一級葬祭デレクターの受難
「榊さん、ありがとうございました」
「いいえ。怪我がなくて何よりです」
後味の悪い事件ではあったが、明子もマリコもほっと息を吐いた。
「明子さん!ケガ、ケガしてはりませんか!?」
たった今、到着した覆面から降り立った良恵が明子へ走り寄る。
「よしえさん!?どうしてここへ?」
「うち、明子さんが心配で…。狩矢さんにお願いしたんです」
「そう。大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」
「あんさん……榊はん、どしたな?」
名前を呼ばれ、マリコが振り返ると秋山が立っていた。
良恵と一緒に覆面でやってきたのだろう。
「はい……」
「あんさんのお陰で、ご葬儀一回分のお代がパアですわ!うちの会社は大赤字!大損害ですわっ!!」
秋山はマリコをのぞきこむようにして、ものすごい剣幕で詰め寄る。
思わずマリコは身を反らせ、後ずさる。
「ちょっと、秋山さん!」
明子がおろおろと、秋山を宥める。
「……でも」
秋山はずり落ちた眼鏡の奥から、マリコを見る。
「うちの社長を庇ってくらはった事には、礼を申しますわ。あっこはんに何かあったら、うちは先代に顔向けできしまへん」
「秋山さん……」
明子は父親を慕うような眼差しを秋山に向けた。
「ただし!それとこれとは別でっせ!前回のご葬儀キャンセル代は京都府警宛で請求書を送らせてもらいますさかい。ええどすな?狩矢はん!」
「いや…、秋山さん……」
狩矢警部は頭に手を当て、弱り顔だ。
「そうと決まれば、良恵!さっさと仕事や!!」
「すみません。狩矢さん。榊さん」
しきりと明子が頭を下げる。
そのとき、明子のスマホが鳴り出した。
「あの、ちょっと失礼します……」
明子は皆から離れ、電話に出た。
『春彦さん!』
電話に向かう明子の声は、これまでのキリリとした印象とは違い、とても柔らかく女性的だった。
「春彦さんというのは、明子さんの婚約者だ」
狩矢警部が不思議そうな顔をしている土門とマリコに説明した。
「婚約者……ですか」
「残念だったな、土門!」
「はっ!?」
狩矢警部はポンと土門の肩を叩くと、橋口を伴って覆面へ乗り込んだ。
「土門さん。もしかして、明子さんのこと……」
二人のやり取りを見ていたマリコは、じっと土門を見上げる。
土門は深いため息をついた。
恐らく、あれは狩谷のイタズラだろう。
しかし、……おかげで面倒なことになりそうだ。
目の前の女は、婚約者のいる明子のように恋愛に慣れてはいない。
もっと言えば、自分も、マリコも、恋愛偏差値は限りなく低い。
『どうしたもんか……』、土門はマリコをちらりと見る。
そして。
「そんなわけあるか。何、勘ぐってんだ」
――――― 一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、土門はマリコの髪をさらりとすいた。
そして、マリコの背中をトン、と軽く押す。
「さあ、戻るぞ」
土門はスタスタと、車へ向かう。
マリコは。
マリコは土門の触れた場所を確認するように髪を撫で……。
「土門さん、待って!」
彼の後を追って駆け出すのだった。
fin.
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