半純血のプリンスと謎の先輩
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マフラーが手放せなくなってきた季節。ホグワーツにもしんしんと雪が降り積もり、見事な雪景色を眺められるようになった。
寒さに身を縮め、手を擦りながら、月明かりに照らされる見事なヤドリギを一望できる廊下を足早に歩く人影が一つあった。
緑のマフラーを巻き、寒さに鼻を赤く染めたスリザリンのプリンスこと、アキラ・ヤヨイだ。
薬草学で使う温室で作業をしていたら、いつの間にか夕食の時間になっていた。
遅れたら夕飯がなくなってしまう。急ぎ足で大広間へと足を進めていた。
「うぅ……寒い寒い……今日は何食べようかな……あったかいのがいいな……」
コテージパイにしようかなと夕食に思いを馳せながら、大広間へと続く扉を開ける。スリザリンのテーブルには既に人が集まり、席はそこそこ埋まっていた。
どこの席に着こうかときょろきょろと視線を動かすと、ジェシカがこちらに大きく手を振っているのを見つけた。アキラは小さく手を振りかえし、マフラーを外しながらジェシカの隣に腰を落ち着かせる。
ジェシカはほくほくと湯気の出ているシチューを頬張りながら、寒そうに手を擦るアキラを見た。
「アキラ!遅かったじゃない!」
「ごめんごめん、薬草たちにも暖かい毛布をかけてあげてたんだ」
へにゃりと笑うアキラにジェシカは長くため息をつくと、アキラの冷たくなってしまった頬をむにむにと揉みしだいた。
「んあ!なにするの!」
「あんたが一番寒かったでしょうに!もう!お仕置きよ!」
頬をいじくる彼女に笑みが溢れる。そんなジェシカと戯れ合いながら夕食を食べ進めていた時だった。突然、リンリンとゴブレットを叩く音が響く。
ざわざわとしていた大広間は、水を打ったようにしんと静まり返った。一斉に生徒たちは教員席を見る。
アルバス・ダンブルドア校長が席を立ち、こほんと一つ咳払いをすると、口を開いた。
「皆の者、日々よく頑張っておる。して――今回は特例として、クリスマス休暇前にホグワーツでダンスパーティーを開くこととなった」
途端にざわざわと声が上がる。
ダンブルドアはもう一度こほんと咳払いをした。
ざわつきがぴたりとやむ。
「よし、よし。本来ダンスというのは男女が揃って成り立つ。しかし、今回は男女の垣根はなしじゃ。友達、恋人、想い人――それぞれ良いパートナーを見つけるのじゃぞ。期限は二十三日までじゃ。開催日はまた追って知らせるとしよう。――では、解散」
突然の事に大広間は先ほどよりも大きくざわつく。
突然のダンスパーティー開催宣言に、パートナーは性別を超えて誰でもいいと来たものだ。
アキラは嫌な予感がした。
どこかで「性別関係ないって!」と声が上がった。続け様に「プリンス」とも。
ほくほくと湯気の立つシチューを熱さも気にせず胃の中に掻き込むと、視線が集まる前に駆け出した。
まずい、まずい事になったぞ。何がダンスパーティーだ!
アキラは悪態をつきながら、スリザリンの寮へと足を進めた。
***
あの嫌な予感は的中した。次の日からアキラの平穏は脅かされた。
まず寮の談話室でざっと数えて数十人のスリザリン生に囲まれた。要件は至って簡単。「ダンスパーティーのパートナーになってください」それだった。
「あー、ごめん。私、その……いや、ほんとごめん!」
アキラは誰とも踊る予定などなかった。しかし、自分に勇気を出して声をかけてくれた子たちを無碍にはできなかった。そうして導き出された答えは【逃げる】だった。
アキラはローブから杖を取り出すと、目を瞑り呪文を唱えた。
「ルーモス・マキシマ!」
途端に談話室が閃光で埋め尽くされる。
強い光に目をつぶされた悲鳴の中、アキラはそそくさと駆け足で寮の出口へと続く階段を駆け上った。
自寮でこれだ。もはやホグワーツの中に安息の地は無いに等しかった。
出入り口で待っていてくれたジェシカと軽く挨拶を交わすと、アキラは自身に目眩し術をかけた。
「……いい?扉、開けるわよ」
「お、オッケー。頑張って着いてくよ」
ジェシカが扉を静かに開けた。ギィ、という蝶番の軋む音と共に目の前に入ってきたのは人の海だった。赤、青、黄色、色とりどりの各寮カラーが勢揃いしている。
あまりの混雑具合に、ゴーストたちも何だ何だと様子を伺ってきていた。
「うわっ」
ジェシカとアキラの声が重なる。咄嗟にアキラは自分の口を手で押さえる。今声を出したらまずい。何のためにジェシカにくっついて寮を出たのか。
開いた寮の扉に、群れの視線は全て寮の入り口に向いたが、目当ての人物ではないとわかると、視線は逸らされた。
「こっわ……あんたよくもみくちゃにされてないわね……」
呆れたように小声で話しかけてくるジェシカに、アキラは人差し指を唇に当て、シーッと合図を送る。
途中、目眩し術の効果がなくなってしまったが、どうにか大広間へと辿り着いた。ようやく朝食が取れる。アキラはもう疲労困憊だった。
もうどこでもいいや。へろへろとジェシカと共に空いているスリザリンのテーブルに着き、机に突っ伏す。
「……朝から疲れているな」
突然降ってきた低く心地の良い声に顔をあげる。
どこか心配そうにこちらをら見るセブルスが目の前に座っていた。
「セ……セブルス……助けてぇ……」
「自業自得だろ。色んなところにいい顔してるからそういう事になるんだ。いい教訓になったな」
「む……味方は多いに越した事はないよ。人助けは常識だろう?」
「あなたの常識は僕の非常識だ」
「ぐ……」
恩を仇で返された気分だ!と言わんばかりに下唇を噛み悔しがるアキラに、セブルスはフンと小さく鼻で笑うと、いつの間にか取っていたコーンフレークに牛乳を注いでいた。
「……あれ?セブルスがコーンフレークだなんて珍しいね」
セブルスの眉間に皺が寄る。ドボドボと勢いよくボウルに並々と牛乳を注ぐと、それはアキラの目の前に差し出された。
「……ん?」
「どうせまたすぐ先輩に申し込む馬鹿どもが押しかけるだろう?早く食べて僕の迷惑にならないところへ行ってくれ」
カボチャジュースを一杯飲み干すと、セブルスはそそくさと席を立ってしまった。
「うぅ……コーンフレーク作ってくれた……」
「……素直じゃないわね」
作ってもらったコーンフレークを掻き込む親友をよそに、ジェシカは大広間を出ていくセブルスの後ろ姿を見ながらぼやいた。
セブルスの不器用な優しさに泣きそうになりながら食べるアキラの元に、一つ影が落ちる。
ふと視線を上げると、ローブの中に赤色がチラリと見えた。知っている顔にアキラの顔は綻ぶ。
「リーマス!」
「こんにちは、ヤヨイ先輩」
リーマスはにっこり微笑むと、先ほどまでセブルスの座っていた席に着いた。カボチャジュースを一口飲むと、リーマスは困ったように眉を下げた。
「ヤヨイ先輩も朝から大変だね」
暗にリーマスがダンスパーティーのパートナーについて言っているということが手に取るようにわかった。
「ホントだよ!みんな物好きだよね」
スリザリンのプリンスなんて肩書きなだけなのに。と的外れなことを言うアキラに対して、リーマスはまた困ったように笑った。
ふとアキラは気になった。ここはスリザリンのテーブルだ。どうしてグリフィンドールの彼がここに?
