藤倉甚一失踪事件
「え!?」
渡り廊下の真ん中で思わず声を上げたマリコに、土門は眉を潜める。
「声が大きい!」
「ごめんなさい……でも、どういうことなの?」
言われた通り、トーンダウンした音量でマリコは土門に聞き返す。
「今朝から姿が見えないらしい。出勤した様子もないし、携帯も繋がらないそうだ」
「そんな……」
マリコはそう言うと、一瞬言葉に詰まる。
「あ!佐伯本部長は?本部長も知らないの?」
「本部長は昨日から海外視察だろう?何度も連絡しているようだが、まだ捕まらないらしい……」
「あちこち動いていそうだものね……」
二人の脳裏には現地の衣装を身に纏い、意気揚々と観光地を巡る佐伯本部長の姿が浮かんでいた。
「でも…。藤倉部長に限って無断欠勤なんて考えられないわよね?」
「ああ。榊、混乱を避けるため、この件はまだ数人しか知らん」
「分かったわ。黙っておく。でも手伝いが必要なときは言って」
「すまん。それならさっそく頼んでもいいか?」
「何をすればいいの?」
「平野巡査の所へ行ってくれないか?」
「いいわよ。何か知らないか聞いてくればいいのね?」
「そうだ。俺はここを離れられん。蒲原には別件を頼んでいるしな」
「大丈夫よ。ちょうど急ぎの鑑定もないし、すぐに行ってくるわ」
「すまん。気をつけて行けよ?」
「子どもじゃないんだから、大丈夫よ!」
『だから心配なんだ…』と言ったところで、マリコには通じるまい。
土門は曖昧に頷き、マリコを見送った。
マリコは平野の詰める荒神橋交番をたずねた。
「こんにちは!」
「おお、あんた!藤倉のとこの……」
「科捜研の榊マリコです。平野巡査、その節はどうも……」
「いや、こっちこそ。久しぶりだなぁ。ま、ま、座んなさい。今、お茶を……」
「おかまいなく」
「いいんだよ。どうせ暇なんだから」
ハハハと平野は屈託なく笑う。
「きれいな娘さんに、安物の菓子で悪いが……」
平野は緑茶と煎餅の入った菓子鉢をマリコの前に置いた。
マリコはパイプ椅子に腰を下ろすと、『いただきます!』とお茶を一口飲んだ。
「ところで、藤倉は元気か?」
「……平野巡査。最近、藤倉部長とお会いになってはいないのですか?」
「そうだなぁ…。多幸金に飲みに行って以来だ。あいつも忙しいからな」
平野もずずっと茶をすする。
「そうですか……」
「どうかしたのかい?というか、今日は何の用で?」
「…………………………実は」
散々迷った末に、マリコが話を切り出そうとしたそのとき。
駐在所の電話が鳴った。
「もしもし?おっ、なんだ宮さんか…どうした?何!?分かった、すぐ行く!!」
平野は慌ただしく制服に腕を通す。
「すまんな、榊さん。ひったくりらしい。ちょっと待っててくれ」
平野巡査はマリコの返事を聞くことなく、交番を飛び出して行った。
マリコは湯呑みを片付けると…無言で交番を立ち去った。
科捜研へ戻る道すがら、マリコは土門に電話をかけた。
「もしもし、土門さん?」
『榊か?』
「平野巡査は、藤倉部長の行方は知らないみたい。それどころか、ここ最近は会っていないらしいわ」
『そうか……』
「土門さんは、何か分かった?」
『それとなくあちこちの管理職に聞いてみたが、皆、部長に出張の予定があるなんて聞いてないらしい』
「そう……。これからどうするの?」
『仕方ない…お前たちの力を借りることになりそうだ』
「分かった。すぐに戻るわ」
『頼む』
「ええ。…………あら?」
『どうした?』
「部長…………?」
『榊?』
「…………………………」
マリコからの返事は聞こえない。
『榊?榊?……おい、どうした!榊!?』
呼びかける土門の声に。
――――― プツッ。
通話は切れ、スマホは無音となった。
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