半純血のプリンスと謎の先輩
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天気が良いという形では表せないほど澄んだ青空の下、なんの気なしに読書をしていた僕の目の前に暗い影が降りた。音沙汰もなく降って来た人物に対し、僕はぐにゃりと顔を歪めた。
「……何してるんですか、先輩」
「あはは……やあ、セブルス」
にっこりと誰しもが見惚れるほどに綺麗な笑みを浮かべる先輩。
ああ、全くもってお転婆だから、頭の上にさっきまで居た木の葉がちらほら付いて見える。僕と身長のそう変わらない彼女の、その柔らかな黒髪に手を伸ばして葉を払い落としてやる。先輩は目を丸くさせたあと、可愛らしく微笑んだ。
その表情に、また少し顔を歪めてしまう。僕にはとても毒のようだ。
「ごめんね、セブルス。手間をかけさせたね」
「ええ、全くです。お陰で読書が捗らない」
微塵もごめんと思っていなさそうな、いたずらっ子のような顔でさらっと言ってのけた先輩。僕はふぅ、とため息と共に、微塵も思っていない言葉を述べた。そんな僕の言葉を聞いてもニコニコとしている目の前の先輩は、僕の頭をポンと撫でると、人差し指を唇に当て、その綺麗で整った顔を僕に少し近づけた。
「すまないがセブルス、私がここにいたことはみんなには内緒にしてほしいんだ」
少し厄介な生徒達に追いかけ回されてね。そう少し億劫そうに言うと、彼女は眉尻を下げ、僕越しに城の方を見つめた。僕も倣って後ろを向くと、声高らかに名前を呼びながら先輩を探し回る各寮の女子生徒達の姿がそこにはあった。
「……先輩、また何かお節介をしましたか」
「いや、うーん、お節介というか……」
「したんですね」
「う……」
僕がぴしゃりと言葉を放つと、先輩はまるで怒られた時の猫のように肩をすくませ縮こまってしまった。
この人はどうしてこうも人たらしなのか。
話によれば、この慈悲深い先輩は、階段ですれ違ったハッフルパフの下級生が足を滑らせて落ちそうになったところを抱えて助け、それを見ていたスリザリンの後輩が「あなたはやっぱりスリザリンのプリンスよ!」と恍惚の表情で声を上げたため、野次馬や【スリザリンのプリンス】親衛隊の各寮のメンバー達があれよあれよと先輩に集まってきたという。
そこから逃げ隠れして木の上で休んでいた所、僕が現れ読書をし始めたという事だった。――大方、先輩を探し回っている理由としては自分も抱き止められたい、抱きしめられたいという邪な想いからだろう。
全くもって不愉快だ。何故だかはわからないが、そんなどす黒く澱む感情が湧き上がった。
「いやはや、そんなつもりはなかったんだけどな」
「あなたはいつもそうやって……!」
僕の眉間の皺が深くなった気がした。悪びれもなく言い放つ目の前の先輩にも腹が立って仕方がない。あなたはもっと自分の魅力を知るべきだ。そして、その魅力のせいで周りにもたらす影響も。
ショートに切り揃えられた艶のある漆黒の黒髪、肌は御伽話の姫かのように白い。目はくっきりとアーモンド型で、その瞳も夜空のように黒い。通った鼻筋に、ふっくらと艶やかで形の良い桃色の唇。どれをとっても申し分ない容姿だ。
おまけに性格まで良い。困っている人を見捨てられないお人好しだし、寮の後輩とは言え、こんな湖の端で一人本を読み耽るような――お世辞にも性格が良いとは言えない僕にだって、率先して声をかけてくれる。
1つ残念な所と言えば、誰彼構わずそうやって首を突っ込むから厄介ごとに巻き込まれるし、僕にちょっかいを出す時は大体愛を囁いてくる事くらいか。僕の反応を見て愉しんでいるのだろう。本当に良い性格をしていらっしゃる。
感情が顔に出てしまったのか、いつの間にか元気を取り戻していた先輩はくすりと笑うと、僕の眉間を指の腹でぐりぐりと優しくほぐして来た。突然の事に慌てて少し後ろに下がると、またくすりと笑われた。
「こら、セブルス。そうやって眉間に皺を寄せるとせっかくの良い男が台無しだぞ?」
「……先輩には僕のこの性格と容姿が良い男に見えるのですか」
「もちろんさ!私はセブルスのことが好きだからね!」
嫌味を返したつもりが間髪入れずに紡がれた愛の言葉に、僕の心臓がきゅうっと音を立てる。やめてくれ。いつもいつもそうやって囁かれると、本当に勘違いしてしまいそうになる。――この先輩は、僕の事を本当に愛してくれているのではないか――と。
僕が黙り込んでしまったのを見て、先輩は少し困ったように笑ったかと思うと、何かに気づいたように顔を上げた。
僕も釣られて先輩の視線の先を見ると、幼馴染のリリーがこちらに手を振って歩いて来ていた。
「……時間かな。では、私はこれで失礼するよ。頑張って励みたまえ、白百合の王子様」
「は?え……あ、ちょっと!先輩!」
呆けていた僕の慌てた声に肩を揺らしながら、リリーに一言二言声をかけてひらひらと手を振り城の方へ帰っていく先輩。リリーは目を丸くしたと思うと、先輩に一礼をして僕の元へ駆け寄ってくる。
「セブ、あなた一体あのプリンスに何を言ったの⁉︎」
「は?……いや、特に……何も……」
リリーの慌てたような、顔から火が出そうなほど真っ赤になった表情を見て、先程までの記憶を探る。特別リリーの話をしたわけでもないし、リリーが顔を赤く染める理由があるような話題もしていない。そもそもそんな話題、異性の先輩とする訳ないだろう。……僕は何を想像しているんだ!