「あれ?リーマスひとり?」
アキラの咀嚼するコーンフレークのしゃく、という小気味の良い音が響く。
「あー……グリフィンドールの席を見てもらえればわかるかな」
リーマスの視線を辿り、グリフィンドールの席を見る。
顰めっ面を貫くリリーを中心に、右には笑顔で饒舌に話すジェームズ、左にはそんなジェームズに相槌を打つシリウスが座っていた。
アキラはああ、と納得がいった。
「ジェームズもリリーを誘おうと頑張ってるんだね」
「正面から行って玉砕しっぱなしだけどね」
リーマスは呆れたようにそれを見る。
リリーの「もう行くわ!」と言う声が聞こえてきたかと思うと、彼女は勢いよく席を立ち、大股で大広間から出て行ってしまった。そんなリリーを慌てて追いかけるジェームズとシリウス。
それを苦笑いしながら見届ける、目の前で呑気にコーンフレークを掻き込む彼女に、未だ諦めきれない自分の気持ちが溢れ出てしまう。
「僕が今ここでダンスパーティーに誘ったら、ヤヨイ先輩はパートナーになってくれますか?」
夜を閉じ込めたような双眸がリーマスを捉える。それは大きく見開かれたかと思うと、アキラはぴたりと動きを止めた。
「……もしかして、リーマスも……」
みるみるうちにアキラの表情は困惑と恐怖が入り混じったかのような、何とも言えないものになっていった。
「……冗談だよ」
自身の気持ちを押し殺して笑顔を貼り付ける。
アキラは長く安堵のため息をつくと、少しばかり口角を上げた。
「もー……勘弁してよ。今のはこの状況だとシャレにならないよ?」
困ったように眉尻を下げる彼女に申し訳なさが募る。同時に、やはりこの想いは、目の前の愛しい先輩には到底届かないと思い知らされる。
彼女の心に住まう、あの闇を纏った同級生が心底羨ましかった。
「ごめんごめん。でも考えておいてよ」
「……考えるだけだよ?」
二人はイタズラを考えている時のような笑みを同時に浮かべた。
それと同時に、大広間の扉の方から「プリンス!」と大勢の声が聞こえてきた。自分を探しにきたホグワーツ生たちだろう。アキラは顔を青白くした。
「食べたなら行くわよ」
ぶっきらぼうに言うジェシカに右腕を掴まれ立たされる。
ジェシカはリーマスをちらりと見ると片眉を上げた。
「あんた、この子にちょっかい出すのは良いけど……面白半分なら近寄らないで」
ジェシカの刺すような視線に、リーマスは両手をあげて【降参】の形を取った。
「まさか。本気ですよ」
リーマスは冷静に、顔に微笑みを貼り付けてジェシカを見る。
ジェシカは目の前の狼が獲物を狙う鋭さを眼光に宿していることを悟ると、小さく口を割った。
「……食えない奴」
***
昼間はもはや地獄だった。授業すらまともに受けられない。
いつもなら大抵のことは笑って許すアキラも、これには限界が近づいていた。
教室から教室へ移動するときは必ず自身に目眩し術をかけ、ジェシカと共に歩く。これを徹底しないと、ホグワーツ中をまともに歩けない。
アキラは不服だった。どうして何もしていないのに、コソ泥のように歩き回らなくてはならないのか。
「……ジェシカ、私は決めた」
いつもより幾分低い、這うような声にジェシカは身震いした。
ジェシカの開いた口からは情けない震えた声が出た。
「決めたって……何するのよ……」
アキラの夜空のように暗い眼は、いつも輝いている星空を潜めてしまっていた。虚なその眼は、彼女がいつも可愛がっているあの根暗で薬学の得意な後輩を彷彿とさせた。
「ダンブルドアに直談判してくる」
そう言うが早いか、アキラは目眩し術を解いて駆け出してしまった。
「……えっ⁉︎ちょっと、アキラ⁉︎」
廊下に一人残されたジェシカは、呆然と親友の走っていった先を眺めた。
廊下を走り、ガーゴイル像の前に立つ。
そこで初めて「合言葉」の存在を思い出した。
「……困った、わかんないや」
怒りの感情のみで動いたアキラはガーゴイル像の前を右往左往した。
確か、お菓子の名前が多かった気がする――
前回来た時の記憶を頼りに、色々なお菓子の名前を連ねる。
「ええと……百味ビーンズ、カエルチョコレート、ずる休みスナックボックス、レモンキャンディー、ロックケーキ、爆発ボンボン……」
思いつく限りのお菓子を連ねたが、目の前の重苦しいガーゴイルは道を開かせる気配はなかった。
もうダメか、と諦めかけたその時、アキラの真後ろから優しく、それでいて厳格な声が投げかけられた。
「発熱ヌガー」
自分のものではないその声に、途端に重苦しい音を立てて目の前のガーゴイル像が動く。
振り向くとそこには優しげな笑みを浮かべたダンブルドアが立っていた。
「ずる休みスナックボックスは惜しかったのう」
「……校長……」
「さて、わしに何か用事かのう。さ、おあがり」
ダンブルドアはガーゴイル像から出てきた階段に足をかけると、アキラに手招きをする。それに導かれるように、アキラも階段を一歩一歩確実に登った。
校長室に入り、椅子に腰掛けるダンブルドアに詰め寄る。
「あの!ダンブルドア校長!私、あのダンスパーティーの件でお話があってきました!」
部屋に入るや否や、早速本題と切り出したアキラの目の前に手を出すと、ダンブルドアは穏やかに笑った。
「とりあえず立ち話もなんだ、そこへ座りなさい。そして、これを食べて落ち着くのじゃ」
「…………これは?」
「レモンキャンディー。マグルのお菓子では美味しいと評判なのだがのう……」
ミネルバがマグルのお菓子にはうるさいのじゃ。
しょんもりするダンブルドアに、アキラはぷっ、と笑いを一つこぼした。
貰ったレモンキャンディーを口に一つ頬張る。唾液腺を刺激する酸っぱい味が口の中に広がったかと思うと、次はとろけるような甘さが広がる。その甘さにアキラの心も幾ばくか落ち着きを取り戻していく。
少しだけ緊張のほぐれたアキラは、今度こそといった具合で切り出した。
「ダンブルドア校長。先ほどの件なのですが」
アイスブルーの目がゆっくりと細められる。
かちりと合ったそれは、自分の感情を全て読み取られてしまっているのではないかと思うくらいに澄んでいた。
だからちょっと苦手だ。
アキラは苦笑いを浮かべながら続きを声に出し始めた。
「あの……さすがにこれでは授業になりません。それに、私は誰とも踊る予定などありません」
「本当にそうかの?」
やはり目の前の偉大な魔法使いには全てを知られている気がしてならない。
視線を合わせていると、見られたくない自分まで覗かれている気分で嫌になる。居た堪れなくなり、視線を下にやる。
「……本当です。どうしても、というのであれば、私は私を捕まえた人とパーティーに出席します」
妥協案ともとれる提案をしてしまうあたり、まだ自分の中で一つの希望を抱いているのかと嫌でも思い知らされる。
何かを想う愁を帯びたアキラの様子に、ダンブルドアは口元に笑みを浮かべると、「なるほど」と笑った。
「ならばそうじゃな……明日、お知らせでも出しておくかの」
ダンブルドアの言葉にアキラはゆっくりと顔を上げる。
「……お知らせ、ですか?」
「さよう。きみの負担を少しでも減らせるように、じゃ」
ダンブルドアはイタズラを考えた子供のようにパチリとウインクを一つ飛ばす。アキラには何が何だかわからなかったが、自身のこれからが今のような地獄のような日々で無くなるのならそれで良いと思った。
