鹿と馬につける薬





暫くして、ようやく救急車のサイレンの音が近づいてきた。

「目さん、救急車が来ましたよ」

救急隊員を連れて、マリコが戻ってくる。

目隊員はすぐにストレッチャーに乗せられた。

「榊さん、俺は…。こんな情けない男ですみません」

やや息遣いは苦しそうだが、幸い、目隊員の意識ははっきりとしていた。

「目さん、そんな……」

「でも、俺、諦めませんから。出直してきますっ!!…うっ」

力んだ際に傷口が痛んだのか、目隊員の表情が歪む。
マリコは小さく首を傾げると、返事をしようと口を開いた。

「おい!出血がひどいんだ、急いでくれ!!」

土門は焦って、マリコの返事を遮った。

マリコのことだ。
おそらく「出直すって…どこへ」くらいは言い出しかねない。
いくらなんでも、今そのセリフは酷だろう…と、それは土門なりの気遣いだった。




救急車を見送ると、改めてマリコは土門を振り返り、問うた。

「土門さん、どうしてここにいるの?」

「お前を探していたに決まってるだろう!」

「……なんで、ここだって分かったの?」

「それは、だな……」

歯切れの悪い土門を、マリコはじっと見つめる。
じっと。
じっと。
じぃーーーっと。

「ああ、くそっ!非常事態だと、涌田に協力してもらった」

「亜美ちゃん?」

「そうだ、GPSをだなぁ……」

「まぁ!」

「涌田を叱るなよ?」

「そんなことしないわよ。お陰で助かったもの」

「そもそもお前が俺の電話に出ていれば、こんなことにはならなかったんだ」

「何よ!土門さんだってずっと私の電話に出てくれなかったじゃない」

「それは……」

「私のこと、避けてたんでしょ!」

「だから、あいつの誘いに“ほいほい”ついて行ったのか?」

「ほいほい、なんてついて行ってないわよ!大体ね………」

「あー、もう黙ってろ!」

すごい勢いで、マリコの腕が引かれる。
そしてそのまま、マリコは息も止まるほどの力で、土門の胸の中に閉じ込められた。

「心配かけやがって……バカ野郎」

「土門さん……」

「ナイフを見た時は、心臓が止まるかと思った。本当にケガはないんだな?」

「ないわ。大丈夫よ」

「………良かった」

「ほぅ……」と土門は深い深い安堵の溜息をついた。
すると、マリコは土門の背中に手を回した。

「やっぱり違う…」

「ん?」

「土門さんと目さん」

「何の話だ?」

「消防訓練のとき、私、目さんに背負われたの」

土門の眉が不機嫌にピクリと動く。

「………それで?」

「目さんて、身長も体格も土門さんと同じくらいでしょう?だから背負われたとき、背中の広さとか逞しさとか、似ていると感じたの」

「……………」

土門は全くもって面白くない。
あんな男と似ているとは。

「でも、やっぱり違った」

「榊?」

マリコは土門のジャケットの背をぎゅっと掴んだ。

「土門さんの背中の方が……温かいわ」

マリコは土門の胸に顔を埋める。
ふっと嗅ぎ慣れた香りが鼻孔をくすぐる。
自分を安心させてくれる香りに、マリコの口から素直な言葉がこぼれた。

「私は…、土門さんの背中の方が好き……」

小さく呟くような声だったが、ちゃんと土門には聞こえていた。

「俺は、バカな男だな…」

「土門さん?」

マリコは土門の言葉に顔を上げた。

「あいつみたいな若い男にお前を奪われるかもしれない。そう考えたら、どうにもむしゃくしゃしちまってな…。暫くお前への気持ちに蓋をしようと思ったんだが……………」

「だから、私を避けていたの?」

「すまん」

「……………」

「お、おいっ!榊!?」

狼狽える土門の目の前で、マリコはぽろりと涙をこぼした。

「良かった…。わたし、本当に嫌われた、の、か、って………」

最後は嗚咽でかき消されてしまった。

「そんな訳あるか、バカ!」

「なに、よ…。バカは、どもん、さん、でしょ……」

ぐすりと鼻をすするマリコに、土門は笑った。

「そうだな。その通りだ。ところで、榊」

「?」

「『馬鹿につける薬はない』という諺を知っているか?」

ええ、とマリコは不思議そうに頷く。

「俺は一つだけ、治す薬があると思うんだが……。あいにく、それはお前にしかできない」

そういうと土門はマリコの頬に触れ、親指ですっとその唇をなぞる。

「治して……くれないか?」

「……いいわよ。でも条件があるわ」

赤い顔のマリコは交換条件を持ちかける。

「なんだ?」

「治してあげたら、蓋も……もう一度開けてくれる?」

マリコの瞳が揺らぐ。
マリコはどうしても、土門の心の蓋を開けたい。
そして、中身を今すぐにでも解き放って欲しいのだ。

ところが。

「やっぱり、お前もバカだな!」

土門はくくっと笑う。

「なによっ!」

計画変更だ…と、土門は喚くマリコの後頭部へ手を回した。

「俺は蓋を『した』なんて一言も言っていない。『思った』だけだ。第一、そんな蓋、あるわけがない。大きすぎて…蓋さえできないんだからな」

「この気持ちは!」そう告げると同時に、土門は手を引いた。
あっという間に二人の唇が重なる。

「んっ……」

角度を変えて。
浅く、深く……。
何度も、何度も、繰り返し求められる。

「どもん、さん………」

久しぶりに味わうマリコの唇はかぐわしく、土門は暫く我を忘れた。
ようやく解放されたときには、マリコの瞳は潤んでいた。

「やりすぎよ。こんなところで……」

「仕方ないだろう?お互いのバカを治すためだ。だから…………!?」

『もう一度』、そう続けようと開きかけた土門の口は遮られた。


“ちゅっ”


「どう?治ったでしょ?」

「……………」

土門は沈黙した。

コケティッシュなマリコの笑顔と、キス。

それは、効果絶大な特効薬。
しかし……。
この薬は甘く危険な副作用をもたらした。

土門の心の奥深く、“ぽっ”と生まれた小さな炎。
それは、赤ではなく。
もっと熱い、熱い、青い炎。
ハイパーレスキューをもってしても、決して消せない……不滅の炎。




fin.




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