とにかくあまりにも心当たりのない事に、僕の頭も混乱して来た。一体何だというのだ。身に覚えのない事柄に、またしても眉間に皺が寄る。
「何もないわけないでしょう⁉︎私今あのプリンスに、白百合の王子様がお待ちかねだよ、プリンセス。なんて歯が浮くような台詞を言われたのよ⁉︎」
そういうのはポッターで慣れたと思ってたけど……なんて呟く目の前の赤毛の女の子の発言にほんの少し嫌悪感を抱いてしまったが、今はそんなことよりもあの碌でもない嵐のような人物の事で頭がいっぱいだった。
あの人は去り際に何を囁いたのかと思えば……呆れたため息がでてしまった。そういうところが人たらしだというんだぞ。……というか、誰が王子様だ。僕がそんな柄じゃない事くらい、あなたが一番わかっているだろう。どちらかというと、先輩の方が王子様じゃないか。なんて思って思考する事をやめた。なんだか先輩を褒めたみたいで癪だから。
嵐のように去っていった先輩の向かった先、僕らの学舎ホグワーツを見上げて、僕は幾度目かのため息を吐く。
そんな僕に刺すような視線を投げていたリリーが口を開いた。
「セブ、あなた、いいの?」
リリーの全く脈絡のない一言に首を傾げる。そんな僕を見て、リリーは先程の僕のように短いため息を吐いた。
「あなた、気づいてないの?今のあなた、とても彼女を引き留めたそうにしているわ」
だからいつも一緒にいることが多いのだと思っていたのに!なんて、また僕にとってはよくわからない事を述べはじめた。
確かに先輩のあの今にも泣きそうな、辛そうな表情は気になるし、欲を言えばその理由を僕だけに話して欲しいと思ったりもする。でも、それは僕に許された権利ではない。僕は――あの人とは釣り合わない。だって彼女はスリザリンのプリンスで――
そこまで考えて目の前の赤毛の幼馴染を見ると、彼女はとても不満げな表情を浮かべていた。まるで僕の思考を読んだかのように。
「まったく、私の幼馴染は手がかかるんだから!」
そう言うが早いか、リリーは僕の手を引いて早歩きで来た道を戻り、城へと向かって行った。初めて見るリリーの行動に僕はなす術なく、彼女にされるがまま足を動かさざるを得なかった。
***
城に戻って来たスリザリンのプリンスことアキラ・ヤヨイは、先の出来事を思い出してはなんとも言えない苦笑いを浮かべていた。
セブルス・スネイプにいくら愛を伝えても、彼の目に自分は映っていない――そう思えてならない出来事だった。
リリー・エバンズ。彼の想い人であろう人物。
駆け寄って来た時のリリーはとても可愛く、愛らしかった。同性の自分ですらそう思うんだ。あの時、リリーから目を離していなかったセブルスの表情をつい、そんな気は無かったのに、見てしまった。そんな彼女に想いを寄せているであろうセブルスは――
そこまで考えて、アキラはその先を思い出すのをやめた。ふるふると首を横に振り、どろりと黒く澱んだ思考を振り払う。
良いんだ、セブルスが幸せであるなら。
自分が隣に居なくたって良い。セブルスが、愛しい想い人が、それで幸せな道を歩めるなら。自分はどれだけ傷つこうと構わない。そう決意してあの時、セブルスに手を差し伸べたのに――
「人ってのは、どうしてこうも欲張りなんだろうね」
渇いた笑いで自分を誤魔化す。それすらも滑稽で仕方がない。ここに一人でよかった。こんなところ、誰かに見られたらたまったもんじゃない。あのスリザリンのプリンスが人気の無い廊下の端で、想い人を想って涙を流しているなんて。
着慣れたローブの袖で、いつの間にか流れていた涙を拭う。いつもの通りに廊下を真っ直ぐ足早に駆けて、自寮の談話室まで戻れば大丈夫。私がセンチメンタルになっていた事なんて誰も気づきはしないさ。
そう独り言のように呟き、一歩歩き出した途端、目の前の曲がり角で誰かにぶつかった。ドン、と鈍い音が鳴り、勢いよく尻餅をつく。
「うわ、ごめんごめん!大丈夫?……って、スリザリンのプリンス……?」
「いや、こちらこそ、よそ見をしてしまってすまない……ん……?グリフィンドール……?」
お互いがお互いを見やる。一瞬変な空気が流れたように思えた。一緒に尻餅をついた赤いローブに丸眼鏡の男子生徒が、ぶつかって来たアキラをじっと食い入るように見る。咄嗟の出来事だった。目の前のグリフィンドール生は先に立ち上がり、アキラの前に右手を差し出して来た。
「とりあえず、こんなところで座り込むのもあんまりよろしくないから」
そうにっこり笑う彼の好意に甘えて、右手を掴む。そこはやはり男子生徒。難なくアキラを引き上げると、彼女のローブの裾を叩き、埃を落とす。
「ありがとう。すまないね、ぶつかってしまって」
「いや、良いんだ。…でも、どうしてこんな人気の無いところにヤヨイ先輩――いや、【スリザリンのプリンス】が?」
丸眼鏡の彼は本当に興味本位で聞いて来たのだろう。しかし今のアキラにとって、先程の苦い記憶は思い出したくはないものだった。そしてそれを説明できるほど、心に余裕もなかった。
じわり、と視界が歪む。ダメだ、目の前のグリフィンドール生に迷惑になってしまう。
丸眼鏡の彼はそんなアキラを見て、少し慌てたようにローブのポケットから何かを取り出したかと思うと、アキラの目の前に差し出した。
「これ、ムーニー……いや、僕の友達がくれたんだ。悲しい時や辛い時は、甘いものを食べると良いって」
目の前に差し出された可愛らしい包みのチョコレートをありがたく頂戴して、一つ口に頬張る。途端に甘い香りが口に広がる。彼のくれたチョコレートはアキラの心を落ち着けるにはとても役に立った。
「……取り乱してすまない。ありがとう、えっと――」
ここまでしてもらって、ようやくアキラは目の前のグリフィンドール生の名前を聞いていない事を思い出した。とても悪い事をした。向こうは自分の事を知っていたみたいなのに。
「ああ、僕はジェームズ・ポッター。グリフィンドール生で――って、ローブの色を見ればわかるか」
ジェームズは人懐っこい笑顔を見せると、また右手を出して来た。お近づきの握手、といったところだろう。アキラは少し躊躇した後、その差し出された右手を自身の右手で掴んだ。
――ジェームズ・ポッターだと?あの、悪戯仕掛け人の?
