半純血のプリンスと謎の先輩
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スリザリンのセブルス・スネイプは魔法薬学が得意。これはセブルスを知る者であれば周知の事実だった。
スラグホーン先生の薬学を難なく終えて、後片付けを済まし、たまに先生に質問をした後、教室を出る。それがいつもの流れだった。しかし、今日だけは違った。
セブルスが外に出ようと扉に目をやると、そこにあるのは女子の群れだった。グリフィンドールもスリザリンも入り混じっているので、ものすごいクリスマスカラーになっていた。まだクリスマスには早いのに。
いつもだったら魔法薬学に興味のない学生ばかりなので、大体セブルスの質疑応答が終わる頃には、出入り口はトロールでも入れそうなくらいがらんとしているはずだ。
それなのに今日に限って、一つしかない出入り口が人の群れで塞がれかけている。冗談じゃない。この後図書室に行って、質問の回答をノートにまとめなくちゃならないのに。
無理にでも通ってやろうかと扉に近づいた時だった。
「キャー!スリザリンのプリンスよ!」
「やだ……他の男子なんて目じゃないくらいクールだわ……」
女子生徒達の黄色い悲鳴がセブルスの耳を劈いた。並のガラス窓なんか割れるんじゃないかと思えるその黄色い声に耳を押さえる。
声の大きさに心臓が止まるかと思った。ふざけるな。
セブルスの眉間にグッとシワが寄る。その後、今の女子生徒があげた声を頭の中で整理する。
――待て。今、奴らは何と言った?【スリザリンのプリンス】だと?
少し背伸びをして、開けっぱなしにされている扉の先を見る。
そこには軽く壁に寄りかかり、少し困ったような笑顔を貼り付けながら、女子生徒達と呑気に短い会話をするアキラの姿があった。
囲う女子生徒達から頭ひとつ分抜けた長身で、分け隔てなく反応を返す様は、まさしく女子が夢見る王子様だった。
セブルスは頭を抱えた。
何でここに。何の用で、下級生の授業終わりのタイミングに。誰に、何の、どういう用件で――自分の立場を分かっているのかと問い詰めたかった。
とにもかくにも、この人だかりを抜けないことには平穏は訪れないと悟ったセブルスは、一か八か人混みの方へと足を動かした。
蛇のように、素早くするりと抜けてしまえば――
その幻想はもう少しで階段に差し掛かるといったところで打ち砕かれた。
「あ!セブルス!おーい!」
その声は、確実に自分を呼んだ気がした。
足を止めて後ろを振り向くと、渦中の先輩はこちらに手を振っていた。その様子に周りにいた生徒達の目もこちらに向く。
刺すような視線が痛い。どこかから、またひそひそ声が聞こえる。
「スネイプ?」
「何でスネイプが?」
「スネイプがプリンスに直にお呼ばれって……」
「何か盛ったんじゃない?」
多種多様、いろんな憶測が飛び交う。よくもまぁそんなに僕らの関係性について考えられるものだ。ゴシップが好きなのはマグルと変わらないな。もっと他のところに頭を使え。
薬学が得意とは言え、自身は何も盛ってはないし、なんなら意気揚々と呼ばれた理由について教えて欲しいくらいだ。
セブルスは面倒くさそうにチッと舌打ちをすると、自身に注がれている刺すような視線から逃げるように目の前の階段を駆け上った。
「あ!待って!セブルスに用があったんだって!」
廊下をすぐに左に曲がり、変身術の中庭に出る。
ピタリと足を止めると、後ろから息を切らした先輩が駆け寄ってきた。
「ちょ……セブルス……見た目に反して……足、早いね…………」
「……それは貶してるんですか、褒めてるんですか」
「もちろん……褒めて……」
肩で息をする先輩にふん、と鼻を鳴らし腕を組む。
見た目に反して足が早い?余計なお世話だ。一体誰のせいで――と文句が口から出かけたところで、本来の疑問を思い出す。
「……それで。先輩のあなたが、どうして一学年下の生徒の魔法薬学教室の前に居たのか、説明していただけますかな?」
この後の時間は図書室で勉強しようとしただけなのに、この僕に注目を浴びせ、巻き込んだんだ。ただ会いたかっただけ、なんて陳腐な理由なら――……いや、それはそれで嬉しいなんて思ってないぞ。
咄嗟に頭をよぎった邪な考えを振り払って、セブルスは目の前の彼女の言葉を待った。
アキラは息を整えると、途端に頬を赤くした。心なしか目も泳いでいる。
あー、うん。と少し言い淀んでから、セブルスの目の前に一冊の本を突きつけてきた。
【魔法薬学 第二版】――タイトルにはそう書かれていた。
「あー……魔法薬学、教えていただけませんか?」
照れくさそうに教科書から顔を出すアキラを見て、セブルスは何とも言えない表情を浮かべた。
この人はそれを言うだけのために、あんな騒ぎを起こしたのか?
