ウルフ
さて、時間を少し遡ろう。
蒲原と山上巡査のやり取りが行われた日の、時刻は深夜1時。
土門が仮眠室へ向かうと、照明を落とした暗い廊下に人影があった。
「誰だ?」
誰何の声に、不審者が窓際に近寄る。
月明かりに浮かんだのは……。
「榊!?」
土門は一瞬呆気に取られた。
「何でこんな時間まで残っているんだ?もう依頼した鑑定はないだろう……?」
マリコは無言で土門のシャツの袖口を握ると、空室と書かれた会議室へ土門を引っ張りこんだ。
そして土門を突き飛ばすように部屋へ押し込むと、すぐに扉を閉め、鍵をかけた。
「榊?」
「土門さん」
「何だ?」
「……………」
いざとなったら、言葉が出ない。
マリコは暫く無言で土門を睨みつけた。
「一体、何だ?何か怒っているのか?」
「『何か?』、『怒っているか?』……ですって!?」
マリコはつかつかと土門に近寄ると、ビシッとその胸元に人差し指を突きつけた。
「土門さん。浮気……してるわよね?」
「…………………………はっ?」
「私はそういうことに疎いから、気づかないとでも思った?」
「いや、ちょっと待て!誤解だ!」
「言い逃れするなんて、刑事としてみっともないわよ!?」
「落ち着け、本当に何かの誤解だ!そもそも相手は誰だ?」
「どうして私に聞くの?土門さんが一番分かってるでしょう?」
「分かるか!俺にはお前しかいないぞ?それを疑うなら、誰の話をしているのか教えろ!」
「白々しい……。だったらこれは何!」
マリコは両手を伸ばすと、仮眠のためにネクタイをほどいていた土門の胸元をぐいっと広げた。
「ほら!ここに……………えっ?」
マリコは固まる。
「……………ない」
「何が無いんだ?」
「だってこの前の彼女と土門さんの様子が……」
「だから、その彼女っていうのは誰だ?」
「……山上さんよ」
「………………」
土門は大きく嘆息した。
「彼女とはそんな関係じゃない」
「でも彼女は土門さんのこと……」
「確かにな。好きだと言われた。それは認める。だけどな、お前がいるのにyesの返事をするわけないだろう?」
「………………」
「俺を信じてないのか?」
「信じたいわよ!でも2回も目撃したのよ?」
「2回?」
「仮眠室から服装の乱れた彼女が出てくるところ。そして、いつも続いて土門さんが現れたわ」
「彼女は、俺たち後半の仮眠組を起こしに来ていただけだ。俺が彼女に続けて出てきたのは、たまたまだ。仮眠室にはまた数人残っていたしな」
「で、でも彼女の襟元……。それに土門さんだって慌てて身繕いしてたじゃない」
「俺は仮眠するときはシワにならないようにワイシャツを脱いでいるから、着直していただけだ。だが、彼女のほうは……もしかして、わざとか?」
「わざと?」
「俺は彼女に断るとき、他に女がいることは話した。お前の名前は出していないが……。俺たちのことは多少噂にはなっているからな」
「え、そうなの?」
マリコは目を丸くする。
「相変わらずだな……。知らぬはお前ばかりだ」
土門は苦笑する。
だが、それでいいと思ってもいる。
マリコにはそんな俗っぽい噂を気にするより、鑑定に没頭して欲しい。
そういう彼女が土門は好きなのだ。
「何よ。それじゃあ、私一人が振り回されていたってこと……?」
「そうなるな」
「そもそも、土門さんも悪いのよ。彼女といつも一緒にいるし、仮眠室だって、蒲原さんに起こしに来てもらえばいいじゃない!」
「おい、八つ当たりか?」
それだけではないことを、土門は百も承知だ。
口が緩みそうになるが、滅多にないチャンスを逃さぬため必死に耐える。
“あの”マリコが焼きもちを妬いているのだ。
まさに、晴天の霹靂だ。
「八つ当たりなんかじゃないわ!」
マリコは更に一歩土門に近づくと、踵をあげた。
「土門さん、いつも私に言うわよね?虫除けが必要だ、って」
「?」
「それは土門さんも同じなんだって、今度のことで分かったわ!」
そう言うと、マリコの瞳がキラリと光る。
そして。
――――― カリッ。
「っう」!
ピリリとした痛みの後に、よく知る温もりが触れ、今度は癒すように宥めていく。
マリコが離れると、土門の鎖骨にはたった一つ。
くっきりと、鮮やかな赤い印がついていた。
「マーキングよ」
無意識のドヤ顔は、それだけで土門の中心を熱くさせる。
「二人きりで、こんな場所で……………」
「土門さん?怒ったの?」
低音の土門の声に、マリコが不思議そうな顔をする。
「お前に惚れてる男にこんなことをして……。まさか、ただで済むとは思ってないよな?」
マリコの顔が土門の影で覆われる。
返事をする間もなく、唇を奪われた。
「……!?」
息もできない程荒々しく求められ、マリコはがくんと膝の力が抜けた。
土門はそんなマリコを支え、今度はその首筋に唇を這わせる。
徐々に下へとさがり、鎖骨で止まる。
マリコが土門に付けたのと同じ位置を、土門は甘噛みした。
「あ!んっ……」
そのまま吸いあげると、ようやく土門はマリコを解放した。
「お返しだ。俺がつけた痕は薄いから見つかる心配はないだろう。だから……」
土門はマリコの耳元で囁く。
「明日、つけ直しに行く」
幸い、これから捜査応援がやって来る。
そうすれば、明日は交代で半休くらいは取れるだろう。
それに ーーーーー 。
自分の浮気を疑って噛みつく狼のような
今から24時間後。
毛並みの美しい、小柄な狼は。
不埒で大きくて……優しい狼のもと。
それはそれは美しい鳴き声を響かせているに違いない。
fin.
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