***
翌日、掲示板には二つのお知らせが出ていた。
一つは時間割について。【クリスマスダンスパーティー開催にあたり、四年生から七年生は毎週水曜日の各二時間、合同ダンスレッスンを行う】というものだった。
これには歓喜の声よりも落胆の声のほうがはるかに多かった。
アキラと同じようにパートナーを作らず、のらりくらりとパーティーを終わらせようと画策していた者も強制参加というのだから、それもそのはずだ。
もう一つは【スリザリン生のアキラ・ヤヨイについて】というものだった。
【スリザリン生のアキラ・ヤヨイについて。彼女の勉学が脅かされている現状を鑑みて、アキラ・ヤヨイにパートナーを申し込む権利は、鬼ごっこで彼女を捕まえられた者に限る。鬼ごっこの期間は本日から二十三日まで。時間は十七時から二十時までとする】と書かれていた。
アキラは絶句した。
違う、そうじゃない!心の底から叫びたかった。
どんなに理不尽な出来事があっても体は正直である。
空きっ腹がなり始めたので、朝食を取るためにテーブルでベーコンとパンを摘んでいると、ゆらりと影が落ちた。
顔を上げると、そこには撫で付けたような黒髪の、愛おしい後輩がいつも以上に眉間に皺を寄せていた。
「あー……おはよう、セブルス」
「あなたは何をしているんだ。なんだあの掲示板の内容は。どうしてあんなことになった」
相変わらず挨拶の返事がないのはいつもの事だった。そしてその時は絶対に、確実に、セブルスの虫の何所が悪い。
目の前に乱暴に音を立てて座ったセブルスはカボチャジュースを一口ぐいっと飲み干すと、その暖簾のような黒髪から鋭く刺す視線を投げてきた。
「いや……セブルスも見ただろう?寮の前に居たあの人だかり」
「ええ。おかげで談話室から出るのに苦労した」
ふん、と不機嫌に鼻を鳴らす彼に、ごめんと一言添える。
「だからダンブルドアに言ったんだ。私は誰とも踊る気は無いと」
「……」
「でも、万が一私を捕まえられた人が居たのなら、その人と踊ろう、と」
「……は」
セブルスは途端に目を丸く開くと、一瞬にしてまた眉間に皺を寄せた。しかしその目はどことなく揺らいでいる気がして、現に視線は右往左往していた。
アキラはベーコンを平らげると、スケジュールと顔を見合わせた。今日は水曜日だ。ということはつまり、ダンスレッスンもあるわけで。
「……今日は水曜日だったね。水曜からダンスレッスンが始まるって書いてあったから、今日の授業でセブルスに会えるね」
鬼ごっこはしんどいかもしれないけど、この可愛い後輩に会える時間が増えるならまぁいいかなと楽天的に考え微笑む。
その微笑みに、セブルスは一つ長くため息をついた。
「足を引っ張るなよ」
「えっ」
痛いところを突かれたとでも言わんばかりに目を丸くするアキラに、セブルスは当たり前だろうと言ったように一瞥した。
「少なくとも、女子生徒のエスコートは無理だろうな。される側だろう」
「……よくわかったね」
確かに自分はダンスが苦手だ。あんなにするすると足は動かないし、密着するのも恥ずかしい。だから練習もできれば出たくないのだが、そうもいかない。ほとほと困り果てた。
「練習相手に困ってるなら僕が相手になってやっても良い」
口をぼそぼそと小さく動かすセブルスの申し出に、アキラはセブルスの頭を優しく撫でると、にこりと一つ笑みをこぼした。
「その時はお手柔らかに頼むよ!」
あ、やばい遅刻。と呟いたアキラはセブルスに手を振りながら大広間を出ていく。そんなアキラを見送った彼は、目の前の空いた空間に小さく口を開く。
「いつも見てるからな、なんて言えるわけないだろう」
ダンスが踊れない事も、人の頼みを断れなくてこんな面倒ごとに巻き込まれている事も、ずっとずっと嫌でも目で追ってしまっていたセブルスにとっては簡単に思い浮かぶ事だった。
「僕と踊らないか?」なんて簡単に言えたらどれだけ楽なのだろう。ダンスパーティーなんてクソ喰らえだ。
心に仄暗い闇を抱えたまま、セブルスはまた目の前のカボチャジュースを喉に通した。
***
「良いですか、ワン、トゥーでトントン、ですよ」
午後の授業は合同でマクゴナガル先生のダンスレッスンを受けていた。
ダンスに興味のある女子生徒――ここに集まる多くがそうだ――はマクゴナガル先生の説明を穴が開くくらいじっと見聞きしている。
対する男子はと言うと、あくびをする者も居れば、ダンスの振り付けをニヤニヤと笑う者もいた。
「では実践してみましょう。そうですね、ポッター。ここへ」
マクゴナガル先生の名指しを受けたジェームズは「うげ!」と声を上げた。途端に男子生徒たちの冷やかしの声が湧く。
「リリー!僕は君だけだからね!」という悲痛な声も虚しく、マクゴナガル先生の腰に手を当てるジェームズ。それを面白おかしく見守る教室内。
そんなことには目もくれず、入り口付近で自分は空気とでも言うように佇むアキラは、騒ぐ男子生徒たちを横からぐるりと一瞥する。
やはり、思った通りだ。教室の一番端で我関せずを貫く彼を見つけた。
いつも以上に丸まった猫背は身を潜めるのに適していて、暖簾のように垂れ下がった前髪はその奥の黒い瞳を隠していた。
小さく手を振ってやると、猫背の彼は少し顔を上げた。その際に見えた目は驚きに見開かれ、そのあとすぐに逸らされてしまった。べたついていると皆から評されている黒髪から見えた耳は、ほんのりと赤く染まっていた。
「では皆さん、ペアを作って実践しましょう」
マクゴナガル先生の言葉を皮切りに、各々ペアを作っていく。
チラチラとこちらを見る視線が刺さる。誰が一番先にスリザリンのプリンスに話しかけるのか、皆が言葉にはしないがそんな牽制をし合っていた。
そんな事はつゆ程も分かっていないアキラは教室内を横切ると、いの一番にセブルスに近寄った。
「セブルス、よかったらペアを組まない?」
ざわつく教室内をものともせず、猫背をこれでもかと丸めて縮こまる彼に手を差し伸べる。
眉に寄せた皺を少し和らげると、セブルスはアキラの手を取り立ち上がる。少し成長して身長が高くなったのか、今までよりも少し見上げる位置にある大きな鉤鼻をふん、と鳴らすと、セブルスはにやりと口元に笑みを浮かべた。
「……練習相手になってやっても良いと言ったからには、良いだろう」
「あはは、よろしくね!」
「恥はかかせないようにしてやる」
セブルスは穏やかな笑顔を見せる目の前の彼女をじっと食い入るように見つめる周囲に目をやると、勝ち誇ったかのように片方の口角を上げて笑う。
ざまあみろ。誰がやるもんか。せいぜい指を咥えて僕たちを見ているがいい。
えもいわれぬ優越感にセブルスはどっぷりと浸かった。
この時間だけは、僕のものだ――そう周囲に見せつけるように、アキラの腰に手をやる。
ダンスパーティーなんてクソ喰らえだと思っていたが、なかなかどうして、面白いじゃないか。
***
「本日はここまでです。皆さん、ステップを忘れないように」というマクゴナガル先生の言葉と共に、授業終わりの鐘が鳴る。鐘が鳴ったという事はつまり、十七時という事だ。
「ごめん、セブルス。時間だ」
