鹿と馬につける薬





昼休みの後で、マリコは日野の研究室へ呼ばれていた。

「消防訓練?」

「そう。今年は科捜研からも参加するように藤倉部長からも言われてるの」

「それで? 」

「マリコくんに出てもらうことにしたから 」

「え!でも私、鑑定が……」

「そっちは宇佐見くんに頼んだから大丈夫 」

「で、でも……」

「もう、出席者名簿にマリコくんの名前を書いてきちゃったから。よろしくね! 」

「そんな…… 」




ここ、京都府警本部でも年に一度、大規模な避難訓練が実施される。
例年ならば、訓練用の緊急速報と同時に署員が外へ避難をするか、室内での避難行動を取るくらいのものなのだが。
今年は何故か佐伯本部長が俄然やる気を出し、消防本部と合同で消防訓練が行われることになったのだ。
そこで、各課、関連部所などから参加者を決め、半日を掛けて本格的に消化活動や消防士との実地訓練を行う。
そこに、科捜研からはマリコが参加することになったというわけだ。



マリコが自室で消防訓練の計画書を読んでいると、ガチャリとドアが開いた。

マリコは書類から目だけを向ける。

「榊、ちょっといいか? 」

「土門さん、ノックは?」

「実はこの鑑定を頼みたい 」

自分の不平を綺麗にスルーされ、マリコはため息をつく。

「いつまで?」

「明日だ」

マリコは土門から依頼書を受け取り、ざっと目を通した。

「悪いけど、私には無理だわ」

「何故だ?」

「明日は鑑定する時間がないのよ。宇佐見さんに頼んでおくわ」

土門は不思議そうな顔をしている。
いつもならNGを出さないマリコが珍しく即答で拒否したことが腑に落ちないのだろう。

「明日、消防訓練に参加することになったの!」

「科捜研からはお前が出るのか!」

「所長が勝手に決めちゃったのよ…。一課は誰が出るの?」

「蒲原だ」

「……………」

「なんだ?」

「土門さんが決めたんでしょう?自分が出たくないから…」

「濡れ衣だ。決めたのは俺じゃなくて、藤倉部長だ」

なーんだ、とマリコは面白くなさそうに口をとがらせる。

「悪かったな、参加するのが俺じゃなくて」

「本当よ……。土門さんだと思ってたのに」

「榊?」

「じゃあ、これ。宇佐見さんに頼んでおくわね」

「お、おう」

それで話は終わり…、とマリコは再び書類に目を落とす。

やれやれと肩を竦めた土門は、マリコの目の前のデスクにコトリ、と小さな音を響かせた。

そして立ち去ろうと背中を向けた時、ジャケットの裾が掴まれた。

土門が振り返る。

「ありがと」

マリコは、今しがた置かれた缶コーヒーのお礼を土門に伝える。

「奢りじゃないぞ」

「お金取る気?」

目を丸くしたマリコに。

「金はいらん。代わりに……」

甘い午後のひとときは、幸い誰にも目撃されずに済んだようだった。




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