青天に鐘がなる
name change
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暗雲が立ち込める。雨雲とか雷雲とかじゃない。もっと禍々しいものだ。
きっとリンクが最後の戦いに挑んでいるのだ。この世界の命運はリンクにかかっていると言っても過言ではない。
そんなリンクとただの人間の自分が釣り合うはずがないことを名前はよくわかっていた。
「どうか無事で帰ってきて」
それでも無事を祈ることをやめられなかった。
——リンクが無事ならこの世界なんかどうなってもいいから。
記憶がない名前には世界よりも何よりもリンクが一番大事な人だった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
黒い雲はハイラルから逃げるように去っていった。
雲間から差し込む光が大きな戦いが終わったのだと告げていた。
その後もイチカラ村では変わらぬ日常が続く。元より魔物もいない地域だったからあまり変化はないのだけれども。
名前が目覚めたばかりの頃よりずいぶん栄えたこの村。これもリンクの協力があったからだとエノキダから聞いた。
名前は心のどこかで期待していた。
戦いが終わったらリンクがまた来てくれるんじゃないかと。
だが黒い雲が去ってからしばらく経ってもその時は来なかった。
きっと世界を救った勇者様は大きなお城で、お姫さまといつまで幸せに暮らすのだ。
それがリンクにとってもこの世界にとっても最善だ。めでたしめでたし。
名前は失恋したのだと悟った。鼻の奥がツンとして心臓がギュウギュウと押しつぶされそうだ。
とっくの昔に名前はリンクのことが好きだったことなんて気づいていた。
夜は独りで泣いて、気付いたら眠って、リンクのことを追いかける夢を見る。追いかけても追いかけても追いつけなくていつも自分の手を離れてゆく。
リンクからの申し出を断ったのは自分なのにまるで被害者になったかのような夢をみる。そんな自分の腐った根性にはほとほと呆れた。
そして朝になれば痛む傷を誤魔化してヘラヘラ笑って暮らしていくのだ。
リンクが最後にくれたゴーゴースミレはとうに枯れた。
村の住人たちの中には気付いている者もいた。必死に隠そうとする名前の意志を優先して何も言う者はいなかったが。
自分で乗り越えるしかないこと、時間が解決してくれることを大人たちは知っているからだ。
今日も名前は花壇の草むしりをしたり落ち葉をかき集めたりして一日を過ごす。
リンクは今頃何をしているだろう。
寂しさ苦しさを堪えるのには慣れてもリンクのことを想うことだけはやめられなかった。
何もないで有名らしいアッカレ地方にあるイチカラ村には、時折行商人がモノを売りにきたり、のどかな場所が好きな旅行客が立ち寄ることがあるらしい。
今日もそんな人たちだろう。イチカラ村へと続く一本道から馬が二頭やってくるのが見えた。随分背の高くて体の大きな立派な馬だということがそのシルエットから伺えた。
ちょうど逆光で影がかかり顔は見えない。
目を凝らしてやっと見えたのは青い衣に身を包んだ会いたかった人。
「リ……ンク?」
「ただいま、名前」
二人は時が止まったように見つめ合う。
名前は夢でもいいからこの姿を忘れないように目に焼き付けたかった。
「まあ、こちらが噂の名前さん?」
リンクの背後からひょいと女性が顔を出す。
神々しさを感じるこの女性は白い馬を操縦してリンクの隣に並ぶ。
言われなくてもわかる、この方がゼルダ姫だ。
リンクは颯爽と馬から降りると流れるような動作でゼルダ姫の手を取り馬から降りる彼女を補佐する。
そんなお似合いな二人を見たくなくて、視線を合わせずに済むように名前は深く深くお辞儀をした。
「はじめまして。名前と申します」
「リンクから話は聞いています。お会いできて光栄です」
ゼルダは弾むような声で言う。
——私は会いたくなかったよ。
そんなことは言えるはずもなくじっと地面を見つめていた。
「顔を上げてください」
別にゼルダに敬意をはらって頭を下げている訳ではないが、姫さまにそう言われては従うしかない。
膿む傷口を無理やり塞いで笑うことにも慣れた名前は目尻を下げて口角を上げることを意識する。そうすればほら、笑顔の名前の完成だ。
ゼルダの顔は王族だからなのかハイリア人の特徴が色濃く出ている顔だと名前は思った。
神の声を聞くためだと言われるツンと尖った耳、豊かな金色の髪、深く澄んだみどりの瞳。
リンクと並ぶとまさにお似合いだった。
なにせ100年前からの縁だ。この世界は二人のために作られたといっても過言ではない。
「名前、遅くなってごめん」
そう言ってリンクは名前に一歩近づいてひざまづくとゴーゴースミレを差し出した。
「ゴーゴースミレ……?」
「厄災ガノンを追い払って、ゼルダ姫も解放して、全て終わらせてきました」