鐘と共にアキラは掴んでいたセブルスの肩からパッと手を離すと、勢いよく出口の扉へと駆け出した。今日もまた彼女はパートナー権を賭けた死闘を――たかが鬼ごっこにそんな大層な名前を付けるのは正直憚られたが、本人は至って本気なのだ――繰り広げなければならない。
最初のレッスン日から数日が経ったとはいえ、やはり彼女の人気は下がる事を知らない。なんならパートナー権には目もくれず、【あのスリザリンのプリンスを追いかけ回せる】という一種の悪趣味な加虐欲を満たすために、この鬼ごっこに参加している男子生徒もいるくらいだ。
最初は脱兎の如く逃げ去った彼女に唖然としたが、もう何回も同じ様にされていると慣れというものが出てしまう。
届いているのかどうかも怪しいが、「ああ」と短く返事をして走り去った彼女を見送る。
「鐘と共に走り去るなんて、まるでシンデレラみたいね」
いつの間にか横に来ていたリリーがぽつりとこぼす。
「あんなにお転婆なシンデレラなんて僕は知らないけどな」
「あら、今回はセブが王子様だと思っていたのだけれど」
「僕は王子なんて柄じゃない」
ふふ、と笑うリリーの言葉に少し耳を赤らめながらも、自身の気持ちを守るかのように腕を組み、勢いよく開かれた扉をじっと見る。
横にいるリリーにはきっと伝わってしまっているのだろう。
「セブ、ヤドリギの伝説は知ってる?」
「……ああ、ヤドリギの下で――ってやつだろう?所詮は言い伝えだ」
リリーに視線を向ける事なく、答えを返す。
リリーは何がおかしいのかくすりと笑うと、同じように軋むように蝶番を鳴らす扉を眺めたまま呟いた。
「セブ、今日がラストチャンスよ」
なにが、とは言わないリリーに、セブルスは「やっぱりな」と言わんばかりに眉間に皺を寄せた。
***
本日の日付は二十三日。今日さえ乗り越えられれば、アキラはこの戯れに追いかけられる恐怖からも解放されるのだ。
しかし最終日という事もあり、今まで隠れた場所は軒並みパートナー権の獲得を目論む生徒たちに張られていた。
「あの部屋もダメだったし……どうしたものかな……」
生徒が待ち構えていた部屋の数を指折り数えながら、来た道を戻り、月光の射す廊下を進む。
ローブから引き摺り出した懐中時計を見れば、時刻は十九時を指していた。
あと一時間――あと一時間逃げ切れば解放される!
アキラの口角は徐々に上がっていく。
もうすぐ、もうすぐだ!
手のひらに収まる時計を注視する。
それがいけなかった。油断した。
ぽん、と肩にかかる手の感触にびくりと体を震わせる。
「……捕まえた」
肩に置かれた手を見る。
そしてゆっくりと後ろを振り向くと、そこには見慣れた人物が居た。
「……セブルス……」
息を切らして現れた彼の黒く垂れ下がった前髪は、汗でしっとりと濡れていた。
その様子に、アキラはひどく混乱していた。
――どうしてここにセブルスが?
――どうして息を切らしているの?
聞きたいことがたくさんあったが、口から出た疑問は一つに絞られてしまった。
「待って、えっと……つ、捕まえたって……」
「期限内だろう?」
息を整えたセブルスはひとつ咳払いすると、片膝をつき、アキラの左手を取った。
それは御伽話の王子様が姫の手を取るかのようだった。
「……僕と、踊ってくれないか」
絹の様に白く透き通った肌に、自身の薄い唇を這わす。
アキラの手がぴくりと揺れたが、セブルスは気にも留めずに手の甲に一つキスを落とすと、その熱の籠った黒い双眼でアキラを見上げる。
「……そんな、セブルス、君は、その……」
顔に熱が集まる。
だって、そんな――彼はこういう事には興味がないと思っていたし、それに興味があったとしても、グリフィンドールの赤毛の女の子と踊るものだと思っていたのに。
顔を赤くしたまま餌を求める金魚のように口をパクパクと動かすアキラを見て、セブルスはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「別に、パーティーで踊ってくれと言っているわけじゃないんだ。僕だって騒がしい場所は嫌いだ」
折り曲げていた片膝を伸ばして立ち上がる。
掬い上げていた左手はそのままに、右手をアキラの腰に添える。
ぴくりと体を揺らすアキラに、またしても思わず笑みが溢れてしまう。
「今まで練習したステップは忘れていないだろう?」
ゆらり、ゆらりとセブルスにつられて足を動かす。
ヤドリギの下、二人だけの舞踏会が始まる。
廊下の窓から射す月光は、まるで二人だけに当たるスポットライトの様だった。
「私のパートナーはセブルスってことでいいのかな?」
顔の赤みはまだまだ引きそうにないが、いつもの調子を取り戻してきたアキラが問いかける。
くるりとぎこちなくターンをして、セブルスのステップに合わせる。
「そうじゃなかったらこんなところで踊るものか」
腕に力を込めて、アキラを支える。
月明かりに照らされる彼女は、気を抜けばそのまま消えてしまいそうな儚さを放っていた。
支えた時に近づく顔に、途端に先ほど手の甲に這わせたように唇を近づけたくなる。
はやる気持ちを抑えて、腕の中で嬉しそうに微笑む彼女を見る。
不意にぱちりと目が合って、途端に恥ずかしさが込み上げて視線を逸らしてしまう。
多分、目の前の彼女と同じくらい、僕の顔も赤く染まっているのだろう。
このまま時が止まれば良いと、柄にもなくそう思った。
アキラのローブから垂れた懐中時計は、きっかり二十時を指していた。
***
クリスマスパーティー当日。
大広間はテーブルを取っ払われ、煌びやかなダンスホールとなっていた。
真紅のドレスに身を包んだリリーは、ウエイター係の生徒から飲み物を一つ貰うと、賑わうダンスホールの端に腰を落ち着けた。
反対側にいるジェームズたちの方に目線をやると、眼鏡の奥の瞳と視線が合ってしまい、咄嗟に背ける。
もう一杯とグラスに口をつけたところで、リリーに影が重なった。
「……あら、ブラックじゃない」
「エバンズ、その呼び方はやめてくれって言っただろう」
バツが悪そうに頭を掻くシリウス。
ポッターじゃなかったことに、何故か安堵とは程遠いため息が出てしまった。
「……なぁ、一つ聞いて良いか」
疑問形ではないそれに、リリーは眉を顰めた。
「……何かしら?」
シリウスは先ほどよりも声を潜めた。
「スリザリンのプリンス、今日は一度も姿を見てないんだが……彼女のパートナーの件はどうなったんだ?それに、スニ……スネイプも」
まさか彼の口からその件が出るとは思ってもみなかったリリーは、視線しか合わせなかったシリウスに目を見開き顔を向けた。
「あら、あなたがセブ達の事を気にかけるなんて、そんな日もあるのね。明日は槍が降るかしら?」
「バカ言え、俺はスリザリンのプリンスの方を心配してるんだ」
リリーの棘のある言葉に、さも当然と言わんばかりに返すシリウス。
「そうね……ここに居ないということが、答えじゃないのかしら?」
意地悪く片方の口角を上げながらニヤリと笑顔を見せるリリー。
そんな彼女にシリウスは「ありえない」と首を横に振った。
「いやいや、それは無いだろう。あの泣きみそスニベリーだぞ?」
冗談も大概にしろと言わんばかりに半笑いで返すシリウスに、リリーは少しむっとした表情で眉間に皺を寄せた。
「私の幼馴染はスリザリンよ?狡猾で、目的の為なら手段を選ばない、あのスリザリン」
