ガラスの靴はないけれど
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そういえば今日は近所の神社でお祭りがあるんだっけ。
地域行事のことを思い出してパソコン作業に集中していた手を止める。
外はまだ明るいが校庭から聞こえるひぐらしが夕方の時刻を報せていた。夏休み中とはいえ日中は他にも先生たちがいたはずだが、気付けば皆帰ったようだ。
私もそろそろ帰ろうかな。と、ぐぐっと上半身を伸ばすと、同時にガラガラっと職員室のドアが開く音がした。まだ誰か残ってたんだ。バンザイのポーズのままドアの方を見ると西園寺先生がいた。
西園寺先生は美術部の顧問であり自らも芸術家であるため、作品の制作のために職員室ではなく美術室にいる時間の方が多かった。
「お、おつかれさまです」
「苗字先生も、おつかれさまです」
会釈をして平静を装ったものの、気の抜けた姿を見られたのは恥ずかしくてそそくさと姿勢を直す。
「苗字先生も、もう上がりますか?」
「はい、きりもいいのでそろそろ帰ろうかと」
「そうですか。よかったら駅まで送ります。見回りはあとこの校舎だけなので、苗字先生は支度して待っていてください」
「そんな、悪いですよ」
「じゃあ、待っててくださいよ!」
私の言葉は聞いていないのか、聞く気がないのか。そう言い残すとさっと職員室を出て行ってしまった。
なんだかどちらに対しても申し訳ない。最後に帰る教員が校舎内の施錠確認をして帰るのが慣例なのだが、校舎を隅から隅まで歩いて回るとそれなりに時間もかかる。階段移動だし。それに時刻は夕方とはいえ季節は夏で外はまだ充分明るいわけで、わざわざ送ってもらわなくても大丈夫なのだが。
「ああいう紳士なところが、好きなんだよなぁ」
周りに誰もいないのをいいことにポツリと言葉を漏らす。
しかしながらありがたくお言葉に甘えて、デスクの整頓をして西園寺先生が戻ってくるのを待った。ついでにリップを塗り直して前髪も少し整えて、と、軽い化粧直しをしているとちょうどよく西園寺先生が職員室へ戻ってきた。
「すみません、お待たせしましたか?」
「いえ、ナイスタイミングです」
校舎から出ると待ってましたと言わんばかりに熱気がじとりと体にまとわりつき、一層暑さが二人を襲う。遠くから祭囃子が響いてより夏らしさを演出してくれているようだ。
「それにしても暑いな……」
西園寺先生は学校でいつも着ている白衣は脱いでネクタイも緩めている。
「こんな日に飲むビールは最高だろうなぁ……」
あ。言ってから後悔した。好きな人の前なら可愛らしくいたいのに、思わず本音が出てしまった。
「いいですね、よかったら少し呑んで帰りませんか?」
いや、前言撤回だ。そしてこのチャンスを逃してなるものか、と私の心がうるさい。
トン、トン、トン………
この音は私の心臓か、遠くから風に乗って届く太鼓の音か……。
「あの。よかったら、夏祭り寄って帰りませんか?ビールくらいならあるでしょう?」
□ □ □ □ □ □
神社へ続く通りにはすでに夜店が並んでいて、はしゃぐ子供たちに浴衣姿のカップル、道行く人は皆浮かれた様子だ。とうもろこしの焼ける匂いやソースの香ばしい匂いは、仕事終わりの空腹を刺激する。その中に混じる虫除けの蚊取り線香もまさに日本の夏を感じさせる。
そんな風情もそこそこにまずはビールの売っている屋台まで足早に向かう。ビールをゲットしたら屋台が立ち並ぶ通りを少し外れたところで二人で乾杯をした。
「はぁ〜、生き返る〜!」
可愛く振る舞うのはすでに諦めた。西園寺先生が笑ってるから、それでいいや。
「ははっ、夏祭りのビールはまた格別ですね!」
「ふふ、大人の特権ですね」
「苗字先生、もう一本いきますか」
「お! 西園寺先生も結構いける口ですね!」
最初の一杯はあっという間に飲み干してしまったので、またさっきの屋台に戻ってビールを購入し、今度はビールを片手に夜店を見て回ることにした。
「俺、夏祭りって子どものとき以来です」
「私は学生のとき以来かな。わー、懐かしい! 金魚すくいとかよくやったなぁ」
まわりの活気にあてられて私たちの会話は尽きない。あれ食べたい、これ食べたい。と、気がつけば二人とも両手が塞がるぐらい食べ物でいっぱいだ。
「どこか座りたいですね」
「ですね」
ちょうどよく腰掛けられそうな場所を見つけると西園寺先生はカバンからハンカチを取り出してさっと敷いてくれた。
こういうさりげない気配りのできるところが教員からも生徒からも好かれる訳だろう。西園寺先生の恋人はきっと幸せだろうなあ。
そういえば西園寺先生に今は恋人はいないって、以前校長先生が言ってたっけ。なんで教員のプライベートをそんなに把握してるんだろう?
