口を出すのも ほどほどに
「暑いですね……。土門さん、オレ、コンビニに行ってスポーツドリンクでも買ってきましょうか?」
まとわり付く不快な湿気と息苦しさに堪え兼ねた蒲原が、使いを申し出る。
身を潜めての張り込みは、すでに6時間が経過した。
盛夏のピークはやっと過ぎ、体温を超える連日の暑さも幾分 和らぎ始めたとはいえ、カンカンと照りつける太陽の真下で 容疑者をじっと待ち続ける捜査は過酷でしかなく、集中力に体力、体内の水分までをも容赦なく奪う。
不必要な気配を消すため 車のエンジンは切っており、ほんの3分の1ほど開けた窓から入ってくるのは 汗を誘発するだけの温風である。
「そうしてくれるか? 犯人を捕まえる側が、熱中症で倒れてしまっては洒落にならんからな。すまんがコレで、何本か買ってきてくれ」
言葉を走らせながら財布を開き、数枚の千円札を蒲原に渡す。
「土門さん、たまにはオレに奢らせてください!」
いくら信頼し合っていても、そこはやはり 上司 と 部下 だ。
言い出したのは部下側なのに、紙幣を出されたからとて ホイホイとは受け取れない。
「相棒の体調管理も上司としての大切な役割だ。どうしてもというなら、俺に使おうとした分で 科捜研のお前の右腕2人にコーヒーでも飲ませてやれ」
“出来る男”の台詞にあっさりと陥落し、仕事熱心な部下は 両手で丁寧に資金を預かる。
刑事の目つきで周囲の状況にくまなく注意を払い、物音を立てないよう助手席ドアから車外に降りた。
…………親切心が……誤算だった。
「蒲原、嫌いじゃなければアイスクリームも買ってこい」
「アイス……ですか?」
「この暑さだ。効率良く身体を冷やすことを考えたほうがいい。頭だって多少はスッキリするだろう?」
このやり取りが、首を絞めることとなる。
頭上にたくさんのハテナマークを点灯させたまま 一旦持ち場を離れた蒲原だったが、それでも土門の助言に従い、氷菓をひとつ買ってきた。
隣のシートに腰を埋め、“スーパー”を銘打つボリューミーなカップアイスを 至福の表情で頬張っている。
車の中。
アイスクリーム。
助手席から漂う甘い匂い。
とんでもないモノを集結させてしまったと後悔した時には、すでに手遅れだった。
ここ数日のマリコとの時間に欠かせない“お楽しみな3点セット”を 迂闊にも揃えてしまった失態に、頭を抱えて土門は悩む。
……気になる。
…………とにかく、気になる。
バニラアイス と マリコ を完全に紐付けてしまった単純な脳は、その対象が蒲原であっても、甘美な記憶を暴走させる。
「飲み物だけでいい」と伝えた 先程とは事情が変わり、スプーンの往復から目が離せなくなった。
思考を覆い尽くすのは、愛しくて可愛いマリコの姿だ。
しかし これでは物欲しさの痩せ我慢だと勘違いをされそうで、名誉のためにも 本心では多少の訂正はしておきたい。
だからといって、目の前の“甘く滑らかな物体”に、マリコの面影を重ねているなどとは 口が裂けても言えるものか。
日々土門に鍛えられている蒲原が、上司の異変と怪しげな目線に気づかぬ筈はなく、半分ほど食べ進めた時点で 動かしていた手を止めた。
「あの、土門さん、コレ……」
代金は自腹で支払ったというビニール袋から、チアパックのアイスを取り出す。
「『要らない』と仰ってましたけど、車は蒸し風呂状態ですし。お身体を考えて自己判断で買ってきてしまいました。土門さんのお金なのにすみません」
恐縮しきりの蒲原を、咎める要素がどこにあるのか。
刑事としての能力だけではなく、相手を思い遣る心も確実に成長していることに、土門は目を細める。
「ちょうどいい溶け具合だと思います。どうぞ」
「うん、ありがとう」
綻んだ上司の表情に安堵し、はにかみながら商品を差し出す。
飲み口の側は、土門に向けて。
もちろん、すぐに食べられるようにとの配慮からだった。
「…………」
「………………」
「…………あのっ、土、門さん…………!?」
「ん? あぁぁぁぁっ、スッ、スマン! ストローからクリームが溢れているように見えたんだが、まだキャップも開いてなかったか。いや、失礼した。……うん! 旨い!!」
何事もなかったようにターゲットが住まうアパートを見据え、慌てて奪取したパウチアイスを一心不乱にチューチュー吸う。
正直、味なんて分かりゃしない。
茹で上がりそうな強面を なんとか平常の顔色のままで抑制しているのが、せめてもの抵抗である。
刑事の勘は時に残酷で、若手刑事は 背景に何があるのかも しっかり読み取ってしまったらしい。
シャカシャカ、シャカシャカ。シャカシャカ、シャカシャカ。
カップの底を忙しなく掬う不審な行動が、野郎2人の密室空間の気まずさを増幅させる。
『頼む、蒲原。今のことは早く忘れてくれ……』
醜態を晒してしまった土門が唯一できることは、時間の経過を待つのみだ。
たったの1分が……。時が止まったように、長い。
焦る心境を代弁したか、容器の表面に汗ばむ水滴が 太腿辺りに次々落ちた。
しわの寄ったダークグレーのスラックスに、濃淡の水玉模様をいくつもいくつも滲ませる。
乱雑にズボンに出来た染みを拭い、肉厚の掌にある冷気を湛える塊に 動揺の残る視線を移した。
『COOLish』
『涼しい、冷たい、程良い冷たさ』
単語の意味から考えるに、命名の一端はそんなイメージか。
……“程良く”涼を得られていたなら、どんなに平和だったろう。
蒲原の心遣いを有難く頂戴した土門が、反射的に出してしまったのは“手”ではなくて、なんと“口”。
不覚にも 神聖な職務中 に、マリコとのお戯れに興じる裏の顔を出してしまった痛恨のミスは、思い出すだけで恥ずかしい。
心のざわめきが落ち着かないせいか、パッケージの頭文字が だんだんと歪んで見えてきた。
『FOOLish』……!?
悪いのはマリコに骨抜きにされた自分なのか、魅力がありすぎるマリコなのか……。
はて、この問題の責任は、いったい何処にある??
答えの分かりきっている疑問に、情けない溜息をひとつ。
魅惑のデザートに翻弄された『愚かさ』を、ただただ嘆く土門であった。
fin.
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