ジェームズたちの噂は友人伝に聞いていた。それはもちろん、学校中で人気者――人によっては傲慢だと嫌う者も居るが――な彼らのユーモアを知らない人は居ないからだ。そしてアキラの愛するセブルスに、そのユーモアを仕掛けていることも。
「よろしく、ジェームズ。でも君はグリフィンドール生だろう?どうしてスリザリンの私なんかを?」
「……ちょっとした興味さ」
「……ふぅん」
ジェームズのこちらを見る目が少し細まった気がしたが、今の時点では何か企んでいる様子は見られなかった為、特に気にせず空返事を返す。
「なんにせよ、君のそのチョコレートには助かった。ありがとう」
「いえいえ。スリザリンのプリンスを泣かせた!なんて噂が立ってしまったらたまったもんじゃ無いからね」
「こっちは悪戯仕掛け人の悪戯に救われる日が来るとは思わなかったけどね」
売り言葉に買い言葉をお互い重ね、くすくすと笑いながらスリザリンの談話室へ向かう。
こうなったのも、ジェームズが寮まで送ると申し出た事がきっかけだった。スリザリンの私と居ても、グリフィンドールの彼は居心地が悪いだろうと断ったのだが、ジェームズは「先輩はあまりスリザリン感がない」という理由でついて来てくれたのだ。
他愛もない話で盛り上がり、ジェームズはリリーが好きだという惚気話まで聞かされた。「陰ながら応援してるよ」と心にもないエールを送ると、照れたようにジェームズが髪の毛をくしゃりとつぶした。
もう少しでスリザリン寮に差し掛かるといったところで、話し声が聞こえて来た。歩みを止めずに通路を曲がると、今は視界に入れたくなかった人物達が目に入る。
「……セブルス……」
「リリー!」
ジェームズの一言に、二人はこちらに振り向く。二人とも目を丸くしたかと思うと、眉間に皺を寄せた。
居た堪れなくなって、つい下を向く。隣に居たジェームズはずんずんとリリーのそばに寄ってしまった為、アキラの周りは地下室のひんやりとした空気しか感じられなかった。
***
「リリー!」
聞きたくもない声に振り向くと、そこには探していた先輩と忌々しいポッターの姿がそこにはあった。
なんでポッターが?なんで先輩と一緒に居るんだ?なんで先輩は涙を拭ったような跡をつけているんだ?なんで先輩はそんなに――苦しそうな顔をしているんだ?
色々とわからない事を考えて眉間に力が入る。
「あら、ポッター。グリフィンドールのあなたが、どうしてスリザリンのプリンスと一緒に居るのかしら?」
隣を見ると、赤毛の幼馴染の眉間にはこれでもかと言うほど深く皺が刻まれていた。ポッターに出会う時はいつもそうだった。面倒くさそうに放たれた言葉に、ポッターは少し狼狽えながらも答え始めた。
「誤解だよリリー。僕とスリザリンのプリンスはたまたま、偶然、出会ったんだ。僕のリリーへの愛を一身に聞いてくれて、僕は感銘を受けたんだ!」
「何よそれ、プリンスに迷惑じゃない!」
「迷惑なんてかけてないよ!」
「じゃあ傍迷惑も良いところね!」
リリーはふん、と一息つくと僕のローブを少し強めに引っ張って、僕の耳元に顔を近づけた。スニベルス!とポッターの嫉妬に狂った声が聞こえる。ざまあみろ。
「私がここまでやったんだから、あとはセブ、あなた自身でプリンスに話を聞きなさいね?」
耳元で囁かれた言葉に、咄嗟にリリーと距離を取る。なんで僕が。そう反論したかったのに、有無を言わせないリリーの纏うオーラに、僕は口を噤むしか無かった。
リリーはそんな僕の態度を良しと取ったのか、一人で満足そうな笑みを浮かべると、大広間の方は歩いて行った。その後ろをポッターが慌てて追いかける。すれ違いざまにポッターがつぶやいたのを、僕は聞き逃さなかった。
「スニベルス、あまり先輩を振り回すなよ」
リリーの肩を抱こうとして振り払われながらも、ポッターは彼女と足並みを揃えてスリザリンの地下牢から遠ざかって行った。
なんなんだよ。お前にそんなこと言われる筋合いは無いし、僕が先輩を振り回す?僕が振り回されているの間違いじゃ無いのか?どう見たらそうやって解釈できるんだ。やっぱり馬鹿だな、あいつは。
「ポッター、私はこれから宿題をしなければならないの。グリフィンドールの談話室まで行かなきゃならないの!」
「僕も行く!一緒に行こう!」
「結構よ!」
「結構ということは、肯定の意だね⁉︎」
聞こえてくる会話が全く通じ合っていない。あんなやつに付き纏われているリリーも大変だな。僕は憐れみの目を向けて、遠ざかる大切な幼馴染の無事を祈った。
――ようやく嵐が過ぎ去って、僕は後ろで困ったように笑っている先輩に向き直った。
「さて――さてさてさて……。先輩。色々と聞きたいことがあるのですが――」
僕は先輩を見つめた。先輩がギクリ、と肩を揺らして、目線を談話室の方へ向ける。なんとも言えない加虐心が僕の中を満たしていく。
「――なるほど。お話は談話室の中でしっかり、たっぷりして頂ける、と。そういうことですね?」
