ひととせ





「あ!」

マリコは突然思い立つと、いそいでキッチンへ向かう。

「うっかり糠床を混ぜ忘れるところだったわ!」

マリコはルンルンと糠床を取り出し、蓋を開ける。

順調に自分の常在菌と反応し、味の深みを増している糠床が、マリコは可愛らしくて仕方ない。

「きゅうりと、人参もいい頃合いね」

それぞれ取り出す。

「今夜はこれでいいわ。土門さんも疲れが溜まっているようだし、人参を食べてもらわなきゃ」

マリコが手を洗っていると、テレビでは関東で発生した立てこもり事件のニュースを放送していた。

そういえば……。

マリコはホテルで発生した事件のことを思い出した。

その事件では、たまたま発砲現場に早月が居合わせ、監禁されてしまったのだ。
解決後に聴取を終えた土門の話では、早月はかなり危ない橋を渡るような行動をしていたらしい。
それでもその早月の医師としての使命と勇気ある行動のお陰で、マリコたちは犯人の情報を入手し、事件を無事に解決することができたのだ。

解放された直後、ほっとマリコにもたれ掛かった早月のことは今でも忘れない。
マリコにとって、早月は友人であり、同士であり、尊敬する女性だ。

できることなら、これからもずっと……。

そんな思いに耽っていると、ぬっと目の前に土門の顔が現れた。

「きゃっ!土門さん!!ビックリするじゃない……」

「ちゃんと声はかけたぞ。何をボンヤリしてる?」

「え?そうだったのね。ごめんなさい……」

「いや。具合でも悪いのか?」

「ううん、違うわ。土門さんのほうこそ疲れているでしょう?ちょうど人参が漬いたから、食べましょう?」

「おっ!うまそうだ。他の料理はともかく、ぬか漬けはずいぶんと上達したな。今じゃあ、茄子も綺麗な紫色に漬けられるようになったしな」

『最初のころは……』と話し始めようとする土門の口を塞ぐために、マリコは強硬手段に出た。

“ちゅっ”と小さな音のあと。

「何度その話題を出すつもり?同じ話を繰り返すのは歳をとった証拠よ!土門じぃじ?」

「!?」

ぐうの音も出ず、この日は土門の完敗となった。




fin.



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