「えっと、うん……」
戸惑う名前を置いてリンクは話しはじめる。なぜそんな報告をされているのか、なんのためにそんな話をしているのかさっぱりわからなかった。
「改めて言います。おれと家族になってください」
「……な、んで? だってリンクはゼルダ姫と……」
確かにあのときリンクからの「家族になりたい」という申し出を断って寂しい思いはしたけれど、だからと言ってリンクに相応しいのは自分じゃないと名前は思っていた。
世界を救った勇者様は大きなお城で、お姫さまといつまで幸せに暮らすのだ。それがリンクにとってもこの世界にとっても最善のはずなのに。
「もちろんゼルダ様はおれにとって命に代えても護らなければいけない存在だけど——」
わかっていたけれど、それをリンクの口から直接聞くのは少しだけ胸が痛んだ。
「名前とは手を繋いで、一緒に歩きたいんだ」
リンクの言葉に名前は息をのんだ。
リンクは名前の瞳を見つめたまま言葉を続ける。
「健康なときも病めるときも——」
それはエノキダとパウダの結婚式の時の誓いの言葉だ。
「おれとともに生きてください」
どうしてこの人は、言葉少ななのにこんなにも欲しい言葉をくれるのだろう。
「私、リンクが思ってるほど良い人じゃないよ」
リンクが居ない間、リンクが無事ならこの世界なんてどうなってもいいとかそんなことばかり考えていた。
ましてや勝手にゼルダ姫に嫉妬したり意地を張って最低な人間だ。
「おれ、名前になんと言われても諦めるつもりないから」
「え?」
「名前が断っても、どんな無理難題を課しても必ず叶えてみせるよ」
リンクは名前に「まだやることがあるでしょう?」と言われたから、その「やること」を終わらせて帰ってきたのだ。
リンクは元よりどんな手段を使っても勝利を、欲しいものを手に入れる男である。一度断られたくらいで諦めるような男ではない。
「なんでリンクはそんなに……?」
名前はなぜリンクが自分を選ぶのかがわからなかった。
リンクはこの世界を救った勇者で、護るべき姫がいて、その姫は100年間もリンクのことを待っていたのだ。その二人の間に名前が入る隙などないはずだ。
「そんなの名前が好きだからに決まってるじゃないか」
真っ直ぐ名前を見て言ってのけたリンクは世界の誰よりかっこよくて優しい顔で笑っていた。
その顔を忘れないように焼き付けたいのに気持ちに反して視界がじわじわと歪んでいく。
「私、ゼルダ姫みたいに100年も待てないよ。皺皺のおばあちゃんになっちゃう」
「おばあちゃんになっても名前のこと探すよ」
「リンクみたいに特別な人間じゃないよ」
「おれにとっては名前は世界で一番特別な人だ」
もう何を言っても無駄だと名前はやっと白旗を上げた。むしろ最初から答えはわかっていた。
「私も、リンクの隣にいたい」
言葉にしてしまえば簡単だった。許されるならずっとずっとリンクと一緒にいたい。
「リンクのことが、好き——」
その瞬間、腰を掴まれたかと思うとそのまま小さい子供に高い高いをするみたいに体を持ち上げられる。
名前の頭はリンクの頭上よりはるか上にあってリンクは名前を持ち上げたまま踊るように回り出した。
「リ、リンク!? 怖い怖い!」
必死に訴えてやっと地面に降ろしてくれたけどまだ足元が不安定でおぼつかない。もう一度こんなことをされては心臓が持たないと思わずリンクにしがみつく。このドキドキはリンクへの気持ちと高所への恐怖と両方だ。
そんな名前の気も知らずにリンクは満足そうに頬擦りしてきた。たくさんリンクのにおいがする。それだけで体中が満たされた。
白昼堂々こんなことをしていればそれはもうイチカラ村中の注目の的だった。
改めてリンクからスミレの花束を受け取ると甘くて爽やかで懐かしい匂いがする。名前の知るリンクの匂いはいつもスミレの匂いと一緒だった。
そういえばゼルダ姫の御前だったことを思い出す。名前は慌てて姿勢を正した。
「ふふ、良いのです。それにリンクがこんなに表情豊かだったなんて、私初めて知りました」
聞けばゼルダはリンクと打ち解けるのにとても時間が掛かったと言う。だからリンクの話してくれたゼルダとの思い出は苦いものばかりだったのかもしれないと思った。
「あの頃の私は、自分の立場ばかりを気にしていましたから……」
神々しく遠い存在だったはずのゼルダが、過去の自分を恥じて笑う姿が名前にはずいぶん可愛らしく年相応に見えた。
どんな人にも他人からは見えない悩みがある。そんな当たり前のことにどうして思い至らなかったのだろう。
こんな自分とほとんど歳も変わらないような人が100年なんて途方もなく長い時間をひとり孤独に耐えてきたのだ。それは想像を絶するほど長く苦しい時間だっただろう。
「でも今は平気です!」
その笑顔の奥にどれだけの責任を背負っているのだろう。きっと想像できない程の重圧なのだろうと思う。
それをおくびにも見せない。強くて美しい女性だ。