「え⁉︎あ、そう解釈しちゃう⁉︎いや、私的には別に心配いらないし、この後の時間はセブルスの好きな事をしていただければ思って――」
「僕の好きな事、と今おっしゃいましたね?では――なぜポッターなんぞと一緒に居たのか、説明していただきましょうかね」
僕は自分の右手で先輩の左手をしっかり掴むと、壁に潜む蛇に向かって「野心」と合言葉を告げ、人もまばらな談話室に入る。
ほんのり頬を赤く染め、目を丸くし、餌を待つ鯉のように口をパクパクと動かす先輩に、僕の口角が少し上がった気がした。
***
人もまばらで静けさを放つ談話室の端、ぽつんと置かれているソファーにお互い腰を落ち着かせる。
セブルスはアキラの前に座ると、これから尋問でもするかのように目つきを鋭くさせた。
そんなセブルスにアキラは観念したように口を開いた。
「……何を知りたいんだい?セブルス」
口から出た音は少し掠れてしまっていた。セブルスの探るような目つきに対する、焦りなのか緊張なのか―― アキラはいつも通りに振る舞おうと装った。
目の前のセブルスは眉間に深くシワを刻むと、腕を組み、人差し指で自分の肘をトントン、とリズムよく叩いた。これは――苛立っている時のセブルスの癖だ。まずい。
アキラは口を開こうとしたが、それは低く這うような声に遮られた。
「では――お聞きしましょうか、ヤヨイ先輩。あなたは湖の木陰からホグワーツへ向かった後、なぜポッターなんぞと一緒にいたのかを」
それは聞いたことのない怒気を孕んだ声だった。
目の前の人物は本当に、私が可愛がってきたセブルス・スネイプなのか?アキラはほとほと困惑した。
無茶をしてセブルスに怒られてきたことは多々あったが、こんなにも背筋の凍るような声で詰められたのは初めてだった。
「……ジェームズとは、私が……」
そこまで喋って、その先が喉に突っかかって声にならなかった。
ジェームズとセブルスは仲が悪い。それは周知の事実だった。それなのに、そのジェームズにセブルスの事で慰められていた。なんて知ったら、目の前の蛇のように睨む彼のプライドはどうなってしまうだろうか。
言わなきゃいけないのに、自分のプライドやセブルスに対する感情がぐちゃぐちゃに渦巻いて、アキラは眉根を寄せた。
***
言い淀んだアキラを見て、人知れずセブルスの腕に力が入る。
――僕に言えないことなのか?
――ポッターになら、言えることなのか?
――どうして僕じゃなくて、あいつなんだ!
またしても沸々と湧き上がる黒い感情を、もう抑えられなかった。
整えられたソファーから身を乗り出して、セブルスはアキラとの距離を詰める。
アキラは咄嗟に後ろへ下がろうとするが、ソファーの背もたれにそれは阻まれた。ぎしり、とスプリングがなり、アキラの左右を掠めるように無骨で白い手が背もたれに付かれた。
セブルスの右膝が、アキラの左腿辺りに置かれる。ソファーのスプリングは、またしてもぎしりと悲鳴を上げた。
はたり、と黒い髪が、アキラの頬を掠める。
顔と顔が触れそうな程の距離だが、今のセブルスには関係無かった。そんなこと、頭の片隅から消え去っていた。
「僕は、あなたが、僕の知らないところで、そうやって苦しい顔をするのは、嫌なんだ」
漆黒の目を見て絞り出した声は、懇願に近いものだった。
「……セブルス……」
「僕は、あなたが顔を歪める理由を知らない。けれど――けれど、僕の前では、笑っていてほしい……」
「セブルス、それって――」
そこまでして、セブルスはハッと我に帰った。
僕は今――一体何を口走ったんだ?
目の前で顔を赤らめている先輩を見て、今の僕の体勢を見る。これではまるで、僕が先輩を、その――
そこまで考えて、慌てて僕は先輩と距離を取った。顔に熱が集まるのがわかる。談話室の冷えた空気が心地よい。
こんなことをするつもりはなかったし、なんでこんなことを口走ったのか、僕には皆目検討がつかなかった。
ただ、目の前の先輩が、僕以外の他の男を頼りにしたという事実を突きつけられたようで。
それが僕には虫唾が走り反吐が出て……気づいたら周りの事なんてどうでも良くなって、談話室なのに先輩に向かって、押し倒すかのような体勢を取ってしまった。
まてよ――談話室?談話室、だって?それって、つまり――
慌てて顔を上げると、残っていたスリザリン生達が何事かとこちらを凝視していた。間の悪いことに、僕が相手をしていた人物は【スリザリンのプリンス】だった訳で。
「スネイプと、プリンス……?」「オイオイ、白昼堂々なんだと思ったら……」など、困惑と好奇に満ちたひそひそ声が好き放題聞こえる。
色々な羞恥と初めて晒される好奇の目に――セブルスは限界だった。
「うるさい!散れ!」
顔を真っ赤に染め上げ、セブルスはこれでもかというほど大きな声をあげた。
途端、野次馬のように集まっていた生徒達は、蜘蛛の子を散らしたように寮へと戻って行った。
***
静かになった談話室で、アキラは目の前の可愛い後輩が先ほど放った言葉を理解しようと考えた。
だって、そんなの。私の思い違いじゃないのか?期待してしまってもいいのだろうか?
