『父になる』ということ。『母になる』ということ。
約束通りマリコを迎え、二人は一緒に帰宅した。
『一体何があったのか…』詳しく事情を聞きたいと思った土門だったが、マリコは酷く疲れた様子で、家に着くなりソファに沈みこんでいた。
「大丈夫か?」
「ええ。疲れが出たのかしら……。少しダルいわ」
「今日はもう休んだほうがいいな」
寝仕度を整えると、二人でベッドに潜り込む。
すると、そっとマリコが土門の手に触れてきた。
こんな風にマリコから甘えてくるのも珍しい。
具合が悪いときぐらいだろうか?
土門はマリコを自分の胸元に抱き込んだ。
とくん、とくん……。
マリコの耳に、規則的な鼓動が伝わる。
そして呼応するように、土門の手がマリコの背中をゆったりと撫でていく。
いつしかマリコの瞼は重くなり……。
その瞳は閉ざされていった。
翌日も、翌々日も、マリコは帰宅するころになると、疲労困憊といった様子でぐったりとしている。
食も細くなっているのか、ここ数日でやつれたようにも見える。
さすがに土門も見過ごせなくなってきた。
早月には1週間と言われたが、今日もマリコから何も聞き出せないようなら、明日は洛北医大を訪れるつもりでいた。
ダイニングテーブルで向かい合い、遅い夕食を食べ始めたところで…待ちきれず、土門は話を切り出した。
「マリコ、この間の検査のことだが……」
すると、マリコは『うっ!』と呻くと、口元を押さえ立ち上がる。
そしてパタパタと洗面所に駆け込んだ。
土門は呆然とした顔でマリコの後ろ姿を見送った。
気になること。
でも命に関わることではない……。
土門は早月との会話を思い返した。
もしかしたら、それは……。
しばらくして、青い顔をしたマリコが戻ってきた。
土門は何も言わず、まずマリコを椅子に座らせた。
そして、水の入ったコップを手渡した。
「ありがとう……」
一口含むと、『ほう…』とマリコは息をつく。
「大丈夫か?」
「ええ……」
「で?」
「?」
「俺に何か話すことがあるんじゃないのか?」
「……………」
マリコは俯きコップを握りしめる。
「ないのか?」
土門はマリコの腕を掴んだ。
そして有無を言わさぬ声色で、妻の名を呼んだ。
「マリコ」
ビクッとマリコの肩が揺れる。
マリコは被疑者ではないし、ここは取調室でもない。
怯えたマリコの様子に、土門はすぐに腕を離し、代わりに手のひらを握った。
「薫さん?」
「怒っている訳じゃない。お前の口から聞きたいんだ。検査の結果はどうだった?」
「貧血検査の結果は問題なかったわ。でも……」
「でも?」
「……………妊娠、しているみたいなの」
ぎゅっとマリコの手を握る土門の力が強くなる。
「なんて顔してるんだ?」
土門は泣きそうなマリコを見て苦笑する。
「だって…。子どものことは、まだ何も話し合ってなかったのに……。今のタイミングで、薫さんは迷惑じゃない?」
土門は少し膝を折ると、マリコと視線を合わせた。
「防ごうと思えばいくらでも出来たことだろう?だが、俺はそれをしなかった。お前もそれを受け入れていた。それが俺たちの答えじゃないのか?」
「……………」
マリコはじっと土門を見つめたまま、肯定も否定もしない。
「マリコ、母親のお前がそんな顔をしたらこの子が可哀そうだ」
土門はそっとマリコの腹部に手を当てた。
「喜んで……くれるの?」
その一言に土門は破顔し、マリコの腰に腕を回すと抱き上げた。
「当たり前だ!嬉しいし、感動した。お前のこの細い体に新しい命が宿っていることに」
そして土門はマリコを見上げ、敬うようにこう言った。
「ありがとう、マリコ」
「!!!」
マリコは、胸元の土門の顔を押し潰すくらい強く抱きしめた。
本当は不安で不安でたまらなかった。
自分の体の変化が。
これからの生活の変容が。
そして、何より土門の気持ちが。
「っぷ!おい、息ができない!それに……」
珍しく土門は赤い顔をしていた。
「押し倒したくなるから……やめろ」
その様子にマリコはクスクスと笑う。
「薫さん、大好き」
そして、ちゅっ、と小さな音を響かせた。
「だから、そういうことは…………お前、わざとだな?」
ほんの少し舌をのぞかせたマリコが、土門には面白くない。
『これはお仕置きだな……』と、マリコよりも熱くて深いお返しをした。
もちろん、母体を気遣って、それはそれは優しいお仕置きではあったのだが……。