かなわない
name change
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「ぜーったいヤダね」
名前がデスクに戻ろうと研究室のドアを開けると、ちょうど沙明が大きな声を出している状況に出くわした。
「ミンくん? どうしたの?」
「名前! 聞いてくれよ!」
まだ研究チームのリーダーとの会話途中だと言うのに、沙明は構わず名前に駆け寄る。補足しておくと、あのD.Q.O.でのグノーシア騒動の後、沙明の出身地である惑星アースラにて、公私共に名前と沙明はパートナーになっていた。
「出張? いってらっしゃい、気をつけてね」
「ちょいちょいちょい、聞いてたか? 3年2ヶ月だぞ、その間会えないんだぞ⁉︎」
先程沙明が抵抗の声を上げていたのは、長い出張辞令に対してだった。
今や沙明は名前を溺愛していて、まるで動物のつがいのように行動を共にしたがった。片時も離れたくないと名前がこの研究所で働くことを提案したのは沙明だった。もちろん沙明の願いに応えるために名前自身の努力もあったことは言わずもがなだが。
そんな沙明が3年2ヶ月もの間、名前と離れなければいけないという辞令に黙って従うはずはなかった。
「寂しい〜とか、行かないで〜とかねェのかよ!」
「そりゃあ寂しいけど……仕事なら仕方ないよ」
名前のもっともな意見にぐうの音も出ない。それに今回の現地調査は沙明の研究には必要不可欠で、行かないという選択肢はない。わかってはいるもののどうしても名前と離れたくない沙明は、自分なりに最大限譲歩した妥協案を絞り出した。
「……名前と一緒に行く」
「無理。私、この間産まれたばっかりの子の担当になったのわかってるでしょ? いま私が離れるわけにはいかないの」
沙明の渾身の願いはあっさりと切り捨てられた。
名前と沙明は同じ研究施設に勤めているとはいえ、担当分野は全くの畑違いだ。それについ先日、名前の担当する大熊猫の子供が産まれたばかりとなれば、共に現地調査に向かうというのは到底無理な話だった。
「それじゃあ行かねー」
「ミンくん、そんな子供みたいなこと言わないで」
わがままな沙明にはチームリーダーも呆れ顔だ。
沙明の研究視点は常に新しく、世界中から注目され、すでに将来を有望視されていた。沙明の研究を待っている人たちはまさか彼がこんな性格だとは思ってもみないだろう。
「ミンくんの研究に必要なんでしょ?」
「でも名前と会えないなんてヤだね」
「俺にゴー・トゥー・ヘルしろってェ?」と軽口を叩く沙明は名前に初めて出会った時のことを思い出させた。セツに対して「一発ココに熱いベーゼを」なんて言っていたが今ではあの特殊な状況だったからこその、あの口調だったことを名前は理解していた。それが今では「ミンくん」なんて呼んでるんだから人生何があるかわからないな。と呆れとほんの少しの幸せが入り混じったため息が漏れた。
とはいえこの状況はなんとかしないといけない。チームリーダーは本当に困った顔をしている。
「ちょっと休憩行こっか」
名前は困っているチームリーダーに目配せをして、沙明を部屋から連れ出した。
しばらく廊下を歩いて、たどり着いたのは施設内にある日当たりの良いバルコニーだ。
「んん〜、良い天気だね〜」
果ての見えない透き通った青い空を薄い雲が漂う。その雲を掴むように名前は天に向かってぐっと両手を伸ばした。
そんな気ままに流れる雲とは反対に沙明はベンチでうなだれていた。その姿は世界の終わりだと言わんばかりに悲壮感が漂っていて、かかる影で表情は見えない。
どうにかして励まそうと名前は沙明の隣に腰掛けて顔を覗き見た。
「ちょっと待って、ミンくん泣いてる⁉︎」
「わ、悪ィかよ……」
沙明の瞳には多分に涙の膜が張っていた。一度瞬きをすれば溢れた涙がまつ毛を濡らし、もう一度瞬きをすれば重力に従ってポトリと沙明の着ている白衣にシミを作った。
「行くんでしょ?」
「そうだけどよォ」
さっきは行きたくないなんて口にしていたが、行かなければいけないことは沙明が一番よくわかっていた。
「離れたくねェ」
「うん」
名前は沙明の寂しいを受け止めるように手を握った。
「帰りてェ」
「まだ行ってないよ」
繋いだ手と反対の手で慰めるように優しく髪を撫でる。少し癖のある沙明の黒髪からは自分と同じシャンプーの匂いがした。そのまま肩に乗せるように引き寄せると、動物のマーキングのように沙明は名前の肩にぐりぐりと頭を押し付けた。
沙明の甘えるような仕草についつい絆されてしまう自分も相当重症だと思う。離れていかないようにと、無意識のうちに一層強く抱きしめていることに気づいて思わず自嘲的な笑みを浮かべた。
名前に身を預けて目を瞑れば視覚以外の感覚が研ぎ澄まされる。大好きな彼女の匂いに包まれて心地よい心音に耳を澄ませば、ここがヘブンだと錯覚してしまいそうだ。さっきまでの昂っていた感情から一転、段々と冷静になってくると恥ずかしさが込み上げてきて顔を上げられなくなっていた。
(アー、クソッ。全部全部名前のせいだ。俺が何したって許してくれるし、カッコよくねーところも受け入れてくれるから……)
こんな八つ当たりをしている自分もカッコ悪くて沙明はますます動けなくなるという悪循環に陥っていた。……アー、もう!と半ばヤケになった沙明は今だけは思う存分名前に甘えることに決めた。その代わり帰ってきたら今度は俺が名前をこの手で抱きしめようと自分の中で折りをつけた。
だからもう少しだけこのままでいさせて欲しいと、いっそ時間が止まってしまえばいいのに、なんて叶わないことを願ってしまった。
数日後、宇宙港での見送りゲートで大泣きする名前が目撃されたがそれはまた別の話——
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