アキラは嬉しさに緩む口元に手をやった。
真意はどうあれ、彼は自分に対して好意を向けていてくれている。それが分かっただけでも十分だ。
「いつか、セブルスに話すよ」
アキラの言葉にセブルスが顔を上げる。その表情は寂しそうとも、驚きとも取れそうな、なんとも言えない表情だった。
「……絶対ですよ」
「約束するよ」
「……僕に、ですよ。ポッターより後に知るだなんてごめんだ」
「当たり前だよ」
口を尖らせ、眉根にシワを寄せ、不服そうに答える彼に、アキラはくすくすといつものように笑いを零す。
「私は、セブルスが好きだからね」
いつものように、愛の言葉を囁く。
これがいつか、本当の意味で彼の心に届けば良い。そして、願わくば――
スリザリンのプリンスはセブルスにいつものように微笑むと、ひらりと自分のローブを翻して自室へと戻って行った。
談話室にひとり残されたセブルスは、もう自分の中に黒く澱んだ感情が渦巻いていない事に少し驚いたと同時に、甘い甘い蜜を啜った時のような温かさが心を支配している事に気づき、その手で自身の顔を覆った。
「そういう事だったんだね、リリー……」
赤毛の幼馴染の、あの時の一言がセブルスの脳を掠めた。
気付かされた気持ちは、もう止まる事を知らない。
「……何してるんですか、先輩」
「あはは……やあ、セブルス」
にっこりと誰しもが見惚れるほどに綺麗な笑みを浮かべる先輩。
ああ、全くもってお転婆だから、頭の上にさっきまで居た木の葉がちらほら付いて見える。僕と身長のそう変わらない彼女の、その柔らかな黒髪に手を伸ばして葉を払い落としてやる。先輩は目を丸くさせたあと、可愛らしく微笑んだ。
その表情に、また少し顔を歪めてしまう。僕にはとても毒のようだ。
「ごめんね、セブルス。手間をかけさせたね」
「ええ、全くです。お陰で読書が捗らない」
微塵もごめんと思っていなさそうな、いたずらっ子のような顔でさらっと言ってのけた先輩。僕はふぅ、とため息と共に、微塵も思っていない言葉を述べた。そんな僕の言葉を聞いてもニコニコとしている目の前の先輩は、僕の頭をポンと撫でると、人差し指を唇に当て、その綺麗で整った顔を僕に少し近づけた。
「すまないがセブルス、私がここにいたことはみんなには内緒にしてほしいんだ」
少し厄介な生徒達に追いかけ回されてね。そう少し億劫そうに言うと、彼女は眉尻を下げ、僕越しに城の方を見つめた。僕も倣って後ろを向くと、声高らかに名前を呼びながら先輩を探し回る各寮の女子生徒達の姿がそこにはあった。
「……先輩、また何かお節介をしましたか」
「いや、うーん、お節介というか……」
「したんですね」
「う……」
僕がぴしゃりと言葉を放つと、先輩はまるで怒られた時の猫のように肩をすくませ縮こまってしまった。
この人はどうしてこうも人たらしなのか。
話によれば、この慈悲深い先輩は、階段ですれ違ったハッフルパフの下級生が足を滑らせて落ちそうになったところを抱えて助け、それを見ていたスリザリンの後輩が「あなたはやっぱりスリザリンのプリンスよ!」と恍惚の表情で声を上げたため、野次馬や【スリザリンのプリンス】親衛隊の各寮のメンバー達があれよあれよと先輩に集まってきたという。
そこから逃げ隠れして木の上で休んでいた所、僕が現れ読書をし始めたという事だった。――大方、先輩を探し回っている理由としては自分も抱き止められたい、抱きしめられたいという邪な想いからだろう。
全くもって不愉快だ。何故だかはわからないが、そんなどす黒く澱む感情が湧き上がった。
「いやはや、そんなつもりはなかったんだけどな」
「あなたはいつもそうやって……!」
僕の眉間の皺が深くなった気がした。悪びれもなく言い放つ目の前の先輩にも腹が立って仕方がない。あなたはもっと自分の魅力を知るべきだ。そして、その魅力のせいで周りにもたらす影響も。
ショートに切り揃えられた艶のある漆黒の黒髪、肌は御伽話の姫かのように白い。目はくっきりとアーモンド型で、その瞳も夜空のように黒い。通った鼻筋に、ふっくらと艶やかで形の良い桃色の唇。どれをとっても申し分ない容姿だ。
おまけに性格まで良い。困っている人を見捨てられないお人好しだし、寮の後輩とは言え、こんな湖の端で一人本を読み耽るような――お世辞にも性格が良いとは言えない僕にだって、率先して声をかけてくれる。
1つ残念な所と言えば、誰彼構わずそうやって首を突っ込むから厄介ごとに巻き込まれるし、僕にちょっかいを出す時は大体愛を囁いてくる事くらいか。僕の反応を見て愉しんでいるのだろう。本当に良い性格をしていらっしゃる。
感情が顔に出てしまったのか、いつの間にか元気を取り戻していた先輩はくすりと笑うと、僕の眉間を指の腹でぐりぐりと優しくほぐして来た。突然の事に慌てて少し後ろに下がると、またくすりと笑われた。
「こら、セブルス。そうやって眉間に皺を寄せるとせっかくの良い男が台無しだぞ?」
「……先輩には僕のこの性格と容姿が良い男に見えるのですか」
「もちろんさ!私はセブルスのことが好きだからね!」
嫌味を返したつもりが間髪入れずに紡がれた愛の言葉に、僕の心臓がきゅうっと音を立てる。やめてくれ。いつもいつもそうやって囁かれると、本当に勘違いしてしまいそうになる。――この先輩は、僕の事を本当に愛してくれているのではないか――と。
僕が黙り込んでしまったのを見て、先輩は少し困ったように笑ったかと思うと、何かに気づいたように顔を上げた。
僕も釣られて先輩の視線の先を見ると、幼馴染のリリーがこちらに手を振って歩いて来ていた。
「……時間かな。では、私はこれで失礼するよ。頑張って励みたまえ、白百合の王子様」
「は?え……あ、ちょっと!先輩!」
呆けていた僕の慌てた声に肩を揺らしながら、リリーに一言二言声をかけてひらひらと手を振り城の方へ帰っていく先輩。リリーは目を丸くしたと思うと、先輩に一礼をして僕の元へ駆け寄ってくる。
「セブ、あなた一体あのプリンスに何を言ったの⁉︎」
「は?……いや、特に……何も……」
リリーの慌てたような、顔から火が出そうなほど真っ赤になった表情を見て、先程までの記憶を探る。特別リリーの話をしたわけでもないし、リリーが顔を赤く染める理由があるような話題もしていない。そもそもそんな話題、異性の先輩とする訳ないだろう。……僕は何を想像しているんだ!