「ここからでも充分見えますね」
西園寺先生の言葉で、はっ、と現実に引き戻させられる。
すでに始まっていた夏の風物詩は夜空に大輪の花を咲かせていた。ここは花火の観覧エリアからは離れているので人気もない。端の方は木の影がかかるがここからでも充分花火は堪能できそうだ。そういえばお腹が空いていたな、と買ってきたものをふたりで広げながら、たわいのない話に花を咲かせた。
ふと会話が途切れると二人の間は静かで、花火の打ちあがる音と、星が弾けるパチパチという音だけが木霊する。
いま私は憧れている人とふたりで花火を見てるんだなぁ。
なんて贅沢な時間を過ごしているんだろうと思うと、より一層花火が鮮やかに見えた。同時に、二度とこんなことはないかもしれないと考えると、ギュッと心臓を鷲掴みにされたような気分になる。考えれば考えるほどどうしようもない気持ちになって、思わず花火から視線を下ろしてしまった。もう中身の無い缶ビールを飲むふりをして隣の西園寺先生を盗み見ると、無彩色の先生の髪に、赤、青、緑。花火の色が映って、もっといろんな色にも見える。
きれいだなぁ。
ありきたりだけど心を奪われた私にはそれ以外に言葉が見つからない。
「苗字先生、」
「はっ、すみません!」
「ええ、どうして謝るんですか?」
どうやら私が見ていたことには気付いてないようで、ひとり胸を撫で下ろす。ほっとした反面、この気持ちに気付いて欲しいなんて相反する思いがもやもやとマーブル模様を描く。
そんな私の気持ちを余所にこれまでで一番大きな音と光が弾ける。きっとこれが今日の花火のフィナーレなのだろう。
私がもう少し子供だったら、帰りたくないだなんてわがままを言ってみたり、ちょっぴり背伸びした駆け引きをしたりするんだろう。残念ながら大人な私は帰りの電車の混雑を想定してしまう。
「西園寺先生、そろそろ帰りましょうか。電車混みますし」
「そうですね」
自ら鳴らしたシンデレラの鐘は余韻もなく場面転換を進める。並ぶ屋台はさっきと変わらないはずなのになんだか物悲しく見えた。
まだ花火は終わっていないが、同じことを考える人は多いようで駅に向かう道は混雑し始めていた。道行く人たちに押されながらいつもより時間をかけて駅へたどり着いた。
「苗字先生、気をつけて」
「はい。今日は付き合ってもらってありがとうございました」
最初の約束通り駅まで見送ってくれた西園寺先生に感謝を伝える。
「俺も楽しかったですから。それじゃあ、また学校で」
「はい、また学校で。おつかれさまです」
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
一駅、また一駅、家に近づくごとに日常に戻っていく。祭りの最寄駅から一緒に乗った客も今はもうほとんどいない。
今日は本当に楽しかった。ああ、また明日も頑張ろう。西園寺先生、明日も来るかなぁ。帰ったらお礼のメッセージを送ろう。
あと数時間もすれば本当に12時の鐘がなる。それでも、まだこの夢みたいな出来事に今日は浸っていたくて、私は少しの間目を閉じた——
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