天国白書

「しかし、ばあさん、凄えな。鶴の一声で議員を動かして、自然保護の条例を通しちまうなんて」

 見回りから帰って来た幽助が、麦茶で喉を潤しながら、そんな風に呟く。
 珍しく髪を下ろして帽子をかぶっていたのだが、そのキャスケットは傍らに放り出されている。

 幻海の寺、敷地内も外も平穏さを取り戻し、名残の夏の夕暮れに、いつもの四人と幻海、戸愚呂兄弟、そして永夜が集まっている。
 いや、もう一人いるが。
 夕暮れの風が、軒下の風鈴を揺らす。
 ちりん。

「それが百首龍との約束だ」

 幻海は、いつものように居間の上座で、薄く切った西瓜を頬張りながらだべっている。
 いつもの道着、若返った愛らしい顔かたち、いつもとかわらぬ、ちょっと不思議な寺の主。
 その隣に戸愚呂弟が、タンクトップにスラックスの姿で、サングラスも外してくつろいでいる。
 並びからしてまるで夫婦のような姿だ。

「まあ、幻海師範は間違いなくこの街一番の高額納税者だ。呼びつけられた議員先生方も、慇懃な態度になるというものだよ」

 蔵馬が、カエルみたいに平べったくなっていた、上等なスーツの議員たちを思い出したのか、くすくす笑う。
 彼も座卓で麦茶と西瓜で、事件の終わりを確認しているかのようだ。
 うなる扇風機の風が、彼の髪をなぶって通り過ぎる。

「俺は、ばあさんが戸愚呂を議員連中に『亭主だ』って紹介してたのが一番驚いたぜ。いつの間におめえら……」

 桑原は自宅にいるようなタンクトップにハーフパンツ姿で、げんなりと戸愚呂弟を見やる。
 暗黒武術会ではえらい傷を負わされたものの、戸愚呂弟自身の紳士な性格は嫌いではない桑原である。
 でも、展開が急すぎるのは考え物だ。

「人の女をばあさん呼ばわりするんじゃないよ、坊や。……ま、昨日、届は出して来た。人間だった頃の戸籍がそのままだったんでねェ」

 戸愚呂弟は、しれっとしてそう応じる。
 たくましい腕で体を支えて座り、いつも以上に穏やかな表情。
 彼も事件は過ぎ去ったと感じ取っている。
 その余波はあらゆるものをさらってはいたものの、悪いことばかりでもなかったと思う。
 少なくとも幻海との距離は縮まったどころでなくなったのだ。
それに、兄の他に、永夜とのコンビネーション戦は有意義だったと思い返す。
 自分と術師系戦士の相性の良さを確認したといったところか。

 それだけではない。

「……軀が、『豊穣界』に興味を持った。お前に、魔界に来て欲しいそうだ」

 上着を脱いでシャツだけになっていた飛影は、縁側で戸愚呂兄と並んで話し込んでいた、そのパリコレみたいな恰好の女にそう告げる。
 個人的にも興味がある戦士であるが、戦いは魔界に引きずり込んでからだろう。

「ん~~~、アタシ? ムクロって確か、魔界で三人いた偉い人の一人だよね? 強そうだなあ。ね、どう? 魔界に遊びに行くのに付き合ってくんない?」

 翠羅は、縁側で隣に並んで腰を下ろしていた戸愚呂兄をつんつんつつく。

「おい。遊びに行く訳じゃねえだろ? 多分、真面目な話になるぜ? 下手すると、喧嘩売られる可能性もある」

 戸愚呂兄が翠羅の背中をぽんと叩く。
 いつもの酷薄な彼からはかけ離れているほど、優しく。

「魔族ってそういうの好きだなー」

 けろけろ笑う翠羅を指で呼び、耳元に何か囁いてから笑う戸愚呂兄。
 そんな兄を、戸愚呂弟はいつになく穏やかに眺める。

 雨は降ったが、潤った大地からは新しい芽が出る。

「はい、皆さん、西瓜の追加ですよ。大豊作で安くなり過ぎていますからね。近隣の農家さんをお助けするためにも、どんどん召し上がってください。これも修行です」

 永夜がもっともらしいことを言いながら、冷えた西瓜が盛られた大皿を持って来る。

「買い込んでまだまだありますよ。ああ、でも、ストックがなくなる頃には、夏も終わりですね」

 いい夏、でしたね。

 永夜に笑いかけられ、戸愚呂弟はニヤリと応じる。

「最高だったねェ」


 天国白書 【完】
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