とにかくあまりにも心当たりのない事に、僕の頭も混乱して来た。一体何だというのだ。身に覚えのない事柄に、またしても眉間に皺が寄る。
「何もないわけないでしょう⁉︎私今あのプリンスに、白百合の王子様がお待ちかねだよ、プリンセス。なんて歯が浮くような台詞を言われたのよ⁉︎」
そういうのはポッターで慣れたと思ってたけど……なんて呟く目の前の赤毛の女の子の発言にほんの少し嫌悪感を抱いてしまったが、今はそんなことよりもあの碌でもない嵐のような人物の事で頭がいっぱいだった。
あの人は去り際に何を囁いたのかと思えば……呆れたため息がでてしまった。そういうところが人たらしだというんだぞ。……というか、誰が王子様だ。僕がそんな柄じゃない事くらい、あなたが一番わかっているだろう。どちらかというと、先輩の方が王子様じゃないか。なんて思って思考する事をやめた。なんだか先輩を褒めたみたいで癪だから。
嵐のように去っていった先輩の向かった先、僕らの学舎ホグワーツを見上げて、僕は幾度目かのため息を吐く。
そんな僕に刺すような視線を投げていたリリーが口を開いた。
「セブ、あなた、いいの?」
リリーの全く脈絡のない一言に首を傾げる。そんな僕を見て、リリーは先程の僕のように短いため息を吐いた。
「あなた、気づいてないの?今のあなた、とても彼女を引き留めたそうにしているわ」
だからいつも一緒にいることが多いのだと思っていたのに!なんて、また僕にとってはよくわからない事を述べはじめた。
確かに先輩のあの今にも泣きそうな、辛そうな表情は気になるし、欲を言えばその理由を僕だけに話して欲しいと思ったりもする。でも、それは僕に許された権利ではない。僕は――あの人とは釣り合わない。だって彼女はスリザリンのプリンスで――
そこまで考えて目の前の赤毛の幼馴染を見ると、彼女はとても不満げな表情を浮かべていた。まるで僕の思考を読んだかのように。
「まったく、私の幼馴染は手がかかるんだから!」
そう言うが早いか、リリーは僕の手を引いて早歩きで来た道を戻り、城へと向かって行った。初めて見るリリーの行動に僕はなす術なく、彼女にされるがまま足を動かさざるを得なかった。
***
城に戻って来たスリザリンのプリンスことアキラ・ヤヨイは、先の出来事を思い出してはなんとも言えない苦笑いを浮かべていた。
セブルス・スネイプにいくら愛を伝えても、彼の目に自分は映っていない――そう思えてならない出来事だった。
リリー・エバンズ。彼の想い人であろう人物。
駆け寄って来た時のリリーはとても可愛く、愛らしかった。同性の自分ですらそう思うんだ。あの時、リリーから目を離していなかったセブルスの表情をつい、そんな気は無かったのに、見てしまった。そんな彼女に想いを寄せているであろうセブルスは――
そこまで考えて、アキラはその先を思い出すのをやめた。ふるふると首を横に振り、どろりと黒く澱んだ思考を振り払う。
良いんだ、セブルスが幸せであるなら。
自分が隣に居なくたって良い。セブルスが、愛しい想い人が、それで幸せな道を歩めるなら。自分はどれだけ傷つこうと構わない。そう決意してあの時、セブルスに手を差し伸べたのに――
「人ってのは、どうしてこうも欲張りなんだろうね」
渇いた笑いで自分を誤魔化す。それすらも滑稽で仕方がない。ここに一人でよかった。こんなところ、誰かに見られたらたまったもんじゃない。あのスリザリンのプリンスが人気の無い廊下の端で、想い人を想って涙を流しているなんて。
着慣れたローブの袖で、いつの間にか流れていた涙を拭う。いつもの通りに廊下を真っ直ぐ足早に駆けて、自寮の談話室まで戻れば大丈夫。私がセンチメンタルになっていた事なんて誰も気づきはしないさ。
そう独り言のように呟き、一歩歩き出した途端、目の前の曲がり角で誰かにぶつかった。ドン、と鈍い音が鳴り、勢いよく尻餅をつく。
「うわ、ごめんごめん!大丈夫?……って、スリザリンのプリンス……?」
「いや、こちらこそ、よそ見をしてしまってすまない……ん……?グリフィンドール……?」
お互いがお互いを見やる。一瞬変な空気が流れたように思えた。一緒に尻餅をついた赤いローブに丸眼鏡の男子生徒が、ぶつかって来たアキラをじっと食い入るように見る。咄嗟の出来事だった。目の前のグリフィンドール生は先に立ち上がり、アキラの前に右手を差し出して来た。
「とりあえず、こんなところで座り込むのもあんまりよろしくないから」
そうにっこり笑う彼の好意に甘えて、右手を掴む。そこはやはり男子生徒。難なくアキラを引き上げると、彼女のローブの裾を叩き、埃を落とす。
「ありがとう。すまないね、ぶつかってしまって」
「いや、良いんだ。…でも、どうしてこんな人気の無いところにヤヨイ先輩――いや、【スリザリンのプリンス】が?」
丸眼鏡の彼は本当に興味本位で聞いて来たのだろう。しかし今のアキラにとって、先程の苦い記憶は思い出したくはないものだった。そしてそれを説明できるほど、心に余裕もなかった。
じわり、と視界が歪む。ダメだ、目の前のグリフィンドール生に迷惑になってしまう。
丸眼鏡の彼はそんなアキラを見て、少し慌てたようにローブのポケットから何かを取り出したかと思うと、アキラの目の前に差し出した。
「これ、ムーニー……いや、僕の友達がくれたんだ。悲しい時や辛い時は、甘いものを食べると良いって」
目の前に差し出された可愛らしい包みのチョコレートをありがたく頂戴して、一つ口に頬張る。途端に甘い香りが口に広がる。彼のくれたチョコレートはアキラの心を落ち着けるにはとても役に立った。
「……取り乱してすまない。ありがとう、えっと――」
ここまでしてもらって、ようやくアキラは目の前のグリフィンドール生の名前を聞いていない事を思い出した。とても悪い事をした。向こうは自分の事を知っていたみたいなのに。
「ああ、僕はジェームズ・ポッター。グリフィンドール生で――って、ローブの色を見ればわかるか」
ジェームズは人懐っこい笑顔を見せると、また右手を出して来た。お近づきの握手、といったところだろう。アキラは少し躊躇した後、その差し出された右手を自身の右手で掴んだ。
――ジェームズ・ポッターだと?あの、悪戯仕掛け人の?
