藤倉甚一失踪事件
そのころ、マリコは。
京都駅で一組の男女を追っていた。
「藤倉部長の隣の女性……一体誰なのかしら?」
土門を見習って一定の距離を保ち、二人の後をつけていく。
「まだ決まらないんですか?」
「だって、篠宮くん。こんなに色々種類があったら迷うでしょう?」
女性の方は篠宮というのだろうか。
うんざりした様子で、藤倉を見ている。
それにしても……。
しばらく二人の後をつけ、会話を耳にするうち、マリコは違和感を持った。
『いつもの藤倉部長とは感じが……違う?』
二人がしばらくこの場を動きそうにないことを確認すると、マリコは土門に連絡を取るため、ポケットに手を入れた。
「え?…あら?ええ!?」
反対のポケットも、バッグの中もまさぐる。
しかし。
「……ないわ」
マリコは呆然とした。
きっと慌ててタクシーに乗る際に、落としたに違いない。
「どうしよう…。近くに公衆電話なんてあったかしら?」
キョロキョロと辺りを見回していると、やがてレジでの精算を終えた二人が店を出ようとしていた。
「あ!追いかけないと……」
歩きだそうとしたその時、マリコはぐいっと腕を引かれた。
「え?……ど、土門さん!?」
振り返り、驚くマリコを尻目に前方の男女は店を出ていく。
「土門さん、見つけたのよ!藤倉部長!あそこに……」
制止を振り切り、追いかけようとするマリコを、土門は再び引き止める。
「榊。部長なら今、府警にいる」
「え?……どういうこと?」
マリコはようやく、状況を受け入れつつあった。
「あの人は部長じゃない。従兄弟だそうだ」
「従兄弟?」
「そうだ。関東中央監察医務院の医長だそうだ」
「じゃぁ、隣の女性も部長の恋人とかじゃなくて……?」
『なんて勘違いをしてやがる…』と、土門は吹き出しそうになるが、そこはぐっとこらえた。
「篠宮という同僚の監察医だそうだ」
「篠宮さん!確かに部長はそう呼んでいたわ」
「部長じゃないがな」
「あ、そうね」
くすり。
ようやくマリコの顔にも笑顔が浮かんだ。
「ところで、ほかに気になることはないのか?」
「あるわよ!部長はどこにいたの?」
土門の予想とは違う質問だったが、確かにそれは気になるところだろう。
「京都医科歯科大学病院にいたらしい」
「病院?だから電話が繋がらなかったのね。部長、どこか具合が?」
「いや。ぴんぴんしてたぞ」
「ふーん。それならどうして京都医科歯科大学病院になんて……………ああっ!?」
「な、なんだ?突然」
大声を上げたマリコに、土門は目を丸くする。
「そういえば、裁判所へ提出する資料を佐沢先生に頼んでおいたんだわ。もらいに行かないと……」
マリコは土門を見る。
「ねぇ、土門さん?」
くりんとした瞳にじーっと見つめ続けられ、土門は根負けした。
「分かった、寄ってやる。全く、毎回お前にはこき使われるな……」
「失礼ね!これでも土門さんには遠慮してるほうよ」
まったく信じられない土門だったが、何かを思いついたようだ。
マリコの背後から片腕を腰に回すと、そのまま顔を近づける。
「寄るのはいいが……礼はなんだ?」
ぼそりと耳元で呟く。
マリコはくすぐったいのか、肩をすくめる。
「
『なぁ?』と続ける土門の息が耳にかかり、マリコは逃げ出そうともがくが、そうは問屋が卸さない。
逃がすか!とばかりに、なおも土門は腕に力を入れる。
「分かったわよ!何でも食べたいもの、ご馳走するわ」
「ほう…。約束だ。科学者に二言はないな?」
ニヤッ。
悪い男の顔をした土門に、マリコはまんまとはめられる。
しかしそのことにマリコが気づくのは、もう少し後…夜の帳が下りてからのことになる。
「そうと決まれば、さっさと行くぞ!」
急に歩き始める土門を、マリコは慌てて追いかける。
「あら?そういえば、土門さん。どうして私の居場所がわかったの?」
「……………今ごろか?」
待ち構えていた質問は、車の中で説明することにした。
「医長!新幹線出ちゃいますよ。早く!」
「そんなこと言ったってね。お土産が。荷物が。篠宮くんもちょっと持ってもらえないかな?ねぇ、ねぇ!」
発車のベルに、走り出した二人は東京行きの『のぞみ』に飛び乗った。
「ほら」
「私のスマホ!」
「遺失物として派出所に届いていたぞ」
「ああ、良かった!」
マリコはほっと胸に手を当てる。
「タクシーに乗るときに落としたのか?」
「よく分かるわね!?」
「お前がタクシーに乗っているところを平野巡査が目撃していたんだ。それでお前の居所が分かった」
「そういうことだったのね……って、これ!!!」
マリコはスマホの電源を入れると、ホーム画面を見て固まる。
「ちょっと!なんて画像を設定したのよ」
そこにはぐっすり眠るマリコの顔が写っていた。
問題なのは、その枕だ。
どう見ても、それは男の“腕”だったのだ。
明らかに、情事の翌朝の画像である。
マリコはすぐに設定を変える。
「もう!こんな写真を撮っていたなんて……」
「今度スマホを落としたら、パスワードを変更して画像を変えられないようにしてやる。どれだけ心配したと思ってるんだ……」
土門はぶつぶつと文句を口にしながら、アクセルを踏み込む。
土門のスマホにはその一枚どころか、ウン十枚のお宝写真が保存されているのだ。
もちろんマリコは知らない。
土門だけの『M'sコレクション』だ。
「マリコさん、いらっしゃい!と、土門さんも……」
京都医科歯科大に着くと、佐沢が出迎えてくれた。
マリコには笑顔で、土門にはやや引き攣ったそれで。
「佐沢先生。資料をもらいに来たんですが」
「できてますよ、はい」
「ありがとうございます」
マリコは封筒を受けとる。
「ところでマリコさん。あの恐い人、大丈夫でしたか?」
「恐い人?」
「ええ。あの、何て言ったかな……えーと、藤ヶ谷?藤谷??」
「藤倉部長ですか?」
「あ、そうそう。その人!」
「藤倉部長がどうかしたんですか?」
「今日、うちの歯科に来ていて、かなり揉めたみたいですよ?」
「え?」
「なんでも親知らずを抜歯するのに、麻酔注射を打つ、打たないで」
佐沢は気難しい顔をして、さらにこう続けた。
「注射より自分の顔のほうが恐いと思うんですけどねぇ?」
「「……………」」
二人は無言で顔を見合わせる。
皆に事の真相を告げるべきか。
はたまた闇に葬るべきか……。
土門とマリコは究極の選択を迫られるのだった。
fin.
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