リリーは知っていた。
このダンスパーティーが始まる頃、いつもの湖の畔にある木陰で、難しそうな教科書を読み込む黒い影と、その隣でこくりこくりと舟を漕ぐプリンスの姿がそこにはある事を。
寒さに身を縮め、手を擦りながら、月明かりに照らされる見事なヤドリギを一望できる廊下を足早に歩く人影が一つあった。
緑のマフラーを巻き、寒さに鼻を赤く染めたスリザリンのプリンスこと、アキラ・ヤヨイだ。
薬草学で使う温室で作業をしていたら、いつの間にか夕食の時間になっていた。
遅れたら夕飯がなくなってしまう。急ぎ足で大広間へと足を進めていた。
「うぅ……寒い寒い……今日は何食べようかな……あったかいのがいいな……」
コテージパイにしようかなと夕食に思いを馳せながら、大広間へと続く扉を開ける。スリザリンのテーブルには既に人が集まり、席はそこそこ埋まっていた。
どこの席に着こうかときょろきょろと視線を動かすと、ジェシカがこちらに大きく手を振っているのを見つけた。アキラは小さく手を振りかえし、マフラーを外しながらジェシカの隣に腰を落ち着かせる。
ジェシカはほくほくと湯気の出ているシチューを頬張りながら、寒そうに手を擦るアキラを見た。
「アキラ!遅かったじゃない!」
「ごめんごめん、薬草たちにも暖かい毛布をかけてあげてたんだ」
へにゃりと笑うアキラにジェシカは長くため息をつくと、アキラの冷たくなってしまった頬をむにむにと揉みしだいた。
「んあ!なにするの!」
「あんたが一番寒かったでしょうに!もう!お仕置きよ!」
頬をいじくる彼女に笑みが溢れる。そんなジェシカと戯れ合いながら夕食を食べ進めていた時だった。突然、リンリンとゴブレットを叩く音が響く。
ざわざわとしていた大広間は、水を打ったようにしんと静まり返った。一斉に生徒たちは教員席を見る。
アルバス・ダンブルドア校長が席を立ち、こほんと一つ咳払いをすると、口を開いた。
「皆の者、日々よく頑張っておる。して――今回は特例として、クリスマス休暇前にホグワーツでダンスパーティーを開くこととなった」
途端にざわざわと声が上がる。
ダンブルドアはもう一度こほんと咳払いをした。
ざわつきがぴたりとやむ。
「よし、よし。本来ダンスというのは男女が揃って成り立つ。しかし、今回は男女の垣根はなしじゃ。友達、恋人、想い人――それぞれ良いパートナーを見つけるのじゃぞ。期限は二十三日までじゃ。開催日はまた追って知らせるとしよう。――では、解散」
突然の事に大広間は先ほどよりも大きくざわつく。
突然のダンスパーティー開催宣言に、パートナーは性別を超えて誰でもいいと来たものだ。
アキラは嫌な予感がした。
どこかで「性別関係ないって!」と声が上がった。続け様に「プリンス」とも。
ほくほくと湯気の立つシチューを熱さも気にせず胃の中に掻き込むと、視線が集まる前に駆け出した。
まずい、まずい事になったぞ。何がダンスパーティーだ!
アキラは悪態をつきながら、スリザリンの寮へと足を進めた。
***
あの嫌な予感は的中した。次の日からアキラの平穏は脅かされた。
まず寮の談話室でざっと数えて数十人のスリザリン生に囲まれた。要件は至って簡単。「ダンスパーティーのパートナーになってください」それだった。
「あー、ごめん。私、その……いや、ほんとごめん!」
アキラは誰とも踊る予定などなかった。しかし、自分に勇気を出して声をかけてくれた子たちを無碍にはできなかった。そうして導き出された答えは【逃げる】だった。
アキラはローブから杖を取り出すと、目を瞑り呪文を唱えた。
「ルーモス・マキシマ!」
途端に談話室が閃光で埋め尽くされる。
強い光に目をつぶされた悲鳴の中、アキラはそそくさと駆け足で寮の出口へと続く階段を駆け上った。
自寮でこれだ。もはやホグワーツの中に安息の地は無いに等しかった。
出入り口で待っていてくれたジェシカと軽く挨拶を交わすと、アキラは自身に目眩し術をかけた。
「……いい?扉、開けるわよ」
「お、オッケー。頑張って着いてくよ」
ジェシカが扉を静かに開けた。ギィ、という蝶番の軋む音と共に目の前に入ってきたのは人の海だった。赤、青、黄色、色とりどりの各寮カラーが勢揃いしている。
あまりの混雑具合に、ゴーストたちも何だ何だと様子を伺ってきていた。
「うわっ」
ジェシカとアキラの声が重なる。咄嗟にアキラは自分の口を手で押さえる。今声を出したらまずい。何のためにジェシカにくっついて寮を出たのか。
開いた寮の扉に、群れの視線は全て寮の入り口に向いたが、目当ての人物ではないとわかると、視線は逸らされた。
「こっわ……あんたよくもみくちゃにされてないわね……」
呆れたように小声で話しかけてくるジェシカに、アキラは人差し指を唇に当て、シーッと合図を送る。
途中、目眩し術の効果がなくなってしまったが、どうにか大広間へと辿り着いた。ようやく朝食が取れる。アキラはもう疲労困憊だった。
もうどこでもいいや。へろへろとジェシカと共に空いているスリザリンのテーブルに着き、机に突っ伏す。
「……朝から疲れているな」
突然降ってきた低く心地の良い声に顔をあげる。
どこか心配そうにこちらをら見るセブルスが目の前に座っていた。
「セ……セブルス……助けてぇ……」
「自業自得だろ。色んなところにいい顔してるからそういう事になるんだ。いい教訓になったな」
「む……味方は多いに越した事はないよ。人助けは常識だろう?」
「あなたの常識は僕の非常識だ」
「ぐ……」
恩を仇で返された気分だ!と言わんばかりに下唇を噛み悔しがるアキラに、セブルスはフンと小さく鼻で笑うと、いつの間にか取っていたコーンフレークに牛乳を注いでいた。
「……あれ?セブルスがコーンフレークだなんて珍しいね」
セブルスの眉間に皺が寄る。ドボドボと勢いよくボウルに並々と牛乳を注ぐと、それはアキラの目の前に差し出された。
「……ん?」
「どうせまたすぐ先輩に申し込む馬鹿どもが押しかけるだろう?早く食べて僕の迷惑にならないところへ行ってくれ」
カボチャジュースを一杯飲み干すと、セブルスはそそくさと席を立ってしまった。
「うぅ……コーンフレーク作ってくれた……」
「……素直じゃないわね」
作ってもらったコーンフレークを掻き込む親友をよそに、ジェシカは大広間を出ていくセブルスの後ろ姿を見ながらぼやいた。
セブルスの不器用な優しさに泣きそうになりながら食べるアキラの元に、一つ影が落ちる。
ふと視線を上げると、ローブの中に赤色がチラリと見えた。知っている顔にアキラの顔は綻ぶ。
「リーマス!」
「こんにちは、ヤヨイ先輩」
リーマスはにっこり微笑むと、先ほどまでセブルスの座っていた席に着いた。カボチャジュースを一口飲むと、リーマスは困ったように眉を下げた。
「ヤヨイ先輩も朝から大変だね」
暗にリーマスがダンスパーティーのパートナーについて言っているということが手に取るようにわかった。
「ホントだよ!みんな物好きだよね」
スリザリンのプリンスなんて肩書きなだけなのに。と的外れなことを言うアキラに対して、リーマスはまた困ったように笑った。
ふとアキラは気になった。ここはスリザリンのテーブルだ。どうしてグリフィンドールの彼がここに?