ジェームズたちの噂は友人伝に聞いていた。それはもちろん、学校中で人気者――人によっては傲慢だと嫌う者も居るが――な彼らのユーモアを知らない人は居ないからだ。そしてアキラの愛するセブルスに、そのユーモアを仕掛けていることも。
「よろしく、ジェームズ。でも君はグリフィンドール生だろう?どうしてスリザリンの私なんかを?」
「……ちょっとした興味さ」
「……ふぅん」
ジェームズのこちらを見る目が少し細まった気がしたが、今の時点では何か企んでいる様子は見られなかった為、特に気にせず空返事を返す。
「なんにせよ、君のそのチョコレートには助かった。ありがとう」
「いえいえ。スリザリンのプリンスを泣かせた!なんて噂が立ってしまったらたまったもんじゃ無いからね」
「こっちは悪戯仕掛け人の悪戯に救われる日が来るとは思わなかったけどね」
売り言葉に買い言葉をお互い重ね、くすくすと笑いながらスリザリンの談話室へ向かう。
こうなったのも、ジェームズが寮まで送ると申し出た事がきっかけだった。スリザリンの私と居ても、グリフィンドールの彼は居心地が悪いだろうと断ったのだが、ジェームズは「先輩はあまりスリザリン感がない」という理由でついて来てくれたのだ。
他愛もない話で盛り上がり、ジェームズはリリーが好きだという惚気話まで聞かされた。「陰ながら応援してるよ」と心にもないエールを送ると、照れたようにジェームズが髪の毛をくしゃりとつぶした。
もう少しでスリザリン寮に差し掛かるといったところで、話し声が聞こえて来た。歩みを止めずに通路を曲がると、今は視界に入れたくなかった人物達が目に入る。
「……セブルス……」
「リリー!」
ジェームズの一言に、二人はこちらに振り向く。二人とも目を丸くしたかと思うと、眉間に皺を寄せた。
居た堪れなくなって、つい下を向く。隣に居たジェームズはずんずんとリリーのそばに寄ってしまった為、アキラの周りは地下室のひんやりとした空気しか感じられなかった。
***
「リリー!」
聞きたくもない声に振り向くと、そこには探していた先輩と忌々しいポッターの姿がそこにはあった。
なんでポッターが?なんで先輩と一緒に居るんだ?なんで先輩は涙を拭ったような跡をつけているんだ?なんで先輩はそんなに――苦しそうな顔をしているんだ?
色々とわからない事を考えて眉間に力が入る。
「あら、ポッター。グリフィンドールのあなたが、どうしてスリザリンのプリンスと一緒に居るのかしら?」
隣を見ると、赤毛の幼馴染の眉間にはこれでもかと言うほど深く皺が刻まれていた。ポッターに出会う時はいつもそうだった。面倒くさそうに放たれた言葉に、ポッターは少し狼狽えながらも答え始めた。
「誤解だよリリー。僕とスリザリンのプリンスはたまたま、偶然、出会ったんだ。僕のリリーへの愛を一身に聞いてくれて、僕は感銘を受けたんだ!」
「何よそれ、プリンスに迷惑じゃない!」
「迷惑なんてかけてないよ!」
「じゃあ傍迷惑も良いところね!」
リリーはふん、と一息つくと僕のローブを少し強めに引っ張って、僕の耳元に顔を近づけた。スニベルス!とポッターの嫉妬に狂った声が聞こえる。ざまあみろ。
「私がここまでやったんだから、あとはセブ、あなた自身でプリンスに話を聞きなさいね?」
耳元で囁かれた言葉に、咄嗟にリリーと距離を取る。なんで僕が。そう反論したかったのに、有無を言わせないリリーの纏うオーラに、僕は口を噤むしか無かった。
リリーはそんな僕の態度を良しと取ったのか、一人で満足そうな笑みを浮かべると、大広間の方は歩いて行った。その後ろをポッターが慌てて追いかける。すれ違いざまにポッターがつぶやいたのを、僕は聞き逃さなかった。
「スニベルス、あまり先輩を振り回すなよ」
リリーの肩を抱こうとして振り払われながらも、ポッターは彼女と足並みを揃えてスリザリンの地下牢から遠ざかって行った。
なんなんだよ。お前にそんなこと言われる筋合いは無いし、僕が先輩を振り回す?僕が振り回されているの間違いじゃ無いのか?どう見たらそうやって解釈できるんだ。やっぱり馬鹿だな、あいつは。
「ポッター、私はこれから宿題をしなければならないの。グリフィンドールの談話室まで行かなきゃならないの!」
「僕も行く!一緒に行こう!」
「結構よ!」
「結構ということは、肯定の意だね⁉︎」
聞こえてくる会話が全く通じ合っていない。あんなやつに付き纏われているリリーも大変だな。僕は憐れみの目を向けて、遠ざかる大切な幼馴染の無事を祈った。
――ようやく嵐が過ぎ去って、僕は後ろで困ったように笑っている先輩に向き直った。
「さて――さてさてさて……。先輩。色々と聞きたいことがあるのですが――」
僕は先輩を見つめた。先輩がギクリ、と肩を揺らして、目線を談話室の方へ向ける。なんとも言えない加虐心が僕の中を満たしていく。
「――なるほど。お話は談話室の中でしっかり、たっぷりして頂ける、と。そういうことですね?」
「え⁉︎あ、そう解釈しちゃう⁉︎いや、私的には別に心配いらないし、この後の時間はセブルスの好きな事をしていただければ思って――」
「僕の好きな事、と今おっしゃいましたね?では――なぜポッターなんぞと一緒に居たのか、説明していただきましょうかね」
僕は自分の右手で先輩の左手をしっかり掴むと、壁に潜む蛇に向かって「野心」と合言葉を告げ、人もまばらな談話室に入る。
ほんのり頬を赤く染め、目を丸くし、餌を待つ鯉のように口をパクパクと動かす先輩に、僕の口角が少し上がった気がした。
***
人もまばらで静けさを放つ談話室の端、ぽつんと置かれているソファーにお互い腰を落ち着かせる。
セブルスはアキラの前に座ると、これから尋問でもするかのように目つきを鋭くさせた。
