天国白書

「これは……」

 戸愚呂弟が呻く。
 急いで戸愚呂兄、幽助、永夜ともども、街中に出て来るなり見えた光景がそれだ。

 見たことのない生き物。
 魔族に似ているが、明らかに魔族ではない。

 そんな生き物が人間の街を蹂躙している。

 蔵馬と桑原、そしてどういう訳か居合わせていたらしい飛影の作戦のお陰で、周囲の人間は逃げ去っているが、その怪物どもはまだその場にとどまっているのだ。
 小さいのを含めると数体いるが、中でも大きなのが二体。

「何だこりゃ……なんつーか、キレイっちゃキレイな感じだな。『呼ばれざる者』の手先と違うんじゃねーか、もしかして?」

 幽助が、商業ビルの壁面に輝く姿を映すその敵たちを眺めながら、そんな感想を漏らす。
 それは、確かに異形ではあるが、美しいといえる存在である。
 そのうち大きな二体が、ひときわ目を引く。

 一体は、狼を逞しくしたような、巨躯の怪物である。
 優雅に燃え盛るような毛皮は厚く、本物の炎のように艶やかだ。
 道路いっぱいに広がる巨大な胴体、剣のような爪の生え揃う長い四肢。
 首は、狼というよりも龍だ。
 それも二本ある。
 それぞれがゆらゆらと交互に動きながら、敵となる戸愚呂たちを広い視界に留めている。
 鋭い吼え声を浴びせられ、戸愚呂弟は恐怖ではなく怪訝さに囚われる。
 気配からして魔族ではない、では何だ。

「来てくれて安心しましたよ。さて、あいつらが何かということですが」

 蔵馬が、飛んできた蛇の頭のようなものを、薔薇棘鞭刃で弾いて逸らせる。
 戸愚呂弟は、肩の上の兄と共に、上空を見上げる。

「なんだありゃあ……鳥……の化け物なんだろうが、あいつらの仲間とは違うな……」

 戸愚呂兄も思わずといった声をこぼす。
 ガラスが割れた商業ビルの上に浮かんでいるのは、確かに巨大な鳥に見える。
 だが、ビルそのものを覆いそうな翼長ばかりか、その輝く姿も並みの鳥ではない。

「それ」は、孔雀のような碧と紫と緑に輝く華麗な羽毛に覆われている。
 鳳凰じみたフォルムは華麗であるが、輝く尾羽に当たる部分は、羽毛ではなく、十数匹の恐ろしく長く、虹色に輝く蛇で構成されている。
 その蛇の頭が、牙を剥き出して地上を襲っているのだ。
 鳳凰の頭に当たる部分には、繊細な骨でできた装飾品のような突起があり、その下に碧基調の虹色に輝く羽冠が垂れている。
 天の使いかと思わせるような美しさだ。
 いや、本当にそうなのか。

「端的に教えて欲しいんだがねェ」

 戸愚呂弟は、誰にともなく疑問を投げる。

「こいつらは何なんだい? 『呼ばれざる者』の手の者とは気配が違うねェ」

「知らん。だが手強いぞ。『呼ばれざる者』の手の者より手強いのは確かだ」

 飛影が無造作に返す。

「次元刀で斬っても再生しちまう。何なんだよコイツらはよ!! 正体なんざ、俺が知りてえぜ!!」

 桑原が、次元刀を二刀流で構えたまま、荒い息を吐く。
 ふむ、と戸愚呂弟は、もの問いたげに永夜にサングラス越しの目を向ける。

「……こちらの方々は、天界の関係者の間では『豊穣の使徒』と呼ばれております」

 永夜は意を決した口調で。

「この方々も、神の使い、天国に属する方々。ただし、その天国は人間のための天国ではないのです。地球上で自然に帰属する生き物たちのための天国。人間以外の生き物のための天国であり、その秩序を守るための存在が、この方々『豊穣の使徒』です」

 幽助が思わず目を剥く。

「人間以外の生き物を守ってるってことか……?」

 永夜はうなずく。

「そうだ。人間や魔族や霊界人、大まかに『人類』は、自然から生まれながらも自然環境を脅かしているからね。確かに特殊な生き物ではあるんだが、この方々の考えは違う。人類も数いる生き物の一種以上のものではなく、自然の下に置かれるべしと」

 うへぇ、と幽助がげんなり顔だ。

「仙水が生きてやがったら喜んだだろうな」

 蔵馬がふう、と重い息を吐く。

「彼らは人間が増えすぎて、他の生き物を圧迫していると考えているようだ。『豊穣の使徒』の名のもとに、人類には自然に還ってもらう、と言っていたな」

 ふと、狼型の使徒が大きく炎の混じる息を吐く。

『豊穣の主、百首龍(ひゃくしゅりゅう)様の名のもとに。なりを潜めよ、人類よ。主は静寂をお望みである』

 狼の二つの首が、一斉に白銀に輝く炎を吐き出す。
 ホワイトアウトしたように視界が塗り潰され、全員が炎の濁流に飲み込まれ……

 と。
 漆黒が白を飲み込む。

 永夜の使う暗黒が、白の神火を飲み込んで消滅させる。
 濃密な暗黒は、朝方の澄んだ光ごと純白を飲み込み、一瞬周囲を夜に戻したように見せる。

 純白も漆黒も消えた頃には、破壊の後がある街並みが静かに広がるばかり。

『裁きの時。我らは待った。これ以上は待たぬと、主の仰せだ』

 不可思議な響きの声と共に、頭上から滝のような七色が降りしきる。
 頭上を覆う影、鳥の形の豊穣の使徒の尾、十数の大蛇が、彼らを止めるべく集った面々に襲い掛かる。
 蛇というより巨大なサメのような牙を剥いた蛇頭が、空間を歪ませるような異様な力と共になだれ落ちる。

 凄まじい大音声。

 いつの間にか籠手となった戸愚呂兄をまとった戸愚呂弟が、拳を振り抜いている。
 筋肉操作は30%といったところか。
 黒々と暗黒の星の如き輝きを宿した「蝕」の力が、大蛇たちを吹き飛ばしている。
 鳳凰型の「豊穣の使徒」が悲鳴を上げる。
 尾の蛇は粉砕されちぎれ飛んでいたのだ。

「ふん。こんなもんかね。さて」

 戸愚呂弟が、兄の籠手を装備したまま、にやりと唇を歪める。

「あんたらに訊きたいことがある。幻海をどこに連れて行ったんだね。知っているはずだ、主さんとやらと話ができるんだろう?」

 狼型と鳳凰型の「豊穣の使徒」は、荒い息を吐き吼え猛る。
 まだこれでも足りないかと、戸愚呂弟も彼以外の面子も身構えた時。

『狼蓮(ろうれん)。羽全(うぜん)。アタシが代わりに話すからさあ、ちょっと休んでな?』

 不意に、妙に蓮っ葉な感じの女の声が降る。
 全員がそちらを見る。

 いつの間に。

 そのビルの屋上に、手すりに乗って、女の影があったのだ。

 人間に見えるが、この状況では人間ではあるまい。
 まるでパリコレから抜け出してきたような、モードな衣装を着て足を露出し、ヒールで金属の手すりをこんこん蹴る。
 アシンメトリなボブカットの下、蛇の鱗みたいなきらめくアイシャドーで彩られた目が、面白そうに戸愚呂たちを睥睨している。

「どうもどうも。アタシは翠羅(すいら)。ちょっとアンタらと話がしたくてさあ。あの幻海っていうカワイイ子のこととか?」

 その言葉に、サングラスの下の戸愚呂の目が底光りしたのだった。
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