「あれ?リーマスひとり?」
アキラの咀嚼するコーンフレークのしゃく、という小気味の良い音が響く。
「あー……グリフィンドールの席を見てもらえればわかるかな」
リーマスの視線を辿り、グリフィンドールの席を見る。
顰めっ面を貫くリリーを中心に、右には笑顔で饒舌に話すジェームズ、左にはそんなジェームズに相槌を打つシリウスが座っていた。
アキラはああ、と納得がいった。
「ジェームズもリリーを誘おうと頑張ってるんだね」
「正面から行って玉砕しっぱなしだけどね」
リーマスは呆れたようにそれを見る。
リリーの「もう行くわ!」と言う声が聞こえてきたかと思うと、彼女は勢いよく席を立ち、大股で大広間から出て行ってしまった。そんなリリーを慌てて追いかけるジェームズとシリウス。
それを苦笑いしながら見届ける、目の前で呑気にコーンフレークを掻き込む彼女に、未だ諦めきれない自分の気持ちが溢れ出てしまう。
「僕が今ここでダンスパーティーに誘ったら、ヤヨイ先輩はパートナーになってくれますか?」
夜を閉じ込めたような双眸がリーマスを捉える。それは大きく見開かれたかと思うと、アキラはぴたりと動きを止めた。
「……もしかして、リーマスも……」
みるみるうちにアキラの表情は困惑と恐怖が入り混じったかのような、何とも言えないものになっていった。
「……冗談だよ」
自身の気持ちを押し殺して笑顔を貼り付ける。
アキラは長く安堵のため息をつくと、少しばかり口角を上げた。
「もー……勘弁してよ。今のはこの状況だとシャレにならないよ?」
困ったように眉尻を下げる彼女に申し訳なさが募る。同時に、やはりこの想いは、目の前の愛しい先輩には到底届かないと思い知らされる。
彼女の心に住まう、あの闇を纏った同級生が心底羨ましかった。
「ごめんごめん。でも考えておいてよ」
「……考えるだけだよ?」
二人はイタズラを考えている時のような笑みを同時に浮かべた。
それと同時に、大広間の扉の方から「プリンス!」と大勢の声が聞こえてきた。自分を探しにきたホグワーツ生たちだろう。アキラは顔を青白くした。
「食べたなら行くわよ」
ぶっきらぼうに言うジェシカに右腕を掴まれ立たされる。
ジェシカはリーマスをちらりと見ると片眉を上げた。
「あんた、この子にちょっかい出すのは良いけど……面白半分なら近寄らないで」
ジェシカの刺すような視線に、リーマスは両手をあげて【降参】の形を取った。
「まさか。本気ですよ」
リーマスは冷静に、顔に微笑みを貼り付けてジェシカを見る。
ジェシカは目の前の狼が獲物を狙う鋭さを眼光に宿していることを悟ると、小さく口を割った。
「……食えない奴」
***
昼間はもはや地獄だった。授業すらまともに受けられない。
いつもなら大抵のことは笑って許すアキラも、これには限界が近づいていた。
教室から教室へ移動するときは必ず自身に目眩し術をかけ、ジェシカと共に歩く。これを徹底しないと、ホグワーツ中をまともに歩けない。
アキラは不服だった。どうして何もしていないのに、コソ泥のように歩き回らなくてはならないのか。
「……ジェシカ、私は決めた」
いつもより幾分低い、這うような声にジェシカは身震いした。
ジェシカの開いた口からは情けない震えた声が出た。
「決めたって……何するのよ……」
アキラの夜空のように暗い眼は、いつも輝いている星空を潜めてしまっていた。虚なその眼は、彼女がいつも可愛がっているあの根暗で薬学の得意な後輩を彷彿とさせた。
「ダンブルドアに直談判してくる」
そう言うが早いか、アキラは目眩し術を解いて駆け出してしまった。
「……えっ⁉︎ちょっと、アキラ⁉︎」
廊下に一人残されたジェシカは、呆然と親友の走っていった先を眺めた。
廊下を走り、ガーゴイル像の前に立つ。
そこで初めて「合言葉」の存在を思い出した。
「……困った、わかんないや」
怒りの感情のみで動いたアキラはガーゴイル像の前を右往左往した。
確か、お菓子の名前が多かった気がする――
前回来た時の記憶を頼りに、色々なお菓子の名前を連ねる。
「ええと……百味ビーンズ、カエルチョコレート、ずる休みスナックボックス、レモンキャンディー、ロックケーキ、爆発ボンボン……」
思いつく限りのお菓子を連ねたが、目の前の重苦しいガーゴイルは道を開かせる気配はなかった。
もうダメか、と諦めかけたその時、アキラの真後ろから優しく、それでいて厳格な声が投げかけられた。
「発熱ヌガー」
自分のものではないその声に、途端に重苦しい音を立てて目の前のガーゴイル像が動く。
振り向くとそこには優しげな笑みを浮かべたダンブルドアが立っていた。
「ずる休みスナックボックスは惜しかったのう」
「……校長……」
「さて、わしに何か用事かのう。さ、おあがり」
ダンブルドアはガーゴイル像から出てきた階段に足をかけると、アキラに手招きをする。それに導かれるように、アキラも階段を一歩一歩確実に登った。
校長室に入り、椅子に腰掛けるダンブルドアに詰め寄る。
「あの!ダンブルドア校長!私、あのダンスパーティーの件でお話があってきました!」
部屋に入るや否や、早速本題と切り出したアキラの目の前に手を出すと、ダンブルドアは穏やかに笑った。
「とりあえず立ち話もなんだ、そこへ座りなさい。そして、これを食べて落ち着くのじゃ」
「…………これは?」
「レモンキャンディー。マグルのお菓子では美味しいと評判なのだがのう……」
ミネルバがマグルのお菓子にはうるさいのじゃ。
しょんもりするダンブルドアに、アキラはぷっ、と笑いを一つこぼした。
貰ったレモンキャンディーを口に一つ頬張る。唾液腺を刺激する酸っぱい味が口の中に広がったかと思うと、次はとろけるような甘さが広がる。その甘さにアキラの心も幾ばくか落ち着きを取り戻していく。
少しだけ緊張のほぐれたアキラは、今度こそといった具合で切り出した。
「ダンブルドア校長。先ほどの件なのですが」
アイスブルーの目がゆっくりと細められる。
かちりと合ったそれは、自分の感情を全て読み取られてしまっているのではないかと思うくらいに澄んでいた。
だからちょっと苦手だ。
アキラは苦笑いを浮かべながら続きを声に出し始めた。
「あの……さすがにこれでは授業になりません。それに、私は誰とも踊る予定などありません」
「本当にそうかの?」
やはり目の前の偉大な魔法使いには全てを知られている気がしてならない。
視線を合わせていると、見られたくない自分まで覗かれている気分で嫌になる。居た堪れなくなり、視線を下にやる。
「……本当です。どうしても、というのであれば、私は私を捕まえた人とパーティーに出席します」
妥協案ともとれる提案をしてしまうあたり、まだ自分の中で一つの希望を抱いているのかと嫌でも思い知らされる。
何かを想う愁を帯びたアキラの様子に、ダンブルドアは口元に笑みを浮かべると、「なるほど」と笑った。
「ならばそうじゃな……明日、お知らせでも出しておくかの」
ダンブルドアの言葉にアキラはゆっくりと顔を上げる。
「……お知らせ、ですか?」
「さよう。きみの負担を少しでも減らせるように、じゃ」
ダンブルドアはイタズラを考えた子供のようにパチリとウインクを一つ飛ばす。アキラには何が何だかわからなかったが、自身のこれからが今のような地獄のような日々で無くなるのならそれで良いと思った。
***
翌日、掲示板には二つのお知らせが出ていた。
一つは時間割について。【クリスマスダンスパーティー開催にあたり、四年生から七年生は毎週水曜日の各二時間、合同ダンスレッスンを行う】というものだった。
これには歓喜の声よりも落胆の声のほうがはるかに多かった。
アキラと同じようにパートナーを作らず、のらりくらりとパーティーを終わらせようと画策していた者も強制参加というのだから、それもそのはずだ。
もう一つは【スリザリン生のアキラ・ヤヨイについて】というものだった。
【スリザリン生のアキラ・ヤヨイについて。彼女の勉学が脅かされている現状を鑑みて、アキラ・ヤヨイにパートナーを申し込む権利は、鬼ごっこで彼女を捕まえられた者に限る。鬼ごっこの期間は本日から二十三日まで。時間は十七時から二十時までとする】と書かれていた。
アキラは絶句した。
違う、そうじゃない!心の底から叫びたかった。
どんなに理不尽な出来事があっても体は正直である。
