天国白書

 頭上の蒼天を貫くように。

 霊光弾が、無数の逆流する流星雨となって、空を覆い尽くす「呼ばれざる者」の手の者の体を粉砕する。
 それらは本当に星屑のように、微細に散らばって光りつつ消える。

「霊光弾だ。凄い威力だねェ」

 それを、火山の噴煙でも遠くから眺めるように視界に入れた戸愚呂弟は、その立っている平原から小高い丘を見上げる。
 噴火と見まがう霊光弾は、確かにそのなだらかな丘の上から、頭上を覆う「呼ばれざる者」の軍勢を打ち砕いたのだ。
 それほどの威力の「霊光弾」を射出できる者は、限られている。
 この「豊穣界」にいるのは。

「幻海師範。あちらにおられるようですね。ますます技は冴えわたっておられる」

 永夜が戸愚呂弟の隣で同じくその丘を仰ぎ見ながらそう呟く。

【そうさ、あそこにあたしの主と、あんたらが捜している幻海ちゃんがいるんだよ。よーこいせっと、邪魔すんな!!】

 翠羅があふれるオーロラのような輝きで、幻海の技から逃げて来た「呼ばれざる者」の手先を消滅させる。
 光に溶けた軍勢の残滓が消えた後、相変わらず生命力が横溢する大自然が広がっているのみ。
 風は暖かくかぐわしく、森と湖の点在する大地は水と花と緑と果実の香りに満ちている。
 緑の合間に、様々なこの世界の生き物が見え隠れ。
 どれも奇妙な美しさがある精霊たち。

「さて。幻海を返してもらいに行こうかねェ。百首龍さんとやらが、話を聞いてくれる人だといいんだが」

 戸愚呂弟が前に踏み出す。
 永夜も歩調を合わせる。

【いや? お二人さん、そのまま動かない方がいいよ?】

 突然頭上の翠羅に言われ、戸愚呂弟と永夜が立ち止まる。
 と。
 目の前の草の地面が、がさりと鳴る。
 何かが、頭上から降り立った音。

「お前らか」

 そこにいたのは。
 あの若々しくみずみずしい幻海の姿である。
 他に人影は見えない。

「幻海。探したぞ」

 戸愚呂弟が素早く歩み寄る。
 華奢な幻海の肩に大きな手を乗せ、じっと覗き込む。

「……ずいぶんじゃないかね? どれだけ探したと思ってるんだい」

「……悪かったな。非常事態で、説明する暇もなかった」

 流石の幻海が、この時ばかりはしおらしい。
 戸愚呂弟はそのまま手を滑らせ彼女の髪に指をもぐらせる。

「朝起きた時に女に逃げられていた男の情けなさをわかってもらいたいもんだねェ」

「お前から逃げた訳じゃない。すぐ帰るつもりだったんだ」

「本当かい? 意趣返しのつもりなんじゃないのか? 昔、俺がお前の前からいなくなったから、お前も俺を置き去りにしたんじゃないのか?」

「……なんでお前はそうひねくれてるんだ」

 幻海がやんわりと戸愚呂弟の手を外そうとするが、彼は断固として離さない。
 永夜は気配を殺して二人の邪魔をしないようにし、翠羅は背景に徹している。

「約束してくれ。これからは勝手にどこにも行かないと。俺もどこにもいかないよ。というか、行けないようにしたのはお前じゃないかね?」

 俺はお前さんの護法なんだ。
 俺だけどこにも行けないようにしておいて、お前だけ好き勝手にどこかに行くのは……少なくともフェアじゃないんじゃないか?

 戸愚呂弟はじっと幻海師範の眼を覗き込む。
 宝石みたいな瞳。

「悪かったよ。置手紙じゃ足りなかったな」

「ああいう時には俺を叩き起こしていいんじゃないいかね? 俺は寝起きはそんなに悪くない」

「……来てくれるなんて思わなかった。永夜まで使い立てしたのか。今度の場合はちょうどよかったが」

すっと視線を永夜と翠羅に向けそうになる幻海を、戸愚呂弟は手と目で止める。
 急に軽く唇に触れる。

「……まだ約束してもらってないよ。約束しな。割と、俺のアイデンティティの危機だったんだがねェ」

 プライドが干上がりそうだよ。
 責任取ったらどうだい。

 戸愚呂弟は幻海を抱きしめると、かなり濃密なキスをお見舞いする。
 流石にこの場で押し倒す訳にはいかないだろうが、それを疑われるような濃密さだ。

 しばし後。

「……約束はする。いちいちこういう騒ぎを起こしたのでは、流石に問題だからな」

 戸愚呂弟に抱きしめられ、目の周りを上気させながら、幻海がこぼす。
 戸愚呂弟は幻海を腕の中であやすようにしながらニンマリ笑う。

「まあ、今後の話もじっくりしようじゃないか。帰ったらねェ?」

 幻海が、戸愚呂弟の広い背中をまさぐり、抱きしめる。

「おまえ……は、しつこい、から……」

「それが好きなんじゃなかったかねェ?」

 こんな時にどうしよう、と、お互いが思った矢先。

「幻海師範。戸愚呂さん。ご無礼ながら、もっと無礼なのが来たようで」

 永夜の声は緊迫している。
 戸愚呂弟が、そちらをはたと見据える。
 幻海は水を浴びせられたように顔を上げる。

空間を、何色とも表現できない複雑なモワレが覆い尽くしていく。
 緑の大地がうねりに埋め尽くされ、何かと切り離される感覚に、戸愚呂弟と幻海、永夜、翠羅はその周囲を警戒する。

【あれ。こいつ。知ってるの?】

 翠羅が不快そうにうねる。

「はあ。いくら戸愚呂の弟さんの拳であっても、ちょっとばかりあっさりしているような気がしたんですよね。あれは、分身か何かだった訳ですか」

 永夜がゆったり咒を結ぶ準備をした時に、それは現れたのだ。

「いやあ、今日はデート日和でもありますが、世界一つ滅ぼすにも、良い日和じゃありませんか?」

 そこにいたのは、尖った見た目の、爬虫類と人の半ばしたような魔族の男。
 壊婁(かいる)だったのである。
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