ウルフ
その日、マリコは時間のかかる鑑定をいくつもこなし、気がつけば東の空は白み始めていた。
パブリックスペースには亜美の寝袋が見える。
宇佐見の部屋からもまだ明かりが漏れていた。
「徹夜しちゃったわね。とりあえず、この報告書を届けないと……」
マリコは出来立ての報告書を手に、二課へと向かった。
こんな時間でも一課、二課ともに何人もの捜査員がまだ働いていた。
担当刑事に報告書を手渡し、いくつか内容についてのやり取りを終えると、マリコは科捜研へ戻る。
その途中で、ふと一課に土門の姿が無かったことを思い出した。
「仮眠中なのかしら?」
マリコは少し遠回りして、仮眠室のある廊下を足音に気をつけて歩いてみた。
あと少しで仮眠室の扉に辿り着くというときにその扉が開き、中から人が出てきた。
マリコは目をしばたいた。
男性専用の仮眠室のはずなのに、どう見てもその人物は女性だったからだ。
相手もマリコに気づくと、酷く驚愕した表情を見せた。
そして、バッ!と自分の首元を隠すように襟を慌ててかきあわせた。
そしてチラリとマリコへ視線を向けると、逃げるようにその場を立ち去った。
「……何だったの?」
呆然とマリコが呟いたとき、再び扉が開いた。
まるで今の女性の後を追うかのように現れたのは土門だった。
こちらもなぜか慌てた様子でネクタイを締めている。
「さ、榊?」
土門の声は上ずっているようだ。
「こんな時間にどうした?何か用か?」
あの女性は誰?
どういう関係??
気になることは山ほどあったけれど。
「別に………」
そう言ったきり、マリコもまた先ほどの女性と同じようにまるで逃げるようにこの場を立ち去った。
この日の出来事は、マリコの中でしこりのように残ったままだ。
それでも日々の仕事に終われ、小さく、消えたかのように見えた……。
しかし。
四日後、マリコはまったく同じ状況に陥ることとなる。
その日はどうしても緊急に土門へ伝えなければならない案件が発生し、申し訳ないと思いつつもマリコは仮眠室へ足を運んだ。
角を曲がり直線廊下へ踏み出したところで、目的の部屋の扉が開いた。
出てきたのは、あの時の女性だった。
マリコの足音に気づいた女性は、今夜も両手で首元を隠すような仕草を見せ、マリコとは逆方向に駆け出した。
「待って……」
呼び止めようとしたところで、今夜も土門が現れた。
「榊?こんな時間にどうした…何か用か?」
以前と同じ台詞。
驚いている土門を観察すれば、ネクタイを外し首もとが露になっていた。
マリコの視線を感じ、土門は慌ててボタンを閉める。
その慌てかた……。
その仕草はマリコに疑念を抱かせるには十分だった。
「…………」
マリコは何も答えず、くるりと土門に背中を向けた。
そしてスタスタと元来た道を戻っていく。
「お、おい!榊!?」
自分を呼び止める土門の声を振り切り、マリコは歩きながら考える。
どういうことだろう?
土門さん……彼女と、仮眠室で何をしていたのかしら?
彼女が隠した首もとには、何が……あるのかしら?
マリコは思わず自分の首に触れた。
シャツに隠されたそこには、以前はくっきりと赤い印がついていた。
しかし、今では……。
もう微かな痕さえ残っていないだろう。