空きっ腹がなり始めたので、朝食を取るためにテーブルでベーコンとパンを摘んでいると、ゆらりと影が落ちた。
顔を上げると、そこには撫で付けたような黒髪の、愛おしい後輩がいつも以上に眉間に皺を寄せていた。
「あー……おはよう、セブルス」
「あなたは何をしているんだ。なんだあの掲示板の内容は。どうしてあんなことになった」
相変わらず挨拶の返事がないのはいつもの事だった。そしてその時は絶対に、確実に、セブルスの虫の何所が悪い。
目の前に乱暴に音を立てて座ったセブルスはカボチャジュースを一口ぐいっと飲み干すと、その暖簾のような黒髪から鋭く刺す視線を投げてきた。
「いや……セブルスも見ただろう?寮の前に居たあの人だかり」
「ええ。おかげで談話室から出るのに苦労した」
ふん、と不機嫌に鼻を鳴らす彼に、ごめんと一言添える。
「だからダンブルドアに言ったんだ。私は誰とも踊る気は無いと」
「……」
「でも、万が一私を捕まえられた人が居たのなら、その人と踊ろう、と」
「……は」
セブルスは途端に目を丸く開くと、一瞬にしてまた眉間に皺を寄せた。しかしその目はどことなく揺らいでいる気がして、現に視線は右往左往していた。
アキラはベーコンを平らげると、スケジュールと顔を見合わせた。今日は水曜日だ。ということはつまり、ダンスレッスンもあるわけで。
「……今日は水曜日だったね。水曜からダンスレッスンが始まるって書いてあったから、今日の授業でセブルスに会えるね」
鬼ごっこはしんどいかもしれないけど、この可愛い後輩に会える時間が増えるならまぁいいかなと楽天的に考え微笑む。
その微笑みに、セブルスは一つ長くため息をついた。
「足を引っ張るなよ」
「えっ」
痛いところを突かれたとでも言わんばかりに目を丸くするアキラに、セブルスは当たり前だろうと言ったように一瞥した。
「少なくとも、女子生徒のエスコートは無理だろうな。される側だろう」
「……よくわかったね」
確かに自分はダンスが苦手だ。あんなにするすると足は動かないし、密着するのも恥ずかしい。だから練習もできれば出たくないのだが、そうもいかない。ほとほと困り果てた。
「練習相手に困ってるなら僕が相手になってやっても良い」
口をぼそぼそと小さく動かすセブルスの申し出に、アキラはセブルスの頭を優しく撫でると、にこりと一つ笑みをこぼした。
「その時はお手柔らかに頼むよ!」
あ、やばい遅刻。と呟いたアキラはセブルスに手を振りながら大広間を出ていく。そんなアキラを見送った彼は、目の前の空いた空間に小さく口を開く。
「いつも見てるからな、なんて言えるわけないだろう」
ダンスが踊れない事も、人の頼みを断れなくてこんな面倒ごとに巻き込まれている事も、ずっとずっと嫌でも目で追ってしまっていたセブルスにとっては簡単に思い浮かぶ事だった。
「僕と踊らないか?」なんて簡単に言えたらどれだけ楽なのだろう。ダンスパーティーなんてクソ喰らえだ。
心に仄暗い闇を抱えたまま、セブルスはまた目の前のカボチャジュースを喉に通した。
***
「良いですか、ワン、トゥーでトントン、ですよ」
午後の授業は合同でマクゴナガル先生のダンスレッスンを受けていた。
ダンスに興味のある女子生徒――ここに集まる多くがそうだ――はマクゴナガル先生の説明を穴が開くくらいじっと見聞きしている。
対する男子はと言うと、あくびをする者も居れば、ダンスの振り付けをニヤニヤと笑う者もいた。
「では実践してみましょう。そうですね、ポッター。ここへ」
マクゴナガル先生の名指しを受けたジェームズは「うげ!」と声を上げた。途端に男子生徒たちの冷やかしの声が湧く。
「リリー!僕は君だけだからね!」という悲痛な声も虚しく、マクゴナガル先生の腰に手を当てるジェームズ。それを面白おかしく見守る教室内。
そんなことには目もくれず、入り口付近で自分は空気とでも言うように佇むアキラは、騒ぐ男子生徒たちを横からぐるりと一瞥する。
やはり、思った通りだ。教室の一番端で我関せずを貫く彼を見つけた。
いつも以上に丸まった猫背は身を潜めるのに適していて、暖簾のように垂れ下がった前髪はその奥の黒い瞳を隠していた。
小さく手を振ってやると、猫背の彼は少し顔を上げた。その際に見えた目は驚きに見開かれ、そのあとすぐに逸らされてしまった。べたついていると皆から評されている黒髪から見えた耳は、ほんのりと赤く染まっていた。
「では皆さん、ペアを作って実践しましょう」
マクゴナガル先生の言葉を皮切りに、各々ペアを作っていく。
チラチラとこちらを見る視線が刺さる。誰が一番先にスリザリンのプリンスに話しかけるのか、皆が言葉にはしないがそんな牽制をし合っていた。
そんな事はつゆ程も分かっていないアキラは教室内を横切ると、いの一番にセブルスに近寄った。
「セブルス、よかったらペアを組まない?」
ざわつく教室内をものともせず、猫背をこれでもかと丸めて縮こまる彼に手を差し伸べる。
眉に寄せた皺を少し和らげると、セブルスはアキラの手を取り立ち上がる。少し成長して身長が高くなったのか、今までよりも少し見上げる位置にある大きな鉤鼻をふん、と鳴らすと、セブルスはにやりと口元に笑みを浮かべた。
「……練習相手になってやっても良いと言ったからには、良いだろう」
「あはは、よろしくね!」
「恥はかかせないようにしてやる」
セブルスは穏やかな笑顔を見せる目の前の彼女をじっと食い入るように見つめる周囲に目をやると、勝ち誇ったかのように片方の口角を上げて笑う。
ざまあみろ。誰がやるもんか。せいぜい指を咥えて僕たちを見ているがいい。
えもいわれぬ優越感にセブルスはどっぷりと浸かった。
この時間だけは、僕のものだ――そう周囲に見せつけるように、アキラの腰に手をやる。
ダンスパーティーなんてクソ喰らえだと思っていたが、なかなかどうして、面白いじゃないか。
***
「本日はここまでです。皆さん、ステップを忘れないように」というマクゴナガル先生の言葉と共に、授業終わりの鐘が鳴る。鐘が鳴ったという事はつまり、十七時という事だ。
「ごめん、セブルス。時間だ」
鐘と共にアキラは掴んでいたセブルスの肩からパッと手を離すと、勢いよく出口の扉へと駆け出した。今日もまた彼女はパートナー権を賭けた死闘を――たかが鬼ごっこにそんな大層な名前を付けるのは正直憚られたが、本人は至って本気なのだ――繰り広げなければならない。
最初のレッスン日から数日が経ったとはいえ、やはり彼女の人気は下がる事を知らない。なんならパートナー権には目もくれず、【あのスリザリンのプリンスを追いかけ回せる】という一種の悪趣味な加虐欲を満たすために、この鬼ごっこに参加している男子生徒もいるくらいだ。
最初は脱兎の如く逃げ去った彼女に唖然としたが、もう何回も同じ様にされていると慣れというものが出てしまう。
届いているのかどうかも怪しいが、「ああ」と短く返事をして走り去った彼女を見送る。
「鐘と共に走り去るなんて、まるでシンデレラみたいね」
いつの間にか横に来ていたリリーがぽつりとこぼす。
「あんなにお転婆なシンデレラなんて僕は知らないけどな」
「あら、今回はセブが王子様だと思っていたのだけれど」
「僕は王子なんて柄じゃない」
ふふ、と笑うリリーの言葉に少し耳を赤らめながらも、自身の気持ちを守るかのように腕を組み、勢いよく開かれた扉をじっと見る。
横にいるリリーにはきっと伝わってしまっているのだろう。
「セブ、ヤドリギの伝説は知ってる?」
「……ああ、ヤドリギの下で――ってやつだろう?所詮は言い伝えだ」
リリーに視線を向ける事なく、答えを返す。
リリーは何がおかしいのかくすりと笑うと、同じように軋むように蝶番を鳴らす扉を眺めたまま呟いた。
「セブ、今日がラストチャンスよ」
なにが、とは言わないリリーに、セブルスは「やっぱりな」と言わんばかりに眉間に皺を寄せた。
***
本日の日付は二十三日。今日さえ乗り越えられれば、アキラはこの戯れに追いかけられる恐怖からも解放されるのだ。
しかし最終日という事もあり、今まで隠れた場所は軒並みパートナー権の獲得を目論む生徒たちに張られていた。
「あの部屋もダメだったし……どうしたものかな……」
生徒が待ち構えていた部屋の数を指折り数えながら、来た道を戻り、月光の射す廊下を進む。
ローブから引き摺り出した懐中時計を見れば、時刻は十九時を指していた。
あと一時間――あと一時間逃げ切れば解放される!
