二枚の写真と母
「お待たせ」
「あ、ああ……」
土門がちらりと顔を向けると、マリコは部屋着に着替えていた。
何となくほっとし、土門はようやくまともにマリコと目を合わせた。
「お袋さんは無事に帰ったのか?」
「ええ。もう参っちゃうわ…。いつも突然なんだもの。仕事だったらどうするつもりだったのかしらね」
マリコは不貞腐れる。
「土門さんは?お払いだって言ってたけど…?」
「毎年、元旦に職員でお参りすることが恒例らしい」
「そうなのね。それにしても混んでいたわ。着物も着ていたし、もう肩凝りが酷くて」
不満が漏れ続けるマリコを止めようと、土門はその薄い肩に両手を置いた。
そして、ゆっくりと少し強めの力で揉み上げる。
「土門さん?」
「本当だな。固い」
「…………」
気持ちが良いのだろう。
マリコは目を閉じ、されるがままになっている。
「榊」
「なあに?」
「見合いの件だが……」
「あ、もう少し外側!」
「ん?ここか?」
「そうそう。気持ちいいわ」
「それで、見合いの件は……」
「もう少し強めでも大丈夫よ?」
「そ、そうか。このくらいか?」
「ん…。最高だわ。土門さん、上手ね」
「ありがとう。……じゃなくてだな。お前、わざと話を逸らしてるな?」
土門の手が肩から離れ、するりと鎖骨を撫でた。
「きゃっ、くすぐったい!」
そのまま、部屋着の中まで手を伸ばそうかと考えた土門だったが、まずは取り調べが先だ。
「榊、白状しろ。見合いとはどういうことだ?」
「何でもないわよ。母さんのいつもの気まぐれよ」
「それにしては、さっきは随分必死に、俺に撮影を頼んできたな?」
「…………」
「これでも元刑事だぞ?逃げおおせると思うのか?」
ひたっ、と土門の視線がマリコを捕らえる。
例え現場を離れていても、その眼光の鋭さは変わらない。
むしろ発揮されることが減った分、却って威力が増したかのようだ。
「榊!」
「…………」
ビクン!と肩を揺らしながらも、マリコは尚も抵抗を続ける。
呆れた土門は、攻めかたを変えることにした。
マリコの背後から両手を伸ばすと。
「ちょっ!やめ……あはははは」
脇腹をこれでもかとくすぐる。
「降参するか?」
「す、する。するわ!だからもう止めて……あはは」
ピタリと動きを止めた土門は、脇腹から手を離そうとして……逆にマリコに捕まった。
マリコの温かな手のひらが、土門の手をぎゅっと握る。
「榊?」
「母さんにね、言われたの。子どもを考えるなら、もうそろそろ限界だって。今回のお相手は私の大学の同期生だったの。だから、母さんがいつにも増してその気になっちゃってね」
土門は黙って聞いていた。
「今回、お見合いだけでも受けないなら、横浜に連れて帰るって目を潤ませて言うんだもの……」
「そう、か……」
「ごめんなさい。土門さんにも迷惑かけたわよね。同僚の人も沢山いたのに……」
「いや」
土門は、『もしかして…』と気づいた。
もしかして、ああいう場面を知人に見せることで、焚き付けようとしたのかもしれない。
土門とマリコに任せておいたら、遅々として進まないことに、いずみは業を煮やしていたのだろう。
確かに、寝室で誘うような姿の恋人に指一本触れられないような男では、心配にもなるだろう。
土門は、一人苦笑した。
そして、捕まれた腕ごとマリコを背中から抱きしめた。
「土門さん?」
「俺のせいだな。お袋さんにも心配をかけた」
「違うわ!土門さんのせいじゃないわよ。大体、土門さんがいるのにお見合いの話を持ってくるなんて!」
思い出し、マリコは眉根を寄せる。
「ところで、お前はどうなんだ?」
「私?」
「相手は同期生なんだろう?気心は知れてるし、子どものことも考えると……」
「考えると、なに?」
マリコはきっ、と土門に挑むような視線を向ける。
「そう、怒るな」
「土門さんが試すようなことを言うからでしょう?さっきだって……」
「さっき?」
言い淀むマリコに、土門が聞き返す。
「……何でもない」
つん!と横を向いてしまった恋人の頬はうっすらと赤らんでいる。
お許しが出ていたのなら、惜しいことをした…、と土門は顎を撫でた。
『それなら今からでも……』
そう言葉にする代わりに、土門はマリコの白い項に唇を押し当てる。
「んんっ……」
「榊、いいか?」
『ダメなんて言うわけない……』
マリコもまた、そう言葉にする代わりに、土門に身を任せるのだった。
いつか二人にも神様からの授かり物があるだろうか。
それは誰にも分からない。
けれど、皆が望むのなら……。
いつかマリコのその身に眠る小さな種が、芽を出すかもしれない。
そして、二人から限りなく降り注ぐ愛情という名の雨を受け……小さくても真っ白な花を咲かせるだろう。
いつか、いつかの未来には……。
年代物の箪笥の上には二つの写真たてが飾られていた。
一つには、警察官の制服を着た凛々しい男性と、少しだけ固い表情をした着物姿の美しい女性の写真。
もう一つには。
同じ男女の間に挟まれ、おくるみの中ですやすやと眠る無垢な宝物の姿が写っている。
そして。
それらを愛おしそうに眺める女性の目尻には、随分と深い皺が刻まれていた。
fin.
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