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memo

お別れをした話

2022/08/17 18:02







※人の生死の話です
※人を選ぶ話です



















今年の3月末に母とお別れをしました。
亡くなるにはまだ若く、還暦を迎えて少し経った年齢でした。
あまりにも突然のことで、残された家族は皆呆然となりました。(母方の)祖母の涙を恐らくはじめて見ました。
親より先に逝くこと程、親不孝なことはないですね。母は一人娘だったので尚更だと思います。
私自身は母とはもう5年以上離れて暮らしていましたので、日常が変わる訳ではないのですが、それでもたまに母の夢を見て、夢の中では自然と母に頼ったりしている場面があり、起きてから「母はもういないんだ」と心にぽっかり穴が空いたような気持ちになります。

お葬式の担当者さんが本当に本当に良い方で、
礼儀正しく、遺族の私たちには優しく寄り添っていただき、故人の母には丁寧なお見送りをしていただきました。
お葬式までの数日は眠れない日々が続きましたが、後悔のないお葬式が出来たおかげで、お葬式が終わった夜にやっとぐっすりと眠ることが出来ました。













きっと私は母から愛されていました。
毎日ご飯も用意されて、学校もきちんと行かせてもらえました。習い事もさせてくれました。
少し過保護なくらいでした。門限にうるさかったり、塾にはいつも送り迎えをしてくれたり。


私は良い子ではなかったと思います。
勉強も運動も得意ではないし、リーダーシップを発揮するようなタイプでもないし、人前で何かをするのも苦手だし、口下手で恥ずかしがり屋で、周りから可愛がられるような子供ではありませんでした。
そんな私は母から見て可愛くない子だったのでしょう。


曰く「アンタなんか産まなければよかった」らしいです。
そんなこと私に言われてもどうしたらよかったんだろうか。未だに答えは出ません。

曰く「叩くのは、叩く方も痛い」らしいです。
私は縄跳びで何度も叩かれて、ミミズ腫れになった時が痛かったです。
顔や頭を横から叩かれて、脳みそがぐらぐら揺れる感覚が気持ち悪かったです。
普通に手で叩かれたりするのは、だんだん慣れてきてあまり何も感じなくなってきました。目をつぶって、終わるまでじっと耐えていました。

本当に全部躾の為でしたか?
一度も感情のままに怒鳴ったり、叩いたりしたことはありませんか?


暴力もありましたが、会話がなんでも否定や言い訳から入る人だったのが嫌でした。話の内容も何かを貶すことばかりで過度な身内下げも嫌でした。
その癖は父もだったので、そんな親に囲まれて育った私はそれ以外に会話の仕方がわからないんですね。
そして気付けばそれが自分に、病気のように移っていることに気付いたときが絶望でした。恨みましたし、気付いてからは必死で直したつもりです。
今でも友人として付き合ってくれている、当時から付き合いのある友人たちには本当に感謝しても、し足りません。


ある時皮膚が炎症を起こして、
「痛い、痒い、辛い」とうっかり愚痴を溢してしまったときに、(見た目にも現れていたので)気持ち悪いと言われたことが忘れられません。


家族で同性が私だけだったので、
「子供/娘」ではなく「女」として扱われていたのだと思います。
母にしてみれば軽い愚痴のつもりだったのかもしれません。でも娘の私からしてみれば、父への愚痴を聞かされることがとても苦痛でした。
高校生の頃にお金が無いという話をされてとても困ったことを覚えています。その後、社会人になってからもお金を何度か貸しましたね。というより無理矢理取られたの方が正しいかも。取られた方法は割愛。永遠に返ってくることは無くなったけれど。
貧乏なことは構わないけれど、いろんな場面でせめて姉弟平等に扱ってほしかったとも思います。「どうして?」と聞いても納得のいく理由は得られませんでした。どうやら私が「女」なのが原因みたいです。









なぜこんな事を書いたのかというと、
亡くなったことを聞いた母の親戚や友人たちが皆、口を揃えて「いい人だったのにねぇ」と言うから。
それを言われる度に曖昧に笑って返すことしかできず、私の心は少しずつ死んでいきます。


飾らずに言うと私は母が嫌いでした。
ここに書き切れないことが沢山あります。
私ぐらいの年齢になると、だんだん親のありがたみがわかってくるらしいのですが、私が理解できる日は来るのでしょうか。


母のことは好きになれなかったけど、ここまで育ててくれたことに対する感謝の気持ちはあります。
あなたの手料理も好きでした。母の作った、見た目は黒いけれど、でもほんのり甘い味付けの唐揚げがもう食べられないのだと思うと寂しい気持ちになります。
礼儀作法にも厳しかったので、こうして社会に馴染むことも出来ています。




でも、もう二度と会いたくありません。

毎日殴られて過ごしたことがどうしても忘れられません。

(衣服用の)アイロンで火傷したこともどうしても忘れられません。




実家を出てから初めて、家に暴力を振るう人が、暴言を吐く人がいないというだけで、こんなにも「家」というものは安心できるのだと知りました。


「お母さんが亡くなった」と実家の父から聞いたとき、やっと解放されたんだと思いました。











「私は私で、幸せになります」

これが私が母を見送るときに伝えた言葉です。









お母さんの理想通りにはいかないけれど、
お母さんの思う幸せとは違うかもしれないけれど、
今はとても心穏やかに過ごしています。








最後まで読んでくれてありがとう。


おわり



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