一級葬祭デレクターの受難
あの世とこの世の境目、賽の河原。
積み重ねられた石礫に、ぼんやりと蝋燭の明かりが揺らめく。
薄暗いその河原の一角に、女がひとり立っている。
死に装束に黒い薄羽織を肩にまとい、何かを訴えかけるようにこちらを見ている。
その女はしばらく何事か話しているようだったが、よくは聞き取れない。
だが、辛うじて、最後だけは聞き取れた。
『人生最後のセレモニー。ご葬儀のご用命は、ぜひとも石原葬儀社へお申し付けくださいませ。心のこもったご葬儀のお手伝いをさせていただきます……』
「おっそいなあ…。どうなっとるんや、まったく!」
祭壇の準備にてんやわんやの会場で、初老の男性が東西南北に走り回っては、花輪に躓き、椅子を蹴倒し、いてっ!と叫んでは足を擦っている。
「秋山さん、何してますの?」
記帳席に腰をおろした女性は湯飲みと大福を手にしている。
「良恵!お前はまた…茶なんぞ飲んどる場合か!ちゃっちゃと準備せえ!ちゃっちゃっと!」
「そやかて、ご遺体戻ってないですよ?」
掛け合い漫才のような二人の後ろをこっそり三人の男女が通りすぎる。
「待った!」
くるりと初老の男が振り返りざま叫ぶ。
「あっこはん、この秋山の目は節穴やないでっせ!」
「あ、秋山さん……」
あっこはん、と呼ばれた女性、石原葬儀社社長、石原明子は喪服に包まれた背筋を緊張にピンと伸ばす。
「狩矢はん、ご遺体はいつになったらもどらはるんどすか?」
「いや、それがですね……」
流石の京都府警捜査一課の狩矢警部も、タジタジと後頭部に手をやり、困り顔だ。
「ご遺体は現在、洛北医大でMRIによる検死中です」
三人目の女性の言葉に、初老の男性のぶっとい眉の下のでっかい目が飛び出しそうになる。
「ちょっと!あんさん!何言うてますの?一時間後には告別式が始まるんでっせ!」
飛んでくる唾を避けるように体をずらした女性は、負けじとくりりと大きな瞳で男性を見返す。
大体…と言いかけたところで、男性はぴたりと口を閉ざし、首を傾げる。
「どちらさんどすか?」
「あ、秋山さん。こちらは……」
「京都府警化学捜査研究所の榊マリコです」
マリコは軽く会釈する。
「榊さん、こちらはうちの社の……」
「秋山、どす。一級……」
「一級葬祭デレクター!」
先程、大福を頬張っていた女性、良恵が割り込む。
「良恵!そこは、わしに言わせぇ!」
「それで、被害者のご家族は?」
秋山と良恵のコント…ではなく、自己紹介をあっさりスルーする。
このブレのなさが、榊マリコである。
「あ、すみません。こちらです」
「ちょっと!あっこはん!!」
明子は顔の前で合掌し、秋山にごめんなさいポーズをすると、マリコたちを控え室へ案内していった。
今回の被害者は
高校三年生だ。
彼はバスケットの試合中、相手選手と衝突し、反動で床へ叩きつけられた。
そしてそのまま救急車で病院へと搬送されたが、一度も意識を取り戻すことなく他界した。
試合中の不慮の事故として片付けられるはずだったのだが、お通夜に足を運んだチームメイトの話を小耳に挟んだ明子は、その死因に疑問を抱いた。
明子の機転のお陰で、ただの事故が思わぬ方向へと転がりつつあった……。
「明子さんが聞いたというチームメイトの話、榊さんにも話してもらえませんか?」
狩矢警部からの依頼に、明子は歩きながら口を開く。
「実は、ご遺体の青年は事故に遭う一時間ほど前に頭痛を訴えていたそうなんです。試合会場へ向かうバスの中で、チームメイトがそれを聞いたと話していました…」
明子はその時のことを思い出す。
それを話していたのは三人の男子生徒だった。
――― あの後で、『頭が痛い』て言ってたらしいぜ
――― マジかよ…。それって……
――― いや、ちげーだろ。実際、ぶつかって倒れたんだしな……
そんな会話がお通夜の席から漏れ聞こえてきたのだ。
――― あの後?
明子はもっと詳しく聞きたいと会話の主を探したが、良恵に呼ばれ、渋々諦めた。
「そこで、ご遺体を確認したところ、試合中にぶつけたのとは反対側に打撲のような跡があることに気づいたんです」
「なるほど。たしかに、試合より前に受けた頭部の外傷が死因の可能性は十分ありますね」
マリコは思案しながら、そう答えた。
「それにしても、そんなことに気づくなんて……石原さんはとても鋭い観察眼をお持ちなんですね!」
マリコは物腰柔らかな明子をみて、目をくりっと見開く。
そんなマリコにも負けない瞳をもつ明子は、『いえ、そんな……』と目を伏せる。
「仕事柄、ご遺体と対面する機会が多いので、何となく違和感みたいなものを感じることがあるんです」
「石原さん……」
「はい?」
「科捜研で働く気はありませんか?」
「は、はい???」
「榊さん、それは無理ですよ。あの秋山さんの目が黒いうちはね」
狩矢警部はマリコの冗談に苦笑するが、マリコは至って本気だ。
ここに土門がいれば、間違いなくマリコを諫めていただろう。
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