行しないことに気づいた。

「土門さん?」

「すまんな、先に戻ってくれ……」

土門は寝室の扉へ視線を向ける。

蒲原もこの部屋へ入ったとき、主の姿が見えないことには気づいていた。
これまでに上司と何かしらあったのだろうということも…。
だから蒲原は「分かりました」と頷くと、黙って玄関の扉を閉めた。



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