翡翠さん誕生日プレゼント 護法雷禅
俺は、眠るアイツの顔と、その隣でしがみついている幼子の顔を眺めている。
外はすっかり白んで、小鳥の声がこの家の外を囲む林から聞こえてくる。
そろそろ起こさなくてはならないとわかっているが、俺はこの安らぎの時間をもう少し長引かせたい。
俺が何のかんので、この食脱医師の家に転がり込んでから数年経つ。
出会ったその晩に作った息子も、もうちゃんと言葉も話せば自分で駆け回ることもできるようになっている。
魔族の血が表に出ないようにしているように作った息子だが、それでも闘神の血は強過ぎるのか、生まれた直後は、全身に闘神のあの紋様が浮き出ていて、俺は肝を冷やしたものだ。
子供が殺される、と。
しかし、それは杞憂で、生まれてから一刻もしないうちに紋様は自然に消えて行って、霊気に混じっていた僅かな妖気も失せ、それ以降息子は普通の人間の子供として成長している。
こんな日が、いつまで続くだろうなあ。
俺は、手指を伸ばして、眠る食脱医師の頬に触れる。
暖かい。
転がり込んだ俺を「護法の一柱」として受け入れてくれ、ここに住まわせてくれている女。
なんでそれを許してくれたのか、俺は正直よくわからない。
だが、こうして夫婦同然に暮らしている日々に、文句などありようがない。
ずっとこのままでいたい。
ふと、この閨(ねや)に続く戸がかたりと鳴る。
かすかな音と共に板戸が引き開けられる。
顔を出したのは、上背が俺と同じくらいもある、瑠璃色の髪で色白の美形の男だ。
閨に突き込まれている右側の腕を見ると――三本ある。
この男は、食脱医師の元からいた「護法童子」の一柱。
阿修羅族の男だ。
何でも、元は神仏の住まう天界に生きる半神種族だという。
食脱医師みたいに修行の進んだ術師となると、そうした「護法」を何柱か抱えて、身辺警護や仕事の補助や身の回りの世話なんかをさせているのだ。
俺が食脱医師と暮らしていても周囲に不審がられないのは、俺が阿修羅たちと同様の「比丘や比丘尼を警護する役割の護法」と勘違いされているからである。
俺の元からの性質を考えるに、いくら何でもヤバ過ぎる勘違いだと思うのだが、食脱医師は「気にせずとも良い」と言うので、まあ、そのままにしている。
「雷禅。お館様と若様を起してくれ。朝餉ができている」
阿修羅が静かな声で促す。
食脱医師の元からいた護法は、こいつを含めて八柱。
「八部衆」と称するらしい。
こいつらは俺と違い、普段は天界にいて必要な時に呼び出されているのだが、気配からして今いるのはこいつを含めて三柱ほど。
「おう」
俺は体を起こし、手を伸ばして、食脱医師の肩に触れてそっと揺する。
「おい。朝だぞ。メシだぞ。起きろ」
食脱医師がかすかな声と共に身じろぎする。
俺は、その隣の息子の腹もぽんぽんと軽く叩いて起こす。
「そら、朝だぞー、メシだぞー」
「とう、たま?」
息子が俺の腕にしがみついて何やらむにゃむにゃ言っている。
可愛い。
「ああ……もうそんな時間か」
食脱医師が身を起こすと、俺は寝ぼけ眼のそいつに軽く口づけする。
「おはよう」
「……また、いつぞやのように朝から盛るでないぞ?」
「俺だって少しは落ち着いたんだぜ?」
朝の支度、そして朝餉だが、俺は当たり前のように食わない。
息子はいつも不思議そうな顔をするので、俺は「修行だから」と言い訳している。
俺は絶食したこの状態でどのくらい生きられるのだろう?