つくづくいい迷惑だと思いつつも、心のどこかで頼りにされたという事実に喜びを隠せなかった。
真一文字に結んでいる筈の口元は、少し口角が上がりにやけてしまっていた。
「……いいでしょう。しかし魔法薬学となると、ゆっくり調合ができる場所でないと」
そう、魔法薬学は杖を振り回すようなものではない。名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえふたをする方法だ。
横から茶々を入れられず、ゆっくり正確に調合ができる場所――
互いにどこかいい場所はないかと考えていた所だった。アキラはぽん、と手のひらを叩くと、いたずらを思いついた子供のような表情を見せた。
「……ああ!それなら、三階のトイレなら、人は滅多に来ないよ!」
よく逃げ場所に使わせてもらってるんだ。
そう言うが早いか、セブルスはアキラの手を掴んで駆け出していた。
***
「ちょ、セブルス、どこに行くの⁉︎」
ぐんぐんと進むセブルスに半ば引きずられるように連れて行かれる。
質問しても答えてくれないし、脚の長さが違うからか、階段では縺れて転けそうになるし、――しかも何回か色んなところの絵画達に「仲がいいわね」と囃された。その度にセブルスの足が速くなるから、たまったもんじゃない――全くもって踏んだり蹴ったりだ。
ようやくセブルスが止まったと思ったら、そこは先ほど話にあがっていた三階のトイレだった。
「三階のトイレ。ここなら人は来ないのだろう?」
意地悪く片方の口角をあげてそう言ったセブルスは男子と女子で一瞬迷った後、男子トイレの扉を勢いよく開け、その中にアキラを押し込んだ。
「待って!セブルス、こっち男子トイレ!」
「しょうがないだろ!僕が女子トイレに入るより、先輩が男子トイレにいた方が断然いいでしょう⁉︎」
「ちょっと待って、それどういう――」
ぐいぐいと押し込まれて、入り口のドアが勢いよく閉められる。
セブルスは一息つくと、調合器具を出しながらアキラの持ってきた教科書を開いた。
「……で、先輩の苦手な部分はどこですか」
「あー……えっと、ここ、なんだけど……」
白く長く、綺麗で傷ひとつない指で指された箇所を、じっと虚ろで黒い双眼が追う。
材料は、すり潰したタマオシコガネ、刻んだ根生姜、アルマジロの胆汁――
「頭冴え薬ですか」
「え!正解!すごいね、セブルス!」
アキラはセブルスの知識に驚き、感心した。まさかここまでとは。
材料の一部だけ見て薬品名を答えられるなんて、相当魔法薬学が好きではないとできない芸当だ。
作る魔法薬が解るや否や、調合の準備を手早く始めるセブルスに、つい、何の気なく溢してしまった。
「知識もあるし、セブルスは将来、魔法薬学の先生になれるよ。むしろ今から【スネイプ教授】って呼んじゃおうかな!」
「…………ほう?」
返ってきたセブルスの声色は、先程までとは少し違った。まずい、と思った時にはもう遅かった。
***
「違う、ヤヨイ。まず根生姜は一センチに刻まねばならない」
「あっ、ごめん、セブルス……」
「ヤヨイ。今の僕は【スネイプ教授】だ。君がそう言ってきたのだろう?」
「うっ……すみません、スネイプ教授……」
「ふん、先が思いやられますな」
片眉をあげ、ため息をつくセブルスを見て、どうしてこうなったとアキラは頭を悩ました。
スネイプ教授と呼ばれたセブルスは表情こそ変わらないものの、纏う雰囲気はどこか柔らかく、傍から見ても喜んでいるのがわかった。
その瞬間から、自分の今いるこのトイレは、セブルス・スネイプの薬学教室になったのだと痛感した。
まずはじめに、先輩呼びからヤヨイ呼びになった。なんだかむず痒かった。そして薬品作りに完璧を求めた。少しでもミスがあれば重箱の隅を突くかのようにねちっこく責められるし、鼻で笑われる回数もいつもより多かった。
その分、彼が魔法薬学という科目に真面目に真摯に取り組んでいるというのが手に取るようにわかったし、この嫌味ったらしい訂正は、魔法薬学が一歩間違えると大怪我を負ってしまうからだと言うことも理解できた。
言われた通りに根生姜を一センチに刻む。次はどうするんだっけ?と思ったところで、横で作業を見ていたセブルスに教科書をひったくられた。
「教科書は効率が悪い。僕の言う通りに鍋に入れるんだ」
「いやでも、いくらなんでもセブルスが魔法薬学が得意だからって――」
アキラが口を開くや否や、セブルスは手洗い場に手をつき、ぐっと上半身をこちらに寄せてきた。
アキラとセブルスの距離が近くなる。事情を何も知らない人物がこの場を見たら、キスの一つでもしようとしているのかと見間違うほどの距離だった。
「今は、僕が、先生だ――」
互いの鼻が触れそうな距離で放たれた言葉に、アキラは口を噤む。有無を言わせないセブルスの態度に、アキラはこくこくと首を頷かせるしかなかった。
***
あれからセブルスに言われた通りに材料を入れ、鍋をかき混ぜた。緑色の液体が徐々に色を変え、白くなったところで火を消し、鍋を下ろす。
とろりとした液体を瓶に詰めて、蓋をする。
セブルスの方をちらりと見る。品定めをするように、出来上がった頭冴え薬を少しの間逆さにしたり匂いを嗅いだりしていた。なんだかとても長い時間が過ぎたように思えた。チェックされるだけで、こんなに緊張するなんて。
ソワソワしながらセブルスが口を開くのを待つと、全て確認し終えたのか、アキラに白く濁った液体を返してきた。
その表情はどこか柔らかく、少し口角をあげていた。
「……上出来です」
「やったー!」
喜びのあまり目の前のセブルスに抱きつく。セブルスはいきなりの出来事に少し後ろへとよろけたが、しっかりとアキラの腰に手をやり、抱きとめた。
思ったよりも細く柔らかいその腰に眩暈がした。
すぐさま離された体に寂しさを覚えたが、嬉しそうなアキラの声にその余韻に浸ることは憚られた。
「セブルス!ありがとう!セブルス・スネイプ教授のおかげだよ!」
「僕は、何も……先輩の要領の問題ですよ」
