ウルフ
それから数日を研究室に籠って悶々と過ごすマリコとは違い、土門は山上巡査と捜査本部内で常に顔を合わせていた。
やはりしばらくは、土門も山上巡査のことを気にかけていた。
しかしさすがに仕事とプライベートを混同する様子は見せず、これまでと変わらぬ対応を見せていた。
というよりむしろ土門専任のアシスタントのようになり、常に隣で甲斐甲斐しくサポートをするようになった。
山上巡査は、断られても土門を諦める気にはどうしてもなれなかった。
土門のサポートにつかせてほしいと上司に直談判し、それが叶ってからはずっと近くで土門を見ている。
しかし土門が頻繁にスマホをチェックしたり、誰かと親密そうに電話をしたりする様子は全く見られなかった。
『本当に榊さんとつきあってるのかな?』
疑心暗鬼の山上巡査は、先日の二晩の出来事を思い返した。
早朝、自分が捜査員らを起こしに向かったときのこと。
仮眠室を出たところで、偶然マリコと遭遇したのだ。
もうすぐ土門も仮眠室から出てくる……。
そこで、慌てて襟元を掴んだ。
こうすれば、乱れた服を直しているように見えるだろう。
チラリとマリコをうかがうと、やはりその仕草に驚いているようだった。
その場を逃げ出した自分の背後で、土門とマリコの話し声が聞こえた。
これは上手くいくかもしれない…と、山上巡査は一縷の望みを持ってしまった。
そして、同じようなことがもう一晩あった。
その夜以降、山上巡査は土門とマリコが二人でいる場面を目にすることはなかった。
卑怯なやり方だと分かっていても、自分の気持ちが止められなかった。
報告書を手に数日ぶりに一課へ向かっていたマリコは、前を歩く親しげな二人を見つけた。
仕事だけなら問題ない。
でも、あの夜の様子……。
もし、仮眠室で山上巡査の制服が乱れ。
土門が慌ててワイシャツのボタンを止めなければならないような出来事が起こったのだとしたら……。
「それって、浮気よね?」
マリコは二人に気づかれたくなくて、少し遅れて歩く。
報告書は……蒲原に届けた。
今夜も捜査一課の大半は徹夜で捜査にあたることになりそうだった。
交代で仮眠をとる捜査員のために、総務の婦警らは仮眠室の準備に追われていた。
「土門さん、交代は何時にしますか?」
土門の目を避けて廊下へ出たマリコは、偶然土門と婦警の会話を耳にした。
「ふぅ…ん。土門さん、今夜はその時間から仮眠なのね」
何か考えが浮かんだのか、マリコは捜査資料を胸に抱くとそのまま科捜研へと戻って行った。
そんなマリコの姿をじっと見ていたのは山上巡査だ。
むくむくと良くない感情が沸き上がる。
突然“ポン”と肩を叩かれ、山上巡査はビクッと体を揺らした。
恐る恐る振り返ると、そこに居たのは蒲原だった。
「あ、蒲原さん。何かご用ですか?」
「山上さん、ちょっといいかな?」
蒲原に促され、山上巡査は部屋の隅に連れて行かれた。
「山上さん、土門さんとマリコさんに何したの?」
「え!あの……一体何の話ですか?」
「科捜研の人から聞いたんだ。君が土門さんとマリコさんを仲違いさせようとしてるんじゃないか、って」
「そんな、まさか!」
「本当?俺は刑事だよ。刑事相手に嘘をつくことなんて出来るの?」
「……………」
「君が誰を好きになろうと、俺が口出すことじゃないと思う。でも、相手が土門さんなら話は別だ。俺は土門さんもマリコさんも先輩として尊敬してる。その二人を傷つけるようなことは絶対に許せない」
「……………」
山上巡査は黙ったままだ。
「山上さん、土門さんのことが好きなんだよね?」
「…………はい」
ようやく、絞り出すような答えが返ってきた。
「だったら、尚更その人に嫌われるようなことはするべきじゃないな。違うかい?」
山上巡査は虚をつかれたようだった。
自分のしたことは、土門を傷つけ、嫌われることなのだ。
そんな簡単なことに、山上巡査は……今ようやく気づいた。
「土門さんは君のことを買っている。その期待まで裏切りたくないだろう?」
「……は……い。あの、このこと……土門さんには?」
縋るような目が蒲原を見る。
「君が二人にもう何もしないと誓うなら、この話はなかったことにするよ」
「はい、誓います。………ごめんな、さい」
「謝る相手が違うよ」
そういうと蒲原は自分のデスクに戻った。
山上巡査は俯いたまま、土門の背中に深く、深く一礼する。
そして、一課を出ていった。
この日、山上巡査が署に戻ってくることはなかった。
一日の有給を経て、出勤した山上巡査は溌剌としていた。
今までよりも短くなった髪が、歩くたびに跳ねる。
軽くなった髪が、重かった心を開放してくれたのだろう。
今の山上巡査は、一人の上司として……純粋に土門を尊敬していた。