ウルフ
それから数日。
土門は交代で張り込み捜査についていた。
日中はほぼ通しで対象宅を見張り、夜に交代すると、報告書の作成にミーティング。
藤倉への報告……と目の回るような忙しさで、仮眠室へ向かうのは毎晩日を跨ぎずいぶんと経ってからだった。
それでも翌朝は4時過ぎには起床し、7時の交代までに新たな情報を精査し、マリコの鑑定結果に目を通す。
一週間を過ぎる頃には、皆、疲労が色濃く現れ始めていた。
「あの、土門さん」
デスクで舟を漕ぎそうになっていた土門は、名前を呼ばれ“はっ”と顔をあげた。
「ん?山上か……。なんだ?」
「明日も皆さん4時起床ですか?」
「ああ、そうだな」
疲れきっているのだろう。
ため息混じりの返事だった。
「よかったら、私、起こしましょうか?」
「なに?」
「皆さんを起こしに行きます。目覚ましよりも私の一喝のほうが効果的だと思いませんか?」
確かに、山上巡査は高くよく通る声をしている。
「いいのか?」
「もちろんです!責任を持って全員を起こします。だから時間を気にせず休んでください」
「ありがとう。悪いな」
ふっと土門は微笑む。
「……………!」
山上巡査はその温かな笑顔に、目が釘付けになった。
『なんて優しい笑顔を見せる人なんだろう……』
胸を締め付ける切なさに、山上巡査は自分の気持ちを押さえきれなくなった。
「土門さん!」
山上巡査は土門を廊下へ引っ張り出すと、人気の無いことを確認し、そっと土門の袖を引いた。
「山上?」
「土門さん。私……土門さんが好きです」
「……………」
「捜査中に言うべきことじゃない、って分かってます。本当は事件が解決してから伝えようと思ってました。でも、我慢できなくて……。迷惑、ですよね?」
「……………」
土門は何か考え込んでいるのか、無言のままだ。
「返事は事件が解決してからで……」
「いいや。確かにお前の言う通り、今するような話ではないな。だが、気持ちは嬉しい」
山上巡査の目に希望の光が宿る。
しかし、それをそのままにしておくべきではないことを、土門は十分に分かっていた。
「だが、俺には大切な
可哀想だとは思う。
しかしここで曖昧な態度を取れば、今度はマリコを悲しませることになる。
それだけは絶対に避けなければならない。
土門にとって、マリコより大切な存在など在りはしないのだ。
「……………」
「山上…。すまん……………」
「いい、え。……ありがとう、ございます。ちゃんと…向き合ってくれて。あの……まだ、すぐには……む、り…ですが……」
その先は声にならなかった。
山上巡査はペコリと頭を下げると、そのまどこかへ走って行ってしまった。
土門は大きなため息をつくと、スマホを取り出した。
無性にマリコの声が聞きたかった。
まだ20時を回ったところだが、しばらく経ってもマリコは電話に出ない。
諦めようか悩み始めたとき、通話が繋がった。
『もしもし。土門さん、どうしたの?』
「いや…特に用事はないんだが。忙しかったか?」
『いいえ。ちょうどお風呂に入っていたから……』
「風呂……?」
思わずあらぬ想像をしてしまい、土門の喉がごくりと鳴った。
『土門さん……………』
その音が聞こえていたのだろう。
マリコは呆れたような声色だ。
「あ、いや。そうじゃなくてだな…。というか、……………すまん」
焦った土門は支離滅裂になり、最後は何故か謝罪した。
『どうして謝るの?』
くすくすと向こう側からの軽やかな笑い声が、土門の耳をくすぐる。
『今度、一緒に入る?』
「なにっ!?」
マリコの爆弾発言に、すごい勢いで土門の血液が逆流する。
『あまり無理しないでね。おやすみなさい……』
気づけば通話は切れていた。
土門はほんの少しのやりとりで、ずいぶんと気分が晴れやかになったことに気づいた。
思わぬ副産物も手に入れて、もうひと踏ん張りしようと、腕を伸ばした。
「さて、さっさと報告書を仕上げちまおう」
山上巡査は化粧室の水道で勢いよく顔を洗う。
何度も何度も洗うたびに水滴が飛び散る。
「……ひどい顔だなあ」
鏡に映った顔は、目が腫れぼったく赤らんでいた。
「こんな顔じゃあ、土門さんに心配かけるよね」
ポーチからコンシーラーを取り出す。
腫れは前髪を多めに下ろせば少しは隠れるだろう。
赤い部分はコンシーラーで誤魔化した。
今日はこのまま帰宅して、明日は4時前には出勤しなければならない。
土門との約束なのだ。
ーーーーー 科捜研の榊さんと付き合っている…。
ーーーーー 大切な女がいる……。
それでもやっぱり………。
山上巡査は、何かを決意したように鏡の中の自分に頷いた。