Love is all
次に土門が目覚めたとき、そこは一般病室だった。
腕に重みを感じて視線を向けると、マリコが土門の手を握ったまま突っ伏して眠っていた。
土門は酸素マスクを外すと、マリコの髪に触れた。
起こすのは忍びなかったが、どうしてもマリコの顔が見たかった。
その声が聞きたかった。
「榊?」
「ん……」
ピクリと睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開く。
少しずつ現れる黒曜石のような美しい瞳に、いつも土門は惹き付けられる。
「榊」
「んんっ……?どもん、さん?土門さん!?」
がばりと顔を上げたマリコは、ペタペタと土門の顔、肩、腕と触りまくる。
「お、おい!やめろ。今の俺は動けないんだ。煽るな!」
「は?」
マリコは文字通り目がテンになる。
「な、な、なに言ってるのよ!痛むところはないか触診で確認しているだけよ!」
『もう!』と顔を赤くしてむくれるマリコに、ハハハと声を上げて笑った土門は、すぐに脇腹の痛みに顔をしかめた。
「ほら、大人しくしてないからよ!」
ごらんなさい、とばかりのツンデレっぷりのマリコ。
土門はそんなマリコの名前を呼んだ。
「榊……」
「なあに?」
「榊……」
「土門さん?」
「榊……、お前が無事で、本当に良かった」
土門は、マリコを見つめている。
黒い
それほどに深い場所で、土門はマリコを想い、案じていた。
「土門、さん……」
「俺は根っこまで刑事だからな。誰かが危害を加えられそうになれば、いつでも盾になる。もう、条件反射みたいなもんだ。だが、今回は違った」
乾いた唇を引き結び、改めて開く。
「お前が刺されるかもしれない…。そう思った瞬間。一瞬だけ……ためらった。お前を助けることを、じゃないぞ!お前を喪うかもしれない恐ろしさに、頭が真っ白になっちまった。それでも、体は勝手に動いていた。お前を守る。それが俺の本能に刻み込まれているらしい。思考よりも、本能で動くタイプだからな、俺は」
「土門さん……」
「そういえば、お前も話したいことがあると言っていたな。何だ?」
一息に話し終えた土門は、今度はマリコへ矛先を向ける。
「あ、うん。……でも、そんなに話していて体は辛くない?」
「心配いらん。鍛え方が違うからな」
「そう?でももう若くないんだから……」
「余計なお世話だ!……と、また誤魔化そうとしているな?いつも言ってるだろう?俺には何でも話せ!」
「……………」
「榊!」
「……………」
マリコはいざとなったら、口が重く、開かなくなってしまった。
何度たずねても答えない。
そんな意地っ張りの科学者に、土門はため息をつく。
そして。
「マリコ」
「え!?」
「俺には言えないようなことか?」
「あの………」
「俺はどんなことだって、知っておきたい。マリコのことなら」
「………………」
もう一度だけ、呼ぶ。
「マリコ?」
「あの、…あのね。土門さん、軽蔑するかもしれない……」
「聞いてみなけりゃ、分からないな」
「うん。そう、そうよね。……分かったわ」
ようやく、腹が決まったようだ。
「私、土門さんの傍から逃げたの……」
「……………」
土門は黙って先を促す。
「土門さんの手術が終わって、少し安心してICUへ向かったの。そうしたらね、土門さんの隣のベッドの患者さん…。同じ事件の被害者だったんだけど…………亡くなられたの。その方、女性だったんだけど、ご主人かな?……ずっと側で手を握っていたわ。そのときにね、思ったの。もしかしたら、私も同じ立場だったかもしれない、って」
マリコは言葉を切ると、一度息をつく。
なおも土門は黙ったままだ。
まだ先のあることを見越しているのだ。
敵わない ―――――。
マリコは、土門の手をとった。
指と指を絡ませる。
繋ぎあわせた場所から、じんわりと温かくなる。
土門の温もりを勇気に代えて。
マリコは息を吸い込むと、続けた。
「そして………。同時に思ってしまったの。『ああ、土門さんじゃなくて良かった……』って」
マリコは顔を歪ませる。
「警察の人間としてだけじゃない。人として私は最低だわ。土門さんが身を呈して守ってくれたのに、それが私みたいな人間だったなんて……呆れて失望したでしょう?」
マリコは自嘲する。
「そんな私は土門さんの傍にはいられない。ふさわしくないって思ったの。だから病院を飛び出してしまったの……」
「でも、お前は戻って来たんだろう?俺が目覚めたとき、お前はそこにいた」
「それは……。土門さんを一人にしちゃいけないって、気づいたから」
マリコは恥ずかしそうにうつ向く。
「そうか。目覚めたとき、一番始めに浮かんだのはお前のことだった。だから、お前がいてくれて何より嬉しかった。ありがとう」
「ううん……」
「榊、お前は最低な人間なんかじゃない。誰にだって悪魔は囁きかける。俺だって例外じゃない。もしお前と逆の立場なら……」
「同じことを考える?」
「ああ。だが、問題なのはそう思った後の行動だろう。お前は自分の想いを反省している。それで十分だ。誰もお前を責めたりしない」
「でも………」
繋いだ手をそのままに、土門はマリコの体を引き寄せる。
「もう、いい。今はお前が無事に俺の隣にいる…、それで十分だ」
「土門さん、土門さん……」
マリコは頬を寄せ、二人は目を閉じる。
重なり合わせるために、吐息が近づく……。