「教え方が上手だったんだよ、スネイプ教授!」
「……もう、忘れてください……」
柄にもなく先生のように振る舞ってしまったが、相手は腐っても先輩であり、想い人なのだ。
あんな意地悪で嫌味ったらしい言い方をするつもりはなかった。ただやっぱり、やるからにはちゃんと先輩の為になる事をしたかったのだ。
これはセブルスの優しさでもあったと同時に、少しばかり拗れた独占欲だった。
僕のやり方しか覚えなくていい。教科書に書いてある事なんて覚えなくていい。僕が全部、一から教えてあげるから。
そんな拗れて歪んだ想いを孕んだセブルスの真意は、目の前で意気揚々と自分の作った薬を眺める彼女に伝わることはなかった。
***
あらかた片付けを終えたアキラは、トイレの床を見てため息を吐いた。
残念ながら、セブルスの助言や助力があったとはいえ、やはり苦手なものは苦手。盛大に零したり、爆発させたり――紆余曲折あり、ようやく完成に漕ぎ着けたのだった。
「しかし……この白い液体はどうしようかね」
腕を組み、目の前の惨事を見つめる。
「……余計な事言ってないで、手を動かしてください」
セブルスはジッと目を細めてアキラを見る。その視線に耐えきれなくなったのか、アキラは間延びした返事を返すと杖で床を一撫でした。
しかし床に散らばった失敗薬の水溜まりは、まだ大きさを保ったままだった。
その場にしゃがみ、杖で一突きすると、薬からゴポッと泡が飛び出た。
「……セブルス、ちょっと……これ、まだ大きいよ」
「……しょうがないでしょう、先輩のせいですよ」
セブルスはアキラの方へ一歩寄ると、そのままアキラを見下ろす。先輩がやったのだから、自分でどうにかしろ。という無言の圧力を感じる。
「ええ……仕方ないなぁ……」
セブルスの圧に耐えきれなくなったアキラが、もう一度杖を取り出した時だった。
バタン!と大きな音が扉からしたかと思うと、背の高い黒髪の男の子がトイレに傾れ込んできた。その後ろには顔に大きめの傷のある優しそうな男の子が、呆れた表情で黒髪の男の子を見ていた。
黒髪の男の子は勢いよく顔を上げると、アキラとセブルスを交互に見た後に、後ろに立っている優しそうな男の子の方を向いて叫んだ。
「騙したな!リーマス!」
「……いや、君が勝手に勘違いして傾れ込んだんだろうに……」
言い合う二人に目を丸くするアキラとは対照的に、隣に立つセブルスは、眉間に皺がよった顔をこれでもかというほど歪めた。
アキラは隣のセブルスを見て、直感した。
――これは、セブルスの我慢の限界が近い。
力の入った左手はわなわなと震え出していた。
なおも続く二人の言い争いに、とうとう黙っていたセブルスの堪忍袋の緒が切れた。
ドン!と大きな音を立てて手洗い場が叩かれる。トイレに似つかないその音に、この場にいる全員が息を呑み、音のした方を見る。体は怒りに震え、撫で付けた様な黒髪から覗く双眼は、獲物を仕留める様に入り口を鋭く睨んだ。
その主――セブルス・スネイプは、これでもかと低い、地を這う様な声を絞り出した。
「……ブラック……何の用だ……」
***
グリフィンドールのシリウス・ブラックは、赤く腫れた自身の左頬を押さえながら、廊下を一人寂しく歩いていた。
自分に言い寄ってきたレイブンクローの女子と束の間の逢瀬を楽しんでいたところ、別の日に手をつけたハッフルパフの女子がその場を目撃してしまったのだ。
シリウスはどちらも愛していると告げたが、それが間違いだった。
ハッフルパフの女子には「最低。あなたは女子の敵よ」と吐き捨てる様に言われ、レイブンクローの女子には左頬にビンタを食らった。
「いってぇ……いい男が台無しじゃねぇかよ……」
憎まれ口を叩きながらとぼとぼと三階の廊下を歩いていると、どこからか小さく声が聞こえてきた。
この階はあまり人は通らないはずなんだが――
シリウスは誘われる様に、声の出所へと近づいていった。
声のする方に歩いて行くと、たどり着いたそこは例の三階のトイレだった。何かとウワサの多いトイレだ。
耳を澄ませると、男女の声が聞こえてきた。一つは誰でも一回は耳にしたことのある声だ。スリザリンのプリンスこと、アキラ・ヤヨイ。
他の女子生徒よりかは少し低めの声色は、聞いている者の心を落ち着かせる様な、不思議な感覚を味わわせてくれるものだった。
対するもう一つの声は、シリウスにはあまり好ましくない声だった。
「スニベルスかよ……」
途端に自分の顔が歪むのがわかった。何が楽しくて、陰険根暗野郎の声を聞かなきゃならないんだ。
シリウスはチッと舌打ちをすると、その場を後にしようとトイレの扉から一歩距離を取った。その時だった。
「スネイプ教授……そんな、ダメです……」
「ダメ?一体何を言っているのかね?ほら、早くたくし上げるのだ……」
耳を疑う様な会話が飛んできた。
オイオイ、マジかよ。何やってんだよ、真昼間から!しかもトイレで!
しかも【スネイプ教授】だと⁉︎あいつ、見た目も陰湿だけど、性癖も歪みすぎだろ!
シリウスは一歩扉から遠ざかった足をまたトイレの方に戻して、扉に耳をつけた。
「っ、やだ……ビクビク動いてる……」
「大丈夫だ、ヤヨイ。左手で押さえて、ゆっくり右手で動かすんだ……」
シリウスの頭の中では、それはもう大変な事が起こっていた。
あの恋愛になんて微塵も興味のなさそうなスニベルスと、学校のプリンスが、人の全く通らない廊下の――しかも男子トイレで、二人で事に及んでいるだと⁉︎
これはセブルスを揶揄う動機なんだ、と誰も聞いていない言い訳を並べて、ピッタリと扉にくっつく。
「そうだ、ヤヨイ。自分でかき混ぜるのだ……」
「う……で、できないです……」
「仕方ない……僕が手伝ってやろう」
「あっ!そ、そんなにしたら……!」
あのスリザリンのプリンス相手に、そんなに激しい事してんのかよ!スニベルスの癖に!あいつ本当にむっつりだな!
羨ましさに顔を歪めながら耳を澄ましていると、どこからともなく肩をトントン、と叩かれた。
何だよ、今いいところなのに!