息子が一人前になる時期までは生きていたいものだが。
今日は、ちょっとした用事がある。
いや、ちょっとしたどころでねえな。
結構な重大事だ。
要するに、魔族の血を引いて生まれて来た息子の処遇について、「本山」にお伺いを立てに行くのだ。
同時に、魔族でありながら「護法」として使われている俺自身の処遇も裁定されるらしい。
……息子は、今やどう見ても人間にしか見えないはずだ。
霊力ももう既に髙く、坊主どもが排斥する理由はないように思える。
だが、俺だ。
何せ、人間を食う性質の魔族である。
今は絶食しているとはいえ、空腹に耐えかねて人間を襲う可能性があると判断されれば……
「大丈夫じゃ、雷禅」
本山へと向かう道すがら、食脱医師が俺に切り出す。
俺は息子を腕に抱えて、食脱医師の後ろで歩調を合わせて歩く。
こいつを挟んで反対側には、荷物持ちの阿修羅が風呂敷包みを下げて続く。
「そなたには人間を食わぬ術をかけている。我が生きている限り、その術は有効じゃ。説明すれば、問題にはならぬはず」
旅装束の食脱医師は落ち着き払っているように見える。
前に聞いたが、俺みたいに人食いの魔族でも、人を食うことを禁じる術を掛けられた上で、術師に仕えたという事例は存在しているらしい。
「前例がある。今日はそなたと息子の、本山への面通しくらいじゃ。半妖の息子は、霊力が高いでな、このくらいの霊力があれば、あと一年二年で、術師の修行を始めさせられることじゃろう。その前振りじゃな」
そういうもんなのか。
俺はそれでも一抹の不安を拭えなかったが、食脱医師や阿修羅の落ち着き払った様子を見れば、やはりそんなに大変なことでもないのかという気がしてくる。
天気も良く、気候の涼しい午前中から歩き出して、本山とやらに辿り着いたのは日がだいぶ髙くなってから。
結構な人数の僧侶に出迎えられ、連れていかれたのは、食脱医師の数人いる師の一人だという老僧の前。
身に着けている僧衣から判断するに、この「本山」でも屈指の位の高さのはず。
「ふむ、良い子じゃ、母に負けぬ良い術師になろう。医師より、荒事の術師には向いていそうじゃがの」
老僧は息子を見て二三問答し、そう判断したようだ。
そして、俺。
「医師よ」
深い落ちくぼんだ目が俺を見据え、やがて切り出した言葉は俺にではなく食脱医師に向けられた。
「そなたは、この魔族をどのようにしたいのじゃ?」
食脱医師は、ふと顔を上げて微笑みながら、師に応じる。
「この者は、我が夫ですゆえ。夫として遇しているのみです。護法を夫にして、悪いことはございますまい」
――嬉しすぎて。
俺は、その後のことをあんまり覚えていない。
……その晩喜び過ぎて張り切った俺のせいで、その何か月後かに「幽助」と名付けられることになる下の息子が生まれるのは、まだ先の話である。
外はすっかり白んで、小鳥の声がこの家の外を囲む林から聞こえてくる。
そろそろ起こさなくてはならないとわかっているが、俺はこの安らぎの時間をもう少し長引かせたい。
俺が何のかんので、この食脱医師の家に転がり込んでから数年経つ。
出会ったその晩に作った息子も、もうちゃんと言葉も話せば自分で駆け回ることもできるようになっている。
魔族の血が表に出ないようにしているように作った息子だが、それでも闘神の血は強過ぎるのか、生まれた直後は、全身に闘神のあの紋様が浮き出ていて、俺は肝を冷やしたものだ。
子供が殺される、と。
しかし、それは杞憂で、生まれてから一刻もしないうちに紋様は自然に消えて行って、霊気に混じっていた僅かな妖気も失せ、それ以降息子は普通の人間の子供として成長している。
こんな日が、いつまで続くだろうなあ。
俺は、手指を伸ばして、眠る食脱医師の頬に触れる。
暖かい。
転がり込んだ俺を「護法の一柱」として受け入れてくれ、ここに住まわせてくれている女。
なんでそれを許してくれたのか、俺は正直よくわからない。
だが、こうして夫婦同然に暮らしている日々に、文句などありようがない。
ずっとこのままでいたい。
ふと、この閨(ねや)に続く戸がかたりと鳴る。
かすかな音と共に板戸が引き開けられる。
顔を出したのは、上背が俺と同じくらいもある、瑠璃色の髪で色白の美形の男だ。
閨に突き込まれている右側の腕を見ると――三本ある。
この男は、食脱医師の元からいた「護法童子」の一柱。
阿修羅族の男だ。
何でも、元は神仏の住まう天界に生きる半神種族だという。
食脱医師みたいに修行の進んだ術師となると、そうした「護法」を何柱か抱えて、身辺警護や仕事の補助や身の回りの世話なんかをさせているのだ。
俺が食脱医師と暮らしていても周囲に不審がられないのは、俺が阿修羅たちと同様の「比丘や比丘尼を警護する役割の護法」と勘違いされているからである。
俺の元からの性質を考えるに、いくら何でもヤバ過ぎる勘違いだと思うのだが、食脱医師は「気にせずとも良い」と言うので、まあ、そのままにしている。
「雷禅。お館様と若様を起してくれ。朝餉ができている」
阿修羅が静かな声で促す。
食脱医師の元からいた護法は、こいつを含めて八柱。
「八部衆」と称するらしい。
こいつらは俺と違い、普段は天界にいて