天国白書

「ねえ。あんたらさぁ」

 翠羅がくいっと腰を捻りながら、しげしげ戸愚呂弟と永夜を見渡す。

「ぶっちゃけ、『呼ばれざる者』のことは、どう思ってるのさぁ?」

 まだらに陽が落ちる境内で、戸愚呂弟と永夜は、思わず顔を見合わせる。

「翠羅さん。そりゃ、どういうことなんでしょうねェ? まともな神経を持っている者からすれば、あいつらは邪神以外の何だっていうんですかねェ? 諸悪の根源と言っても過言ではない」

 戸愚呂弟はサングラスの下で眉を寄せる。
 突然、この人物は何を言い出すのだろう?
 こんな質問をする意図がわからない。

 永夜も、かすかに眉をひそめる。

「わたくしの長年の宿敵ですよ。あれらは手を変え品を変え、餌食となる者を探しては、自らのいけにえとしてきました。あいつらとの戦いには終わりがない。『呼ばれざる者』自身が神なのですから」

 翠羅はうなずく。

「完全に敵だという認識な訳ね。そうか……なら、信用していいか」

 戸愚呂弟と永夜は、その言い方に違和感を覚える。
 自分たちは疑われていたのか、しかし、何故。

「翠羅様。一体何が」

「いいから、ついてきて」

 永夜が言いかけると、翠羅が言葉を奪い境内の奥へ向け、ついて来るように仕草で促す。

 戸愚呂弟と永夜は、ちらと顔を見合わせると、そのまま彼女についていく。
 本殿を回って、裏手。
 影の一層落ちるその場所に、虹色に輝く間隙が見える。

「こいつは……幻海の寺の敷地にあった門と同じものだねェ」

 戸愚呂がついっとサングラスを持ち上げる。

「ここから、あんたたちの世界に行ける、と」

「そういうこと。じゃ、ついて来てよ。あたしたちの世界、豊穣界に。……ちょっと、覚悟しながらね?」

 翠羅の言葉に怪訝な顔を見せながら、戸愚呂弟と永夜は、その門をくぐる。
 そして。



◆ ◇

「ほォ。ここが、豊穣界ですかねェ」

 戸愚呂弟が、ぐるりと視線を巡らせる。
 そこは、大きくどこまでも広がる天蓋に、緑の生い茂る大地、ところどころに湖のきらめきの見える、美しい土地である。
 濃い緑の香り、風はかぐわしく、あまり地上で見たことのない奇妙な生き物がぴょんと跳ねて姿を見せ、また緑の重なりの中に消えていく。
 人間の顔より大きな、鮮やかで風変わりなオレンジ色の花が咲き乱れる茂み。

「百首龍様はどちらに?」

 永夜は、美しい風景を楽しんでいる風であるが、それでもそう大きな存在がいる訳でもなさそうな周囲の風景に首をかしげる。

「まあ、待って。今、『奴ら』が来る」

 言うなり、翠羅が正体を現す。
 世界魚の正体を現し、きらめく真珠色のヒレで空を覆い、何かを警戒でもするかのように、戸愚呂弟と永夜の頭上をゆったり泳ぐ。
 二人は一瞬身構えるが、翠羅に攻撃の意図はないように思える。
 磨き上げた瑠璃色の天蓋を、雲をひっかけるように悠然と泳ぐ。
 それは美しい光景である。

「……永夜さん。どういうことだと思います?」

 戸愚呂弟が、頭上に目を向けたまま、永夜に問いかける。

「……考えたくないですが。さっきの、かつての戸愚呂さんの取引相手の方。あの方が言っておられましたね」

 永夜がふうと軽く息を吐く。

「『豊穣の使徒には引っ込んでいてもらいたい』。奴らがそう言うからには、引っ込めるべく、何かしてくる……ということで」

【おうい。来たよ】

 翠羅が不思議な声ならぬ声で警告する。
 戸愚呂弟と、永夜は地平線を仰ぎ。
 そして、見たのだ。
 この豊穣の世界に似つかわしくない、異様な悪夢の集合体のような「何か」が、群れを成して、こちらに押し寄せてくるのを。

「あれは……『呼ばれざる者』の手の者かねェ。豊穣界に侵入していたとはねェ」

「もしやと思っておりましたが、最悪のことが現実になっておりましたね!!」

 永夜は戸愚呂の言葉を受け、素早く咒を口にする。

「タリツ・タボリツ・パラボリツ・シャヤンメイ・シャヤンメイ・タララサンタン・ラエンビ・ソワカ!!」

 それは、大元帥明王の真言である。
 本来国家鎮護を担う仏尊であるが、この場合、永夜はこの豊穣界そのものを丸ごと守る咒を込めたのだ。
 そして、その咒を受け取るのは。

「ぬゥん!!」

 戸愚呂弟が、全身の筋肉を漲らせる。
 80%。
 戸愚呂の全身に吸い込まれた、大元帥明王のおどろおどろしいまでの深紅は、戸愚呂が拳を突き上げるに従い、巨大な幻の炎の拳となって、全天に広がる。

 あっという間もない。

 異様な目玉触手や、金属から生えた手などの奇怪な「呼ばれざる者」の手の者は、聖なる禍々しさというべき密教の修法に強化された戸愚呂の一撃によって、あっさり消し飛ぶ。
 いや、戸愚呂の元々持つ時を啜る力が強化され、一瞬で解体され吸収されて戸愚呂の腹に収まったというべきか。

 空を塗りつぶしていた奇々怪々は、すでにない。
 戸愚呂弟が拳をゆっくり引いた時には、すでに淀んだ特徴的な「呼ばれざる者」の気配は消え去り、豊穣界は元の澄んだ大気を取り戻していたのだ。

「永夜さん、今のは?」

「国家鎮護を司る、大元帥明王のお力を、戸愚呂さんにお渡ししました。この世界を守るためには、どうあっても必要かと思いましたので」

 戸愚呂さんが戦えば戦うほど、「呼ばれざる者」はこの世界にいづらくなりますので、思い切ってやっちゃってください。
 永夜がそんな風に投げると、翠羅が頭上でぴちぴち跳ねる。

【あー!! あたし、やることないじゃん!?】

「ま、いいじゃないですか。あなたのお手を煩わせず、俺みたいな下っ端が頑張りますよ」

 相変わらず80%の筋肉操作を維持したまま、戸愚呂弟はにやりと笑う。
 すでにこの世界に招かれた二人は、負ける可能性を排除していたのだった。
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