Love is all
電話から二十分も経っただろうか。
「はあ、はあ」と息を切らせたマリコが、皆の前に現れた。
「マリちゃん!」
まず駆け寄ったのはいずみだ。
「マリちゃん、大丈夫なの!?」
「へ、……へ、い、き。はあ……」
「マリコさん、お水」
美貴は面会コーナーから水を貰ってくると、マリコに差し出した。
「ありが、と」
コクンと一口飲み込むと、ようやくマリコはほっと息を吐き、呼吸が落ち着いた。
「まぁちゃん、みんな心配していたんだよ。どこに行ってたんだい?」
「父さん、母さん、美貴ちゃん。ごめんなさい。少し……気持ちが揺らいだみたい。気づいたら海にいたわ」
「マリちゃん……」
いずみが労るように、マリコの手に触れる。
「でも、もう大丈夫。それより、土門さんは?」
「さっき先生が回診に見えられて、もう大丈夫だろう、って。麻酔が切れれば目を覚ますだろうって言われました。お兄ちゃんの驚異の回復力に先生も驚いていました」
「そう!良かった……。本当に、本当に良かったわ」
「マリコさん、色々聞きたいこともあるんですけど、まずはお兄ちゃんの側にいてあげてください」
「ええ。もちろん!」
――――― もう、逃げたりしない。
それからというもの、マリコの視線は薄いガラスをすり抜けて、ずっと土門の顔に注がれている。
どんな些細な変化も、絶対に見逃さないように。
「マリちゃん、少しだけでも何か食べたら?私が代わるわ」
「いいの。きっともうすぐ目を覚ますはずだわ」
「マリちゃん……。マリちゃん、変わったわね」
「そう?何処が?」
「あなたは昔から他人に対して執着心が薄かったじゃない?お友だちも、翌年クラスが変わればほとんど話さなくなったりしていたもの」
「そうだったかしら?」
「そうよ。興味があるのは不思議な事象だけ。父さんにそっくりだったわ」
「いやだ。止めてよ」
「でも、土門さんは…違うのね?」
いずみは静かにたずねる。
「…………」
「彼はマリちゃんの中の優先順位の一番なの?」
「よく……わからないわ。でも、順番なんて付けられないの。比較対象が存在しないのよ」
マリコは困ったような顔をしている。
そんな娘の様子に、いずみは『そう!』と何故だか嬉しそうだ。
「そういうの、何て言うか知ってる?」
「?」
「『唯一無二』って言うのよ。あなたも出会えたのね。この世界でたった一人の相手に……」
「土門さんが?」
その時、土門が小さく呻いた。
「土門さんっ!」
看護師が土門のベットに駆け寄り、バイタルチェックを行う。
意識が戻ったらしい土門は、看護師に話しかけられ、しっかりと頷いている。
ガラスの内扉が開き、看護師が顔を出した。
「短い時間にお一人だけなら、お会いできますよ」
「美貴ちゃん、呼んでこないと……」
病室を出ようとするマリコを留め、いずみはそっとその背中を押した。
「何言ってるの?まず土門さんが会いたいのはあなたでしょう」
「でも……」
「美貴ちゃんには私から伝えておくから。早く行きなさい、マリコ!」
その言葉にマリコは背筋がピンと伸びた。
そしてその足は、自分の意思を無視して土門のもとへ向かった。
「土門さん……」
「榊……」
酸素マスク越しにヒューヒューと雑音は混じるが、土門の言葉はマリコへ届く。
「け、が、は?」
「ないわ。でも代わりに、土門さんがこんなことに…。私なんか庇うからよ……」
すると土門の腕がゆっくりと伸び、マリコの手を驚くほどの強さでつかんだ。
「おまえ、だからだ」
土門は怒っているのか、不機嫌そうに眉を寄せている。
マリコも本当は分かっているのだ。
だから。
「ごめんなさい。そして、ありがとう……」
その言葉に、土門は喉の奥を振動させる。
目を細めたその顔は、土門が笑っている証拠だ。
「よし」
「もう!何がよし、よ……」
看護師が近寄り、マリコの肩に触れる。
そろそろ時間なのだろう。
「土門さん。今夜はここにいるわ。明日には一般病室に移れるから……そうしたら、話したいこと、聞いてほしいことが沢山あるの。いい?」
土門は自身の小指をマリコのそれに絡ませた。
マリコが土門に顔を向けると、しっかりと頷く。
「土門さん……」
泣くまい、そう決めていたのに。
ポロリと零れてしまった一滴が、土門の腕に落ちる。
土門は必死に腕をマリコの顔へ伸ばそうとするが、チューブが邪魔で届かない。
「いいの、大丈夫よ。安心したから気が抜けたのね」
マリコが淡く微笑むと、土門も安心したのか、ゆっくりと瞼を閉じた。