――振り向くと、そこには笑顔を貼り付けながら佇むリーマス・ルーピンが居た。
「よ……よう、リーマス。お前もその……トイレか?あー……あいにくここは……」
「僕はここのトイレに用はないよ。用があるのはシリウス、君だ」
リーマスはにっこりと笑うと、シリウスの肩を強く掴んだ。貼り付けた笑みが恐ろしかった。
「さっき、最近君が声をかけていたハッフルパフの女の子に聞いたんだ。シリウスはどこにいるか知ってる?って。彼女はとても怒ってこの廊下を教えてくれたよ。また何かやらかしたんだね」
「いや、まぁ、その……だな。リーマス、お説教は後にしてくれないか。今、大スクープを聞いている最中なんだ」
シリウスのいつもと違う歯切れの悪さに、リーマスも首を傾げる。
どうしてシリウスはこんなにもこのトイレに興味を持っているのだろうか。そして狼狽えているのか。用を足したいのであれば、こんなに入り口でこそこそせずに入ればいいのに。
シリウスの態度を訝しむリーマスがトイレの扉に手をかけた時だった。先ほどよりも少し大きな声が聞こえて来た。
「スネイプ教授……ダメ……もう……!」
「っ……ああ、良いぞ……!」
そのただならぬ声に、シリウスとリーマスは互いの顔を見やる。
リーマスはぎょっと目を丸くしていたが、シリウスは口角を上げてニマニマと笑っていた。
「……今のは、セブルスと……スリザリンのプリンス……だよね?」
リーマスは声を顰めながら、シリウスと同じように扉の前に膝をついた。
そんなリーマスに、シリウスが興奮した様に話す。
「ああ、そうだ!スニベルスはあろうことか男子トイレにプリンスを連れ込んで、己の欲望のままに生徒と教授ごっこに精を出していたって訳だ!」
そういうのが趣味だったとはな!と、目の前のシリウスは興奮した様に捲し立てたが、リーマスは顎に手をやり、考えるそぶりを見せた。
トイレという場所には似つかわしくない、扉から少しばかり香った薬品の匂いと先程の聞こえてきた声に、リーマスは合点がいった。
「……シリウス、多分君が想像している様な下世話な行いはされていないと思うよ」
「おいおい、リーマス。ここまで聞いておいて、スニベルス達は何もなってないって言うつもりか?」
「うーん、そう言ってるつもりなんだけど……」
困った様に頭を掻くリーマスとは対照的に、頑なに【何か】をやらかしたと言い張るシリウス。
リーマスはやれやれ、とため息を吐く。勘違いされているセブルスとスリザリンのプリンスに、心の底から同情した。
「まぁ……何が行われていたか知りたいなら、そのまま聞いていればわかるんじゃないかな」
またしても扉に耳をつけて盗み聞きを始めた友人に一言助言をした時だった。
シリウスの体重が扉の方へ寄りすぎたのか、耳をつけていた扉は大きな音を立てて開いた。
その勢いでシリウスの体が先ほどまで聞き耳を立てていた場所へと投げ出される。
そこにはこちらを凝視するアキラと、一瞬目を丸くしたかと思うと、眉間に皺を寄せこれでもかというほど目つきを鋭くさせたセブルスの姿がそこにはあった。
少しの間倒れ込んでいたシリウスは、上体を起こして周りを見渡した。
目の前には自分と同じくらいの目線にいる、年齢にしては少し幼いような気のする整った顔立ちに黒髪――スリザリンのプリンスがこちらを凝視していた。
その横には忌まわしいスニベルスがいた。撫で付けたようなベタついた髪の毛で表情はわからない。別に知りたくもないから良い。
少し後ろに首をやると、先ほどまで一緒に聞き耳を立てていたリーマスが呆れた表情を浮かべてこちらを見ていた。――なんだその哀れんだ目は。
そこまで状況を整理したあと、シリウスは自分の鼻をくすぐる薬品の匂いに気づいた。
――薬品の匂い?
もう一度辺りを見回すと、トイレの床には今まで使っていたであろう鍋が置いてあった。中身は白くとろとろと濁っている。匂いの元はこれだろう。
アキラの左手もよく見ると、同じ液体の入った小瓶を大切そうに握りしめていた。
床に散らばった白い液体は、ゴポッと音を立てて泡を作っている。
途端に今までの自分の考えが全て妄想や勘違いだった事に気づいて、シリウスは声を荒げた。
「騙したな!リーマス!」
「……いや、君が勝手に勘違いして傾れ込んだんだろうに……」
***
「なるほどね。うわ、ごめんね。会話が怪しかったよね」
「いいや、あなたが気にすることじゃないですよ。うちの下世話な馬鹿犬がすみません」
アキラとリーマスは、セブルスとシリウスの言い争いを横目に、互いの誤解について話していた。
あまり人が来ないと噂の三階のトイレは、それはそれは賑やかになっていた。
「――じゃあ、僕たちはこれで失礼するよ。ヤヨイ先輩、本当にご迷惑をおかけしました」
「いやいや!良いんだよ!元はと言えばこっちが誤解させちゃったわけだし!」
リーマスは一呼吸置くと、口を開いた。
できるだけ優しく、誘うように。
「……ご迷惑をおかけしてしまったお詫びに、今度、お茶会でもしませんか?チョコレートなんかも持って来て」
リーマスのふと投げかけられた言葉に、アキラはきょとんと目を丸くする。
迷惑をかけてしまったのは、十中八九こちらなのだが――
グリフィンドールの子とお茶会なんてなかなかない機会だし、何よりチョコレートに釣られてしまった。
アキラが了承しようと口を開いた時だった。
「ルーピン!勝手なことをするな貴様はこの駄犬の首輪でも握っていろ!」
どこからともなく遮られた言葉に、リーマスはまたやれやれとため息を吐く。
オイ!駄犬ってなんだ!と喚くシリウスの声は右から左へと流れていった。
「セブルス、君は――」
「黙れルーピン口を開くな。この喚き散らかすしか能のない駄犬を連れてさっさとどこかへ消えろ他の何かに噛み付く前にな」
捲し立てるように一呼吸で一方的に話された後、セブルスはアキラの腕を掴んで早歩きでこの場を去ってしまった。
アキラは咄嗟のことに困惑したが、セブルスに引きずられながらもリーマスとシリウスに手を振っていた。
「スニベルスの野郎、なんだってあんな……」
「……」
「リーマス?」
セブルスとアキラの去っていった方を呆然と見るリーマスを、シリウスは不思議がった。こんなにも心ここに在らずなリーマスを見るのは初めてだった。
「なんだ?スリザリンのプリンスにでも惚れちまったか?」
半ば冗談のように笑い飛ばし、リーマスの肩を組む。
リーマスはシリウスの言葉を聞いて、口に手を当てた。心なしか、顔は赤く染まっていた。
そんなリーマスの様子に、シリウスは口元をひくひくと動かした。
「……オイオイ、マジかよ」
「……僕も自分で自分が不思議だよ」
リーマスは、今となってはこの場にいないスリザリンの二人に、複雑な気持ちを抱いたままこの場を後にした。
スラグホーン先生の薬学を難なく終えて、後片付けを済まし、たまに先生に質問をした後、教室を出る。それがいつもの流れだった。しかし、今日だけは違った。
セブルスが外に出ようと扉に目をやると、そこにあるのは女子の群れだった。グリフィンドールもスリザリンも入り混じっているので、ものすごいクリスマスカラーになっていた。まだクリスマスには早いのに。
いつもだったら魔法薬学に興味のない学生ばかりなので、大体セブルスの質疑応答が終わる頃には、出入り口はトロールでも入れそうなくらいがらんとしているはずだ。
それなのに今日に限って、一つしかない出入り口が人の群れで塞がれかけている。冗談じゃない。この後図書室に行って、質問の回答をノートにまとめなくちゃならないのに。
無理にでも通ってやろうかと扉に近づいた時だった。
「キャー!スリザリンのプリンスよ!」
「やだ……他の男子なんて目じゃないくらいクールだわ……」
女子生徒達の黄色い悲鳴がセブルスの耳を劈いた。並のガラス窓なんか割れるんじゃないかと思えるその黄色い声に耳を押さえる。
声の大きさに心臓が止まるかと思った。ふざけるな。
セブルスの眉間にグッとシワが寄る。その後、今の女子生徒があげた声を頭の中で整理する。
――待て。今、奴らは何と言った?【スリザリンのプリンス】だと?
