鹿と馬につける薬
ひと月後。
深夜の京都市内で火災が発生した。
明け方近く、ようやく鎮火の目途が立ったころには火元と見られる住宅はほぼ全焼していた。
早朝にもかかわらず、近隣の住民たちは不安そうな表情でその様子を見守っている。
そんな中、消防車の後続に、パトカーを先頭とした車両がぞくぞくと到着する。
制服警察官らは慌ただしく動き、見物人の整理や規制線の配備を行っている。
一台のセダンから降り立ったのは、土門と蒲原だ。
「ひどい匂いですね…」
思わず蒲原が鼻と口を袖で覆う。
「行くぞ」
「はい!」
二人は足早に現場へ向かった。
遅れること数十分。
到着したバンからはマリコを先頭に、宇佐見、橋口が降り立つ。
「マリコさん!」
蒲原の声に気づいた三人もまた、黒煙くすぶる家の中へ踏み込んだ。
土門とマリコが臨場したのには訳がある。
消防局から緊急連絡があったのだ。
消火活動中の住宅に死体がある、と。
そこで、鎮火の目途が立つのを待ち、土門らは現場へ急行したのだ。
「土門さん、ご遺体は?」
「先に搬送されたらしい。すぐに洛北医大へ運ぶように頼んでおいた」
「そう。宇佐見さんは火元と燃焼促進剤の特定をお願いします。呂太くんは写真、お願いね」
「わかりました」
「うん!」
マリコはご遺体が発見された周囲をくまなく観察する。
「榊!」
足元の悪い現場をふらつきながら歩くマリコは危なっかしく、土門は手を差し出した。
「ありがとう」
土門の手を借りながら、マリコは気になるモノを次々と保存袋に収めていく。
「マリコさん!」
マリコが振り返ると、宇佐見は出窓の外を指先で指し示していた。
近づいてみると、出窓の下の壁がやけに黒く焦げ付いていた。
「ここが火元のようですね」
「出窓の下…。普通こんな場所に火の気はないわよね?」
「放火か?」
マリコは土門に頷く。
「宇佐見さん、燃焼促進剤の見当はつきますか?」
「それは灯油ですよ!」
三人の背後から、別の声が割って入った。
「あなた!…目さん!?」
「訓練以来ですね、榊さん。まさか火災現場でお会いすることになるとは思ってもみませんでした」
「マリコさん。お知り合い…ですか?」
「あ、はい。先月の消防訓練で……」
『ああ』と宇佐見は頷いた。
「初めまして。自分は目と申します。“目”とかいて“サッカ”です」
「珍しいお名前ですね。私はマリコさんの同僚で宇佐見と申します」
目隊員は宇佐見にペコリと頭を下げると、続けて土門を見た。
「自分は捜査一課の土門です」
ほぼ同じ身長の二人は、その視線を絡ませる。
――――― まただ……。
土門はひと月前、ほんの一瞬の出来事を思い出す。
そして、確信する。
――――― 間違いない。
『こいつは……榊に惚れている』
「目さん、土門さんは蒲原さんの上司なんですよ!」
マリコの声に二人の間に張られた緊張の糸が途切れる。
「そうですか!土門刑事、よろしくお願いします」
「あ、ああ……」
「ところで、目さんはどうしてここに?」
「自分も昨夜から消火活動に参加していたんです。それに今は火災調査官の見習い中で、皆さんのお手伝いをするよう指示されてきました」
「そうですか!心強いわ。さっそくですが、これ………」
マリコは火元と思しき場所にしゃがみ込むと、矢継ぎ早に目隊員に質問をはじめるのだった。