大正浪漫譚





背中がほんわか温かくなる…。

『ああ…。土門さんがジャケットをかけてくれたんだわ』

マリコは半覚醒の意識の中で、そう感じた。
実際、マリコは鑑定の途中で寝落ちしてしまい、デスクに伏せっているのだ。
そして、確かにその背には土門のジャケットがかけられている。

『温かい……』

その温もりと香りに、とうとうマリコは最後の意識も手放した。




「え!?」

目を覚ますと、マリコは自転車に乗っていた。
しかしいつもの自分の自転車とは違い、乗り心地が悪い。
道も舗装されておらず、ガタガタしている。

「え!?ここ、どこ?」

見知らぬ景色に意識と視界を奪われる。

「危ないっ!!!」

突如聞こえた怒声に顔を正面に戻したマリコは、目の前に迫る大木に思わず目を閉じた。

――――― ガシャン!

派手な音が響き渡る。

「痛い……くない?」

「イタタ……。大丈夫か?」

「え!?」

自分の下から聞こえた声に目を向けると、マリコは一人の男性をクッションにしていた。

その男性は……。

「土門さん!?」

「如何にも、自分は土門少尉だが…。あなたとは面識がない。誰だ?」

「え?」

マリコはポカンと、辺りを見回す。

確かに周囲は見たことがないし、何より下敷きにしている土門の格好がおかしい。

「ところで、そろそろ下りてはもらえないだろうか?」

「あ!ごめんなさい」

マリコは体を退かそうと慌てて動く。

………と。

「いたっ!」

足首に激痛が走った。

「どうした?」

「足首を捻挫してしまったみたい……」

「それは、いけない。家はこの近くか?」

「家…………?」

マリコは途方に暮れてしまった。
ここが何処だかわからないということは、当然家の場所など見当もつかない。

突然黙ってしまったマリコに、何かを感じ取ったのだろう。
土門少尉は手を差し出した。

「立てるか?ともかく手当てをしよう。もしよければ、自分の家に来ないか?」

「……はい、すみません」

衝撃に壊れた自転車は置き去りにし、土門少尉はマリコを背負って歩き出した。

「すみません…。ええと、土門……」

「少尉だ」

「『しょうい』というのは下の名前ですか?」

「いや、軍の階級だ」

「軍?」

そういわれてみれば、目の前の土門そっくりの男は軍服を着ている。
国防色のかっちりとした詰め襟の軍服は、その人によく似合っていた。
色は違うが、マリコは土門の制服姿を思い出した。


「あの……つかぬ事をお尋ねしますが、今は何年でしょう?」

「今は大正6年だが?」

「た、大正……!?」

マリコは驚きに声が裏返ってしまった。

「そんな……」

マリコが呆然としている間に、土門少尉の自宅に到着した。

「通いのお手伝いさんがくる以外は自分一人しかいない。遠慮せずくつろいでくれ」

マリコが以前住んでいた町家のような造りの家は、一人で住むには少々広いような気がする。

「以前は妹がいたんたが、先頃嫁に行ってな……さあ、足を」

土門少尉はマリコの足に触れると、冷えたタオルを当てた。

「気持ちいい……」

痛みが和らぎマリコは、ほうと息をつく。

「ところで、あなたの名は?」

「あ!…マリコ。榊マリコです」

「では、マリコさん」

「……はい」

土門と同じ顔の男性に『マリコさん』と呼ばれるのはこそばゆい。

「変わった洋装をしているな?あなたは異国の人か?」

「それは……」

マリコは白衣を纏ったままだったのだ。

マリコは悩んだ。
正直に話して、信じてもらえるような話ではない。
でも……。
土門に良く似たこの人なら、力になってくれるかもしれない。

「あの、土門少尉……」

意を決すると、マリコはここに至ったいきさつを土門少尉に話し出した。

「突拍子すぎて、信じられないが…。マリコさんは嘘をつくような人では無さそうだ。この先どうなるのか不安だろう。自分に手伝えることがあるとすれば…居場所を提供するくらいだ。マリコさんさえよければ、しばらくうちに居てもらって構わない」

「本当ですか?ありがとうございます」

マリコはほっと胸をなでおろした。。
身の置き所が決まったこと、そしてそれが土門と良く似た男の傍であったことが、何よりマリコを安心させた。

「しかし、その格好では良くも悪くも目立つな。妹のもので申し訳ないが、今着替えを用意しよう」

そういって、しばらく席を外した土門が携えてきたのは紫色の矢絣やがすり柄の着物と、濃い赤の袴だった。

「これを」

「………………」

「何か?」

着物を手にしたまま黙ってしまったマリコを、土門少尉が心配そうに見つめる。

「あの……。私、自分で着物を着たことがなくて……」

「は!?そ、そうなのか……」

土門少尉はどうしたものかと思案する。

「では、まず着物を羽織ってくれるか?その先は手伝おう。羽織ったら声をかけてくれ」

それだけ言うと、土門少尉はくるりとマリコに背を向けた。

シュルリと衣擦れの音が土門少尉の耳に届く。

「あの……羽織れました」

土門少尉が振り向くと、マリコは前合わせを逆に羽織っていた。

「これでは逆だ…」

土門少尉は視線を逸らし、着物を一度広げる。
視界の端にマリコの襦袢姿が映りこんだ。

改めて着物に意識を集中させると、正しく襟をあわせる。
腰紐を回し、縛る。

『なんて細い腰だ……』

土門少尉はマリコの背筋から腰にかけての美しいラインに見惚れた。
頭に浮かんだよからぬ妄想を、無理やり追い出す。

「次は袴を……」

マリコは屈んだ土門少尉の肩につかまるようにして、袴に足を通す。
すると、今度ははだけた着物の裾からマリコの白いふくらはぎが覗き、土門少尉の目を奪う。

それでも何とか着付け終えると、マリコもいっぱしの大正浪漫ロマン漂う女性に仕立てあがった。


マリコは白衣とそれまで着ていた服を畳むと、部屋の隅に片付けた。

「さあ、お世話になるんですもの。料理でも掃除でも何でもします!」

たすき掛けも勇ましく、マリコは奮闘を始める。
しかし……。

「マリコさん、料理も掃除も、通いのお手伝いさんにまかせればいい。それより足を捻ったのだから、安静にしていたほうがいい」

台所の惨状に土門少尉は苦笑しつつ、それでもマリコの足を本当に気遣っていた。

「でもそれでは……」

「そうだな……。それなら、これに付き合ってもらおうか?」

土門少尉がマリコの前にドン!と置いたのは碁盤だった。

「囲碁……ですか?」

「唯一の趣味でな。できるか?」

「ええ。少々……腕に覚えはあります」

マリコの瞳がキラリと光った。




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