少し背伸びをして、開けっぱなしにされている扉の先を見る。
そこには軽く壁に寄りかかり、少し困ったような笑顔を貼り付けながら、女子生徒達と呑気に短い会話をするアキラの姿があった。
囲う女子生徒達から頭ひとつ分抜けた長身で、分け隔てなく反応を返す様は、まさしく女子が夢見る王子様だった。
セブルスは頭を抱えた。
何でここに。何の用で、下級生の授業終わりのタイミングに。誰に、何の、どういう用件で――自分の立場を分かっているのかと問い詰めたかった。
とにもかくにも、この人だかりを抜けないことには平穏は訪れないと悟ったセブルスは、一か八か人混みの方へと足を動かした。
蛇のように、素早くするりと抜けてしまえば――
その幻想はもう少しで階段に差し掛かるといったところで打ち砕かれた。
「あ!セブルス!おーい!」
その声は、確実に自分を呼んだ気がした。
足を止めて後ろを振り向くと、渦中の先輩はこちらに手を振っていた。その様子に周りにいた生徒達の目もこちらに向く。
刺すような視線が痛い。どこかから、またひそひそ声が聞こえる。
「スネイプ?」
「何でスネイプが?」
「スネイプがプリンスに直にお呼ばれって……」
「何か盛ったんじゃない?」
多種多様、いろんな憶測が飛び交う。よくもまぁそんなに僕らの関係性について考えられるものだ。ゴシップが好きなのはマグルと変わらないな。もっと他のところに頭を使え。
薬学が得意とは言え、自身は何も盛ってはないし、なんなら意気揚々と呼ばれた理由について教えて欲しいくらいだ。
セブルスは面倒くさそうにチッと舌打ちをすると、自身に注がれている刺すような視線から逃げるように目の前の階段を駆け上った。
「あ!待って!セブルスに用があったんだって!」
廊下をすぐに左に曲がり、変身術の中庭に出る。
ピタリと足を止めると、後ろから息を切らした先輩が駆け寄ってきた。
「ちょ……セブルス……見た目に反して……足、早いね…………」
「……それは貶してるんですか、褒めてるんですか」
「もちろん……褒めて……」
肩で息をする先輩にふん、と鼻を鳴らし腕を組む。
見た目に反して足が早い?余計なお世話だ。一体誰のせいで――と文句が口から出かけたところで、本来の疑問を思い出す。
「……それで。先輩のあなたが、どうして一学年下の生徒の魔法薬学教室の前に居たのか、説明していただけますかな?」
この後の時間は図書室で勉強しようとしただけなのに、この僕に注目を浴びせ、巻き込んだんだ。ただ会いたかっただけ、なんて陳腐な理由なら――……いや、それはそれで嬉しいなんて思ってないぞ。
咄嗟に頭をよぎった邪な考えを振り払って、セブルスは目の前の彼女の言葉を待った。
アキラは息を整えると、途端に頬を赤くした。心なしか目も泳いでいる。
あー、うん。と少し言い淀んでから、セブルスの目の前に一冊の本を突きつけてきた。
【魔法薬学 第二版】――タイトルにはそう書かれていた。
「あー……魔法薬学、教えていただけませんか?」
照れくさそうに教科書から顔を出すアキラを見て、セブルスは何とも言えない表情を浮かべた。
この人はそれを言うだけのために、あんな騒ぎを起こしたのか?
