不安なのは君のほう
物語のラスト、エンターキーを続けて打ち込みながら、PCから少しはなれた場所に置いたマグカップに手を伸ばす。
持ち上げた軽さに落胆し、アリスは眉間にシワを寄せた。
そして何気なくデスクの液晶時計に目をやって、ばちくりとまばたきを繰り返した。
確か、午後2時ごろから執筆をはじめたはずだ。
そして今は、午前2時。
かれこれ半日もの間、PCに向かっていたらしい。
その間、口にしたのはコーヒー1杯だけ。
アリスは食料を探すために立ち上がった。
そこで、地面がぐらりと揺れる。
「あかん…。これ、まずいやつや…」
慌てて伸ばした腕は、スマホの載ったデスクの縁を掠め、そのままアリスは床に倒れこんだ。
意識を取り戻したアリスの目に、最初に写ったのは見慣れた寝室の天井だった。
自分はリビングで倒れたはずだ…と不思議に思っていると、声が降ってきた。
「気がついたのか?」
これは…怒られるな、と覚悟して、アリスは視線を声の方に動かした。
「火村…」
「気分はどうだ?」
「ん、もう平気や。それより、なんで…君」
「片桐さんから電話があった。お前と連絡が取れないってな」
「そうか…。えらい心配かけてもうたんやな。火村、君にも。ごめん」
「お前、『怒られるうちが花だ』って言葉知ってるか?」
「うっ…。知っとる」
「そのうち、片桐さんにも見放されるぞ?」
「……君は?君もか?」
アリスは恐る恐る火村をうかがう。
「……」
無言のまま、うつむき加減の火村からは表情が見えない。
「ひむら……」
「今回、も!」
火村は顔をあげ、あえて強調してから。
「心臓が止まるかと思った。……ばか、アリス」
ふわりと壊れ物を扱うようにアリスは抱きしめられた。
いつものように『関西人に…』と突っ込むことも憚られるほどに、火村は不安な表情を浮かべていた。
アリスに何かあるたびに、火村はそんな顔を見せる。
そしてアリスもまた…。
いつも自信に満ちあふれたこの男に、そんな顔をさせてしまった罪悪感と、自分だけがそうさせているという充足感とがせめぎ合い、戸惑うのだ。
「すまん。なんや…俺ら、何回このパターン繰り返すんかな?」
あはは、とアリスは乾いた笑い声をあげる。
「お前が注意さえすれば、もう二度とないだろうな」
「うっ。ごもっとも」
「……なんだ?」
ちらちらと自分の顔に視線を向けるアリスに、火村は眉をひそめる。
「心配いらん」
「は?何が?」
「なんでもや。心配いらんから…」
――― 君を置いてったりせえへんよ…。
アリスは火村の前髪をそっとかきあげ、その額に唇をよせた。
fin.
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