そんなセブルスにアキラは観念したように口を開いた。
「……何を知りたいんだい?セブルス」
口から出た音は少し掠れてしまっていた。セブルスの探るような目つきに対する、焦りなのか緊張なのか―― アキラはいつも通りに振る舞おうと装った。
目の前のセブルスは眉間に深くシワを刻むと、腕を組み、人差し指で自分の肘をトントン、とリズムよく叩いた。これは――苛立っている時のセブルスの癖だ。まずい。
アキラは口を開こうとしたが、それは低く這うような声に遮られた。
「では――お聞きしましょうか、ヤヨイ先輩。あなたは湖の木陰からホグワーツへ向かった後、なぜポッターなんぞと一緒にいたのかを」
それは聞いたことのない怒気を孕んだ声だった。
目の前の人物は本当に、私が可愛がってきたセブルス・スネイプなのか?アキラはほとほと困惑した。
無茶をしてセブルスに怒られてきたことは多々あったが、こんなにも背筋の凍るような声で詰められたのは初めてだった。
「……ジェームズとは、私が……」
そこまで喋って、その先が喉に突っかかって声にならなかった。
ジェームズとセブルスは仲が悪い。それは周知の事実だった。それなのに、そのジェームズにセブルスの事で慰められていた。なんて知ったら、目の前の蛇のように睨む彼のプライドはどうなってしまうだろうか。
言わなきゃいけないのに、自分のプライドやセブルスに対する感情がぐちゃぐちゃに渦巻いて、アキラは眉根を寄せた。
***
言い淀んだアキラを見て、人知れずセブルスの腕に力が入る。
――僕に言えないことなのか?
――ポッターになら、言えることなのか?
――どうして僕じゃなくて、あいつなんだ!
またしても沸々と湧き上がる黒い感情を、もう抑えられなかった。
整えられたソファーから身を乗り出して、セブルスはアキラとの距離を詰める。
アキラは咄嗟に後ろへ下がろうとするが、ソファーの背もたれにそれは阻まれた。ぎしり、とスプリングがなり、アキラの左右を掠めるように無骨で白い手が背もたれに付かれた。
セブルスの右膝が、アキラの左腿辺りに置かれる。ソファーのスプリングは、またしてもぎしりと悲鳴を上げた。
はたり、と黒い髪が、アキラの頬を掠める。
顔と顔が触れそうな程の距離だが、今のセブルスには関係無かった。そんなこと、頭の片隅から消え去っていた。
「僕は、あなたが、僕の知らないところで、そうやって苦しい顔をするのは、嫌なんだ」
漆黒の目を見て絞り出した声は、懇願に近いものだった。
「……セブルス……」
「僕は、あなたが顔を歪める理由を知らない。けれど――けれど、僕の前では、笑っていてほしい……」
「セブルス、それって――」
そこまでして、セブルスはハッと我に帰った。
僕は今――一体何を口走ったんだ?
目の前で顔を赤らめている先輩を見て、今の僕の体勢を見る。これではまるで、僕が先輩を、その――
そこまで考えて、慌てて僕は先輩と距離を取った。顔に熱が集まるのがわかる。談話室の冷えた空気が心地よい。
こんなことをするつもりはなかったし、なんでこんなことを口走ったのか、僕には皆目検討がつかなかった。
ただ、目の前の先輩が、僕以外の他の男を頼りにしたという事実を突きつけられたようで。
それが僕には虫唾が走り反吐が出て……気づいたら周りの事なんてどうでも良くなって、談話室なのに先輩に向かって、押し倒すかのような体勢を取ってしまった。
まてよ――談話室?談話室、だって?それって、つまり――
慌てて顔を上げると、残っていたスリザリン生達が何事かとこちらを凝視していた。間の悪いことに、僕が相手をしていた人物は【スリザリンのプリンス】だった訳で。
「スネイプと、プリンス……?」「オイオイ、白昼堂々なんだと思ったら……」など、困惑と好奇に満ちたひそひそ声が好き放題聞こえる。
色々な羞恥と初めて晒される好奇の目に――セブルスは限界だった。
「うるさい!散れ!」
顔を真っ赤に染め上げ、セブルスはこれでもかというほど大きな声をあげた。
途端、野次馬のように集まっていた生徒達は、蜘蛛の子を散らしたように寮へと戻って行った。
***
静かになった談話室で、アキラは目の前の可愛い後輩が先ほど放った言葉を理解しようと考えた。
だって、そんなの。私の思い違いじゃないのか?期待してしまってもいいのだろうか?
アキラは嬉しさに緩む口元に手をやった。
真意はどうあれ、彼は自分に対して好意を向けていてくれている。それが分かっただけでも十分だ。
「いつか、セブルスに話すよ」
アキラの言葉にセブルスが顔を上げる。その表情は寂しそうとも、驚きとも取れそうな、なんとも言えない表情だった。
「……絶対ですよ」
「約束するよ」
「……僕に、ですよ。ポッターより後に知るだなんてごめんだ」
「当たり前だよ」
口を尖らせ、眉根にシワを寄せ、不服そうに答える彼に、アキラはくすくすといつものように笑いを零す。
「私は、セブルスが好きだからね」
いつものように、愛の言葉を囁く。
これがいつか、本当の意味で彼の心に届けば良い。そして、願わくば――
スリザリンのプリンスはセブルスにいつものように微笑むと、ひらりと自分のローブを翻して自室へと戻って行った。
談話室にひとり残されたセブルスは、もう自分の中に黒く澱んだ感情が渦巻いていない事に少し驚いたと同時に、甘い甘い蜜を啜った時のような温かさが心を支配している事に気づき、その手で自身の顔を覆った。
「そういう事だったんだね、リリー……」
赤毛の幼馴染の、あの時の一言がセブルスの脳を掠めた。
気付かされた気持ちは、もう止まる事を知らない。
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