つくづくいい迷惑だと思いつつも、心のどこかで頼りにされたという事実に喜びを隠せなかった。
真一文字に結んでいる筈の口元は、少し口角が上がりにやけてしまっていた。
「……いいでしょう。しかし魔法薬学となると、ゆっくり調合ができる場所でないと」
そう、魔法薬学は杖を振り回すようなものではない。名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえふたをする方法だ。
横から茶々を入れられず、ゆっくり正確に調合ができる場所――
互いにどこかいい場所はないかと考えていた所だった。アキラはぽん、と手のひらを叩くと、いたずらを思いついた子供のような表情を見せた。
「……ああ!それなら、三階のトイレなら、人は滅多に来ないよ!」
よく逃げ場所に使わせてもらってるんだ。
そう言うが早いか、セブルスはアキラの手を掴んで駆け出していた。
***
「ちょ、セブルス、どこに行くの⁉︎」
ぐんぐんと進むセブルスに半ば引きずられるように連れて行かれる。
質問しても答えてくれないし、脚の長さが違うからか、階段では縺れて転けそうになるし、――しかも何回か色んなところの絵画達に「仲がいいわね」と囃された。その度にセブルスの足が速くなるから、たまったもんじゃない――全くもって踏んだり蹴ったりだ。
ようやくセブルスが止まったと思ったら、そこは先ほど話にあがっていた三階のトイレだった。
「三階のトイレ。ここなら人は来ないのだろう?」
意地悪く片方の口角をあげてそう言ったセブルスは男子と女子で一瞬迷った後、男子トイレの扉を勢いよく開け、その中にアキラを押し込んだ。
「待って!セブルス、こっち男子トイレ!」
「しょうがないだろ!僕が女子トイレに入るより、先輩が男子トイレにいた方が断然いいでしょう⁉︎」
「ちょっと待って、それどういう――」
ぐいぐいと押し込まれて、入り口のドアが勢いよく閉められる。
セブルスは一息つくと、調合器具を出しながらアキラの持ってきた教科書を開いた。
「……で、先輩の苦手な部分はどこですか」
「あー……えっと、ここ、なんだけど……」
白く長く、綺麗で傷ひとつない指で指された箇所を、じっと虚ろで黒い双眼が追う。
材料は、すり潰したタマオシコガネ、刻んだ根生姜、アルマジロの胆汁――
「頭冴え薬ですか」
「え!正解!すごいね、セブルス!」
アキラはセブルスの知識に驚き、感心した。まさかここまでとは。
材料の一部だけ見て薬品名を答えられるなんて、相当魔法薬学が好きではないとできない芸当だ。
作る魔法薬が解るや否や、調合の準備を手早く始めるセブルスに、つい、何の気なく溢してしまった。
「知識もあるし、セブルスは将来、魔法薬学の先生になれるよ。むしろ今から【スネイプ教授】って呼んじゃおうかな!」
「…………ほう?」
返ってきたセブルスの声色は、先程までとは少し違った。まずい、と思った時にはもう遅かった。
***
「違う、ヤヨイ。まず根生姜は一センチに刻まねばならない」
「あっ、ごめん、セブルス……」
「ヤヨイ。今の僕は【スネイプ教授】だ。君がそう言ってきたのだろう?」
「うっ……すみません、スネイプ教授……」
「ふん、先が思いやられますな」
片眉をあげ、ため息をつくセブルスを見て、どうしてこうなったとアキラは頭を悩ました。
スネイプ教授と呼ばれたセブルスは表情こそ変わらないものの、纏う雰囲気はどこか柔らかく、傍から見ても喜んでいるのがわかった。
その瞬間から、自分の今いるこのトイレは、セブルス・スネイプの薬学教室になったのだと痛感した。
まずはじめに、先輩呼びからヤヨイ呼びになった。なんだかむず痒かった。そして薬品作りに完璧を求めた。少しでもミスがあれば重箱の隅を突くかのようにねちっこく責められるし、鼻で笑われる回数もいつもより多かった。
その分、彼が魔法薬学という科目に真面目に真摯に取り組んでいるというのが手に取るようにわかったし、この嫌味ったらしい訂正は、魔法薬学が一歩間違えると大怪我を負ってしまうからだと言うことも理解できた。
言われた通りに根生姜を一センチに刻む。次はどうするんだっけ?と思ったところで、横で作業を見ていたセブルスに教科書をひったくられた。
「教科書は効率が悪い。僕の言う通りに鍋に入れるんだ」
「いやでも、いくらなんでもセブルスが魔法薬学が得意だからって――」
アキラが口を開くや否や、セブルスは手洗い場に手をつき、ぐっと上半身をこちらに寄せてきた。
アキラとセブルスの距離が近くなる。事情を何も知らない人物がこの場を見たら、キスの一つでもしようとしているのかと見間違うほどの距離だった。
「今は、僕が、先生だ――」
互いの鼻が触れそうな距離で放たれた言葉に、アキラは口を噤む。有無を言わせないセブルスの態度に、アキラはこくこくと首を頷かせるしかなかった。
***
あれからセブルスに言われた通りに材料を入れ、鍋をかき混ぜた。緑色の液体が徐々に色を変え、白くなったところで火を消し、鍋を下ろす。
とろりとした液体を瓶に詰めて、蓋をする。
セブルスの方をちらりと見る。品定めをするように、出来上がった頭冴え薬を少しの間逆さにしたり匂いを嗅いだりしていた。なんだかとても長い時間が過ぎたように思えた。チェックされるだけで、こんなに緊張するなんて。
ソワソワしながらセブルスが口を開くのを待つと、全て確認し終えたのか、アキラに白く濁った液体を返してきた。
その表情はどこか柔らかく、少し口角をあげていた。
「……上出来です」
「やったー!」
喜びのあまり目の前のセブルスに抱きつく。セブルスはいきなりの出来事に少し後ろへとよろけたが、しっかりとアキラの腰に手をやり、抱きとめた。
思ったよりも細く柔らかいその腰に眩暈がした。
すぐさま離された体に寂しさを覚えたが、嬉しそうなアキラの声にその余韻に浸ることは憚られた。
「セブルス!ありがとう!セブルス・スネイプ教授のおかげだよ!」
「僕は、何も……先輩の要領の問題ですよ」
