『父になる』ということ。『母になる』ということ。
「あら?マリちゃん!久しぶりね~。土門さんと仲良くしてる?」
日曜の昼下がり、洗濯物を畳んでいたいずみは、久々の娘からの電話に声が弾んだ。
「……そう!元気そうで良かったわ。お料理は作ってるの?お掃除は、それから……………え?」
いずみの手がピタリと止まる。
「マリちゃん、それ…………ほんとう?」
いずみは畳みかけのタオルをぎゅっと握りしめ、電話の向こうの声に耳を澄ませる。
そして、いずみは娘の返事に顔をくしゃりと歪ませた。
「…………マリ、ちゃん」
その一言を最後に、いずみの声は途絶えてしまった。
「母さん?母さん、聞こえてる?」
『………………聞こえて、る、わよ……』
暫くして聞こえた返事は嗚咽混じりだった。
「母さん……」
『父さんに、代わる…か、ら。ちょっと待って、ちょうだい……』
そういうと、パタパタという足音と『父さん!』と伊知郎を呼ぶ声が遠くに聞こえる。
『もしもし!まぁちゃん!母さんから聞いたよ。おめでとう!!』
伊知郎は興奮しているのか、鼻息まで聞こえてきそうだ。
「ありがとう。父さんもいよいよお祖父ちゃんね」
『望むところだよ!でも体調はどうなんだい?仕事も続けてるのかい?』
「体調は悪くないわ。薫さんも協力してくれるし。仕事も続けてるけど、危険なことや無理はしないように、科捜研の皆から見張られてるわ」
やや不服そうなマリコに、伊知郎は『ハハハ』と笑う。
『流石のチームワークだ。日野くんには父さんからも連絡しておくよ。まあ、土門くんがいれば安心だが…何か協力してほしいことがあれば、いつでも連絡してきなさい』
「ええ。ありがとう。あの、母さんは?」
『うん?母さんは……ちょっと今は忙しいみたいだ。伝言があるなら聞いておくよ』
「ううん。大丈夫」
『そうかい?それなら、ちょっと土門くんと代わってもらえるかな』
「待ってね。……薫さん、父さんが代わってほしいって」
土門はマリコからスマホを受けとる。
「もしもし、ご無沙汰しています……」
『土門くん、何かとマリコをサポートしてくれているらしね。ありがとう』
「いいえ」
『知っての通り、無茶をしないか…それだけが心配でね。どうかよろしくお願いします。マリコを最後まで支えてやってください』
「はい。もちろんです」
『それと、マリコにも話したけれど、助けが必要なときは遠慮せず連絡してほしい。皆が待ち望んでいる贈り物だ。どんな協力だって惜しまないよ』
「……ありがとうございます」
土門は力強い義父の言葉に、思わずその場で頭を下げるのだった。
通話を終えた伊知郎は、『よいしょ』とその場に胡座をかいて座る。
そしてそっと手を伸ばした。
自分の隣で必死に声を抑え、ポロポロと泣き崩れる妻の背をやさしくさする。
「母さん、良かったね」
いずみは、何度も頷く。
「とうとう母さんも……、お婆ちゃんだね?」
その言葉に少しだけむっとしたいずみが、伊知郎を睨む。
その顔は、マリコが甘えたように土門を睨む表情と瓜二つだった。
翌日。
帰宅した土門の自宅の郵便受けには、不在票が数枚挟まれていた。
どれも送り主は『榊いずみ』。
二人は顔を見合わせた。
「な、何だか、嫌な予感がしない?」
「……とりあえず、再配達してもらわないとな」
一時間後。
数社の宅配ドライバーが順々に段ボール箱を届けに来た。
一つには、出産関連の書籍と、横浜周辺の産院のパンフレット。
一つには、妊婦によいとされる食品やサプリメント。
一つには、マタニティーウェアーやインナーの一式。
マリコは呆気にとられた。
「おい、手紙が入ってるぞ」
土門がマタニティーウェアーの箱から折り畳まれたメモのような手紙を発見した。
開くと。
『マリちゃんへ。
性別がわかったら教えてね。
ベビー服を用意するから。
とりあえずどっちでも着れるように黄色を買って、明日にでも送るわね。
母さんより。』
昨日の電話の、あのしおらしい声は何だったのか……、さすがのマリコもこの母には勝てないと白旗を上げた。
母さんに比べたら、土門さんの心配性なんて可愛いもんだわ……。
Sigh……。
どっと疲れたマリコはソファに深く沈み込むのだった。