鹿と馬につける薬





予定時刻の16時から少し遅れて、捜査会議は始まった。

前方には土門や蒲原、捜査一課の面々と所轄の捜査員が陣取り。
その後方に鑑識、科捜研、そして一番後ろに目隊員は着席していた。
前を見ても、マリコは不在だ。
その間にも、地取り、鑑取を担当した捜査員からの報告が続く。

ガチャリ。

小さな音をたてて、後方のドアが開いた。
遠慮がちに入ってきたのは、マリコだった。
マリコは目隊員に気づいたが、無言で自分の席についた。

「ちょっと、待て」

藤倉が捜査員の報告を中断させた。

「榊、解剖で何か出たか?」

藤倉は遅れて入室したマリコに気づいていた。

「はい。死因は…焼死ではなく、失血死でした」

予想していたとはいえ、その一言に室内がざわめく。

マリコは解剖結果をかいつまんで報告し、詳細は検死報告書を後程配布すると伝えた。

「分かった。よし、地取りの報告に戻ろう」

その後、火災調査官から現状の報告、消防士としての見解を隊長と目隊員が述べ、捜査会議は解散となった。




「榊さん!」

日野と科捜研へ戻ろうとしていたマリコへ目隊員が声をかけた。

「はい?」

「お話があるんですが……」

「マリコ君、僕は先に戻っているから」

日野はそういうと、ひらひらと手を振って行ってしまった。

「何でしょう?」

「あの、今日はもうお帰りですか?」

「え?」

「良かったら、その、食事でも…行きませんか?」

マリコには、目隊員の若者らしいまっすぐな視線が眩しかった。
自分には、きっとこんな風に誘うことはできない。

――――― 奢りよね?

いつもそんな、本心を隠したような言葉しか出てこない。


「目さん、あの……」

マリコが答えようとしたその時、バサッと手元に書類が落ちてきた。

「何をしている?」

「土門さん?」

「鑑定依頼だ。まだまだあるぞ。こんなところで油を売っている時間はないはずだ」

「分かってるわ!油なんて売ってません!!」

ぷっ、と心持ち頬を膨らませ、マリコは土門へ抗議する。

土門はその表情を見て、眉間に皺を寄せた。

「今夜はお忙しいんですね……」

「目さん、ごめんなさい」

「いいえ。気にしないでください。その代わり、次は付き合ってくださいね?」

ペコリ。
頭を下げると、目隊員はマリコの返事を聞くことなく立ち去った。
その右手がぐっと握りしめられていたことに…二人は気づかなかった。




「土門さん、失礼じゃない!」

「まさか、誘いにのるつもりだったのか?」

「何言ってるのよ。私だって今からどれだけ忙しくなるか、見当ぐらいつくわ」

「そうか。それなら良かった」

土門の言葉には棘があった。

「もう!…科捜研に戻るわ」

「おい」

「なに?」

「そういう顔はあいつの前でするな」

「?」

小さく唇を尖らせ、頬を膨らませる。
マリコにそんなつもりはなくても、怒ったその表情はかえってマリコを幼く、かわいらしく見せる。

「……………」

土門は黙ったまま、マリコをじっと見ている。

「土門さん。何だかヘンよ?何かあったの?」

「……………」

「土門さん?」

「………いや。すまん。もう科捜研へ戻れ」

土門は振り切るようにマリコの脇を通り抜けると、渡り廊下の奥へと消えた。




ーーーーー 何をしようとした?

土門は黙々と足を進めながら、自分に問いかける。

『何かあったの?』
そう、気遣うようにたずねるマリコへ、自分は何をしようとしたのか。

府警の廊下のど真ん中で。
同僚たちの目がある、その場所で。

土門は立ち止まると、廊下の壁に拳を打ち付けた。

「くそっ!」

目と名乗ったあの男。
あの男のマリコを見る目が気に入らない。
あの男が自分に向ける目が気に入らない。

それでも。
……この事件にはあの男の協力が欠かせない。

土門は、今この瞬間を持って、自分の感情に蓋をしようと考えた。
そこには、マリコへの想いもまた……。




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