「教え方が上手だったんだよ、スネイプ教授!」
「……もう、忘れてください……」
柄にもなく先生のように振る舞ってしまったが、相手は腐っても先輩であり、想い人なのだ。
あんな意地悪で嫌味ったらしい言い方をするつもりはなかった。ただやっぱり、やるからにはちゃんと先輩の為になる事をしたかったのだ。
これはセブルスの優しさでもあったと同時に、少しばかり拗れた独占欲だった。
僕のやり方しか覚えなくていい。教科書に書いてある事なんて覚えなくていい。僕が全部、一から教えてあげるから。
そんな拗れて歪んだ想いを孕んだセブルスの真意は、目の前で意気揚々と自分の作った薬を眺める彼女に伝わることはなかった。
***
あらかた片付けを終えたアキラは、トイレの床を見てため息を吐いた。
残念ながら、セブルスの助言や助力があったとはいえ、やはり苦手なものは苦手。盛大に零したり、爆発させたり――紆余曲折あり、ようやく完成に漕ぎ着けたのだった。
「しかし……この白い液体はどうしようかね」
腕を組み、目の前の惨事を見つめる。
「……余計な事言ってないで、手を動かしてください」
セブルスはジッと目を細めてアキラを見る。その視線に耐えきれなくなったのか、アキラは間延びした返事を返すと杖で床を一撫でした。
しかし床に散らばった失敗薬の水溜まりは、まだ大きさを保ったままだった。
その場にしゃがみ、杖で一突きすると、薬からゴポッと泡が飛び出た。
「……セブルス、ちょっと……これ、まだ大きいよ」
「……しょうがないでしょう、先輩のせいですよ」
セブルスはアキラの方へ一歩寄ると、そのままアキラを見下ろす。先輩がやったのだから、自分でどうにかしろ。という無言の圧力を感じる。
「ええ……仕方ないなぁ……」
セブルスの圧に耐えきれなくなったアキラが、もう一度杖を取り出した時だった。
バタン!と大きな音が扉からしたかと思うと、背の高い黒髪の男の子がトイレに傾れ込んできた。その後ろには顔に大きめの傷のある優しそうな男の子が、呆れた表情で黒髪の男の子を見ていた。
黒髪の男の子は勢いよく顔を上げると、アキラとセブルスを交互に見た後に、後ろに立っている優しそうな男の子の方を向いて叫んだ。
「騙したな!リーマス!」
「……いや、君が勝手に勘違いして傾れ込んだんだろうに……」
言い合う二人に目を丸くするアキラとは対照的に、隣に立つセブルスは、眉間に皺がよった顔をこれでもかというほど歪めた。
アキラは隣のセブルスを見て、直感した。
――これは、セブルスの我慢の限界が近い。
力の入った左手はわなわなと震え出していた。
なおも続く二人の言い争いに、とうとう黙っていたセブルスの堪忍袋の緒が切れた。
ドン!と大きな音を立てて手洗い場が叩かれる。トイレに似つかないその音に、この場にいる全員が息を呑み、音のした方を見る。体は怒りに震え、撫で付けた様な黒髪から覗く双眼は、獲物を仕留める様に入り口を鋭く睨んだ。
その主――セブルス・スネイプは、これでもかと低い、地を這う様な声を絞り出した。
「……ブラック……何の用だ……」
***
グリフィンドールのシリウス・ブラックは、赤く腫れた自身の左頬を押さえながら、廊下を一人寂しく歩いていた。
自分に言い寄ってきたレイブンクローの女子と束の間の逢瀬を楽しんでいたところ、別の日に手をつけたハッフルパフの女子がその場を目撃してしまったのだ。
シリウスはどちらも愛していると告げたが、それが間違いだった。
ハッフルパフの女子には「最低。あなたは女子の敵よ」と吐き捨てる様に言われ、レイブンクローの女子には左頬にビンタを食らった。
「いってぇ……いい男が台無しじゃねぇかよ……」
憎まれ口を叩きながらとぼとぼと三階の廊下を歩いていると、どこからか小さく声が聞こえてきた。
この階はあまり人は通らないはずなんだが――
シリウスは誘われる様に、声の出所へと近づいていった。
声のする方に歩いて行くと、たどり着いたそこは例の三階のトイレだった。何かとウワサの多いトイレだ。
耳を澄ませると、男女の声が聞こえてきた。一つは誰でも一回は耳にしたことのある声だ。スリザリンのプリンスこと、アキラ・ヤヨイ。
他の女子生徒よりかは少し低めの声色は、聞いている者の心を落ち着かせる様な、不思議な感覚を味わわせてくれるものだった。
対するもう一つの声は、シリウスにはあまり好ましくない声だった。
「スニベルスかよ……」
途端に自分の顔が歪むのがわかった。何が楽しくて、陰険根暗野郎の声を聞かなきゃならないんだ。
シリウスはチッと舌打ちをすると、その場を後にしようとトイレの扉から一歩距離を取った。その時だった。
「スネイプ教授……そんな、ダメです……」
「ダメ?一体何を言っているのかね?ほら、早くたくし上げるのだ……」
耳を疑う様な会話が飛んできた。
オイオイ、マジかよ。何やってんだよ、真昼間から!しかもトイレで!
しかも【スネイプ教授】だと⁉︎あいつ、見た目も陰湿だけど、性癖も歪みすぎだろ!
シリウスは一歩扉から遠ざかった足をまたトイレの方に戻して、扉に耳をつけた。
「っ、やだ……ビクビク動いてる……」
「大丈夫だ、ヤヨイ。左手で押さえて、ゆっくり右手で動かすんだ……」
シリウスの頭の中では、それはもう大変な事が起こっていた。
あの恋愛になんて微塵も興味のなさそうなスニベルスと、学校のプリンスが、人の全く通らない廊下の――しかも男子トイレで、二人で事に及んでいるだと⁉︎
これはセブルスを揶揄う動機なんだ、と誰も聞いていない言い訳を並べて、ピッタリと扉にくっつく。
「そうだ、ヤヨイ。自分でかき混ぜるのだ……」
「う……で、できないです……」
「仕方ない……僕が手伝ってやろう」
「あっ!そ、そんなにしたら……!」
あのスリザリンのプリンス相手に、そんなに激しい事してんのかよ!スニベルスの癖に!あいつ本当にむっつりだな!
羨ましさに顔を歪めながら耳を澄ましていると、どこからともなく肩をトントン、と叩かれた。
何だよ、今いいところなのに!