アキラの口角は徐々に上がっていく。
もうすぐ、もうすぐだ!
手のひらに収まる時計を注視する。
それがいけなかった。油断した。
ぽん、と肩にかかる手の感触にびくりと体を震わせる。
「……捕まえた」
肩に置かれた手を見る。
そしてゆっくりと後ろを振り向くと、そこには見慣れた人物が居た。
「……セブルス……」
息を切らして現れた彼の黒く垂れ下がった前髪は、汗でしっとりと濡れていた。
その様子に、アキラはひどく混乱していた。
――どうしてここにセブルスが?
――どうして息を切らしているの?
聞きたいことがたくさんあったが、口から出た疑問は一つに絞られてしまった。
「待って、えっと……つ、捕まえたって……」
「期限内だろう?」
息を整えたセブルスはひとつ咳払いすると、片膝をつき、アキラの左手を取った。
それは御伽話の王子様が姫の手を取るかのようだった。
「……僕と、踊ってくれないか」
絹の様に白く透き通った肌に、自身の薄い唇を這わす。
アキラの手がぴくりと揺れたが、セブルスは気にも留めずに手の甲に一つキスを落とすと、その熱の籠った黒い双眼でアキラを見上げる。
「……そんな、セブルス、君は、その……」
顔に熱が集まる。
だって、そんな――彼はこういう事には興味がないと思っていたし、それに興味があったとしても、グリフィンドールの赤毛の女の子と踊るものだと思っていたのに。
顔を赤くしたまま餌を求める金魚のように口をパクパクと動かすアキラを見て、セブルスはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「別に、パーティーで踊ってくれと言っているわけじゃないんだ。僕だって騒がしい場所は嫌いだ」
折り曲げていた片膝を伸ばして立ち上がる。
掬い上げていた左手はそのままに、右手をアキラの腰に添える。
ぴくりと体を揺らすアキラに、またしても思わず笑みが溢れてしまう。
「今まで練習したステップは忘れていないだろう?」
ゆらり、ゆらりとセブルスにつられて足を動かす。
ヤドリギの下、二人だけの舞踏会が始まる。
廊下の窓から射す月光は、まるで二人だけに当たるスポットライトの様だった。
「私のパートナーはセブルスってことでいいのかな?」
顔の赤みはまだまだ引きそうにないが、いつもの調子を取り戻してきたアキラが問いかける。
くるりとぎこちなくターンをして、セブルスのステップに合わせる。
「そうじゃなかったらこんなところで踊るものか」
腕に力を込めて、アキラを支える。
月明かりに照らされる彼女は、気を抜けばそのまま消えてしまいそうな儚さを放っていた。
支えた時に近づく顔に、途端に先ほど手の甲に這わせたように唇を近づけたくなる。
はやる気持ちを抑えて、腕の中で嬉しそうに微笑む彼女を見る。
不意にぱちりと目が合って、途端に恥ずかしさが込み上げて視線を逸らしてしまう。
多分、目の前の彼女と同じくらい、僕の顔も赤く染まっているのだろう。
このまま時が止まれば良いと、柄にもなくそう思った。
アキラのローブから垂れた懐中時計は、きっかり二十時を指していた。
***
クリスマスパーティー当日。
大広間はテーブルを取っ払われ、煌びやかなダンスホールとなっていた。
真紅のドレスに身を包んだリリーは、ウエイター係の生徒から飲み物を一つ貰うと、賑わうダンスホールの端に腰を落ち着けた。
反対側にいるジェームズたちの方に目線をやると、眼鏡の奥の瞳と視線が合ってしまい、咄嗟に背ける。
もう一杯とグラスに口をつけたところで、リリーに影が重なった。
「……あら、ブラックじゃない」
「エバンズ、その呼び方はやめてくれって言っただろう」
バツが悪そうに頭を掻くシリウス。
ポッターじゃなかったことに、何故か安堵とは程遠いため息が出てしまった。
「……なぁ、一つ聞いて良いか」
疑問形ではないそれに、リリーは眉を顰めた。
「……何かしら?」
シリウスは先ほどよりも声を潜めた。
「スリザリンのプリンス、今日は一度も姿を見てないんだが……彼女のパートナーの件はどうなったんだ?それに、スニ……スネイプも」
まさか彼の口からその件が出るとは思ってもみなかったリリーは、視線しか合わせなかったシリウスに目を見開き顔を向けた。
「あら、あなたがセブ達の事を気にかけるなんて、そんな日もあるのね。明日は槍が降るかしら?」
「バカ言え、俺はスリザリンのプリンスの方を心配してるんだ」
リリーの棘のある言葉に、さも当然と言わんばかりに返すシリウス。
「そうね……ここに居ないということが、答えじゃないのかしら?」
意地悪く片方の口角を上げながらニヤリと笑顔を見せるリリー。
そんな彼女にシリウスは「ありえない」と首を横に振った。
「いやいや、それは無いだろう。あの泣きみそスニベリーだぞ?」
冗談も大概にしろと言わんばかりに半笑いで返すシリウスに、リリーは少しむっとした表情で眉間に皺を寄せた。
「私の幼馴染はスリザリンよ?狡猾で、目的の為なら手段を選ばない、あのスリザリン」
リリーは知っていた。
このダンスパーティーが始まる頃、いつもの湖の畔にある木陰で、難しそうな教科書を読み込む黒い影と、その隣でこくりこくりと舟を漕ぐプリンスの姿がそこにはある事を。
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