天国白書

「実を言うとねェ、永夜さん。俺はそろそろ、幻海(あいつ)との間に子供でもと思ってたんですよ」

 戸愚呂弟の、白く輝く拳が、突進してきた「豊穣の使徒」、宙を泳ぐ大きな魚のようなそれを打ち砕く。
 巨大魚は筋肉操作した拳の衝撃に粉砕され、直後纏った光に溶けるように消え去る。
 戸愚呂弟が、大日如来の咒を纏い強化した拳で、「豊穣の使徒」を打ち砕き、その「時」を啜っているのだ。

「ほう。おめでたいことですが、そのことは幻海師範とはお話合いになられたのですか?」

 永夜が、光の帳で突撃してくる「豊穣の使徒」を退けながら尋ねる。

 周囲は、人家が途切れ、松の林が広がる一角。
 右手には海が望める。
 少し先に、石造りの大きな鳥居が見えている。

 周囲を魚の群れのように、十重二十重に囲む「豊穣の使徒」たち。

「それがねェ」

 戸愚呂弟が、サングラスの下で目を曇らせた気配。

「気持ちは伝えたんですけどねェ。あいつ、色よい返事をしてくれないんですよ。なんとなくその話題は避けられちゃってねェ」

 散々盛り上げたつもりなんですけど。
 やっぱり自分を殺すような男の子供なんて、嫌なんですかねェ。
 どうしたら、気持ちを変えてくれますかねェ?

 戸愚呂弟にやるせない様子で振り返られて、永夜は首をかしげる。

「幻海師範のことですから……戸愚呂さんがあの方を手にかけた云々というより、何かの拍子でフラッと自分とお子さんの前から消えるのを案じておられるんではないですかねえ。一人になったなら仕方ないとお思いかも知れませんが、お子さんがいらしたら、可哀想でしょう」

 戸愚呂弟は目の前の昆虫型の「豊穣の使徒」を打ち砕くと同時に、ああっと声を上げる。

「あああ……そういうことですかね、なるほど。俺としたことがそこまで考えていなかった。前みたいに、急に考えを変えて自分の前から姿を消したら……か。ああ……もっと、ずっとそばにいるつもりだと伝えないといけなかったのか」

 俺はあいつの護法になったんだし、絶対にあいつからは離れられないんだけどねェ。
 あいつ、俺に去られたのがそんなに心の傷になってたのかな。
 そこまでは読めなかった。

 永夜は光の帳を周囲に拡大させることで、「豊穣の使徒」を追いやる。
 巻き込まれた者は消滅、逃げ去った者は手傷を追っている。

「その時にたまたま盛り上が多ったからそういうことを口走ったとかそういうことではない、ちゃんと考えた上での決心だということを、きちんとお伝えしてみてはいかがでしょう? わかってくださると思いますよ」

 幻海師範も身体的に若返られた訳ですし、そういうことでお体をお使いになるのは、そういやがっておられる訳ではないのではないでしょうか?
 どのみち、お二人の話し合いですよ。

 永夜の言葉に、戸愚呂弟はうなずく。

「ああ、あいつに早く会いたくなってきましたよ。なんでこういう時に、俺じゃなくて百首龍さんだかそんな人と膝を突き合わせているんですかねェ、あいつは。面白くないねェ!!」

 戸愚呂は、更に筋肉を肥大させて80%ほどにも。
 頭上や周囲で渦を巻く「豊穣の使徒」に向け、太陽のような光輝を宿す拳を打ち下ろす。
 まるで巨大な重力波にさらわれたかのように、「豊穣の使徒」たちの全身がひきずられ、衝撃で粉々に砕ける。
 一瞬。
 鉄砲水でも通り過ぎたかのように、そこにはすでに「何もない」。
 光の粒に粉砕された「豊穣の使徒」の残骸が、戸愚呂弟の全身に吸い込まれていく。

「お見事です、戸愚呂の弟さん」

 永夜が言えば、

「なに。ちょっと八つ当たりをねェ」

 しれっと応じる戸愚呂弟である。

 二人は、そのまま松の林を抜けて、海に向いたその神社の境内に入る。
 松の他にも、広葉樹の巨木が鎮守の森として取り囲んでおり、境内にはまだらの影が落ちている。
 海からの風に、重なり合った葉がざわざわ揺れる。

 その社は古びた木造の、どこかわびしい色を帯びた造りである。
 創建は結構古いはずだと、永夜の知識が教える。
 かつて大暴れして海から上がって来た百首龍の伝説が、社の由緒書きに記されているが、それはさておき。

「やっほー。お久しぶりってほど、久々でもないかあ。また会ったねー」

 機嫌良さそうに、戸愚呂弟と永夜の前に進み出たのは、あの尖った格好の女。
 翠羅である。

「どうも。翠羅さん、でいらしたかな。うちの兄が、あなたによろしくと言っておりましたよ」

 戸愚呂弟がそんなことを口にすると、翠羅はくいと首をかしげる。

「アンタの兄さん? ああ、あのちっこいけど強い人? 武器になる人だよね? へえ、そんなこと言ってたんだ。今回は、一緒じゃないの?」

 翠羅は、特に緊張しているでもなく、そんな風に尋ねてくる。

「ええ。幻海があの寺にあった門から戻って来るかも知れないというのでねえ。幻海にわかる信号を発信するために残ったんですよ。こうしてあなたにお会いできるというのなら、あの人も来たがったでしょうなァ」

 へえ、と、翠羅は目をきらめかせる。
 こほんと咳払い。

「ま、面白い話だけどさ、今回アタシが来たのは、幻海ちゃんのことで、なんだ」

 戸愚呂弟は、永夜と素早く目を見かわす。

「ほォ。幻海がどうかしたのですかねェ? 百首龍様のところにおいでなのでは?」

「そうなんだよね。その百首龍様からさ、あんたらを連れてきていいってさ。ということで、来てくれる?」

 戸愚呂弟は、急展開に頭を巡らす。
 ちらりと見た永夜が、肯定の意を返しているのを確認すると、やはりここは肚を括らねばと、決意したのであった。
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