――振り向くと、そこには笑顔を貼り付けながら佇むリーマス・ルーピンが居た。
「よ……よう、リーマス。お前もその……トイレか?あー……あいにくここは……」
「僕はここのトイレに用はないよ。用があるのはシリウス、君だ」
リーマスはにっこりと笑うと、シリウスの肩を強く掴んだ。貼り付けた笑みが恐ろしかった。
「さっき、最近君が声をかけていたハッフルパフの女の子に聞いたんだ。シリウスはどこにいるか知ってる?って。彼女はとても怒ってこの廊下を教えてくれたよ。また何かやらかしたんだね」
「いや、まぁ、その……だな。リーマス、お説教は後にしてくれないか。今、大スクープを聞いている最中なんだ」
シリウスのいつもと違う歯切れの悪さに、リーマスも首を傾げる。
どうしてシリウスはこんなにもこのトイレに興味を持っているのだろうか。そして狼狽えているのか。用を足したいのであれば、こんなに入り口でこそこそせずに入ればいいのに。
シリウスの態度を訝しむリーマスがトイレの扉に手をかけた時だった。先ほどよりも少し大きな声が聞こえて来た。
「スネイプ教授……ダメ……もう……!」
「っ……ああ、良いぞ……!」
そのただならぬ声に、シリウスとリーマスは互いの顔を見やる。
リーマスはぎょっと目を丸くしていたが、シリウスは口角を上げてニマニマと笑っていた。
「……今のは、セブルスと……スリザリンのプリンス……だよね?」
リーマスは声を顰めながら、シリウスと同じように扉の前に膝をついた。
そんなリーマスに、シリウスが興奮した様に話す。
「ああ、そうだ!スニベルスはあろうことか男子トイレにプリンスを連れ込んで、己の欲望のままに生徒と教授ごっこに精を出していたって訳だ!」
そういうのが趣味だったとはな!と、目の前のシリウスは興奮した様に捲し立てたが、リーマスは顎に手をやり、考えるそぶりを見せた。
トイレという場所には似つかわしくない、扉から少しばかり香った薬品の匂いと先程の聞こえてきた声に、リーマスは合点がいった。
「……シリウス、多分君が想像している様な下世話な行いはされていないと思うよ」
「おいおい、リーマス。ここまで聞いておいて、スニベルス達は何もなってないって言うつもりか?」
「うーん、そう言ってるつもりなんだけど……」
困った様に頭を掻くリーマスとは対照的に、頑なに【何か】をやらかしたと言い張るシリウス。
リーマスはやれやれ、とため息を吐く。勘違いされているセブルスとスリザリンのプリンスに、心の底から同情した。
「まぁ……何が行われていたか知りたいなら、そのまま聞いていればわかるんじゃないかな」
またしても扉に耳をつけて盗み聞きを始めた友人に一言助言をした時だった。
シリウスの体重が扉の方へ寄りすぎたのか、耳をつけていた扉は大きな音を立てて開いた。
その勢いでシリウスの体が先ほどまで聞き耳を立てていた場所へと投げ出される。
そこにはこちらを凝視するアキラと、一瞬目を丸くしたかと思うと、眉間に皺を寄せこれでもかというほど目つきを鋭くさせたセブルスの姿がそこにはあった。
少しの間倒れ込んでいたシリウスは、上体を起こして周りを見渡した。
目の前には自分と同じくらいの目線にいる、年齢にしては少し幼いような気のする整った顔立ちに黒髪――スリザリンのプリンスがこちらを凝視していた。
その横には忌まわしいスニベルスがいた。撫で付けたようなベタついた髪の毛で表情はわからない。別に知りたくもないから良い。
少し後ろに首をやると、先ほどまで一緒に聞き耳を立てていたリーマスが呆れた表情を浮かべてこちらを見ていた。――なんだその哀れんだ目は。
そこまで状況を整理したあと、シリウスは自分の鼻をくすぐる薬品の匂いに気づいた。
――薬品の匂い?
もう一度辺りを見回すと、トイレの床には今まで使っていたであろう鍋が置いてあった。中身は白くとろとろと濁っている。匂いの元はこれだろう。
アキラの左手もよく見ると、同じ液体の入った小瓶を大切そうに握りしめていた。
床に散らばった白い液体は、ゴポッと音を立てて泡を作っている。
途端に今までの自分の考えが全て妄想や勘違いだった事に気づいて、シリウスは声を荒げた。
「騙したな!リーマス!」
「……いや、君が勝手に勘違いして傾れ込んだんだろうに……」
***
「なるほどね。うわ、ごめんね。会話が怪しかったよね」
「いいや、あなたが気にすることじゃないですよ。うちの下世話な馬鹿犬がすみません」
アキラとリーマスは、セブルスとシリウスの言い争いを横目に、互いの誤解について話していた。
あまり人が来ないと噂の三階のトイレは、それはそれは賑やかになっていた。
「――じゃあ、僕たちはこれで失礼するよ。ヤヨイ先輩、本当にご迷惑をおかけしました」
「いやいや!良いんだよ!元はと言えばこっちが誤解させちゃったわけだし!」
リーマスは一呼吸置くと、口を開いた。
できるだけ優しく、誘うように。
「……ご迷惑をおかけしてしまったお詫びに、今度、お茶会でもしませんか?チョコレートなんかも持って来て」
リーマスのふと投げかけられた言葉に、アキラはきょとんと目を丸くする。
迷惑をかけてしまったのは、十中八九こちらなのだが――
グリフィンドールの子とお茶会なんてなかなかない機会だし、何よりチョコレートに釣られてしまった。
アキラが了承しようと口を開いた時だった。
「ルーピン!勝手なことをするな貴様はこの駄犬の首輪でも握っていろ!」
どこからともなく遮られた言葉に、リーマスはまたやれやれとため息を吐く。
オイ!駄犬ってなんだ!と喚くシリウスの声は右から左へと流れていった。
「セブルス、君は――」
「黙れルーピン口を開くな。この喚き散らかすしか能のない駄犬を連れてさっさとどこかへ消えろ他の何かに噛み付く前にな」
捲し立てるように一呼吸で一方的に話された後、セブルスはアキラの腕を掴んで早歩きでこの場を去ってしまった。
アキラは咄嗟のことに困惑したが、セブルスに引きずられながらもリーマスとシリウスに手を振っていた。
「スニベルスの野郎、なんだってあんな……」
「……」
「リーマス?」
セブルスとアキラの去っていった方を呆然と見るリーマスを、シリウスは不思議がった。こんなにも心ここに在らずなリーマスを見るのは初めてだった。
「なんだ?スリザリンのプリンスにでも惚れちまったか?」
半ば冗談のように笑い飛ばし、リーマスの肩を組む。
リーマスはシリウスの言葉を聞いて、口に手を当てた。心なしか、顔は赤く染まっていた。
そんなリーマスの様子に、シリウスは口元をひくひくと動かした。
「……オイオイ、マジかよ」
「……僕も自分で自分が不思議だよ」
リーマスは、今となってはこの場にいないスリザリンの二人に、複雑な気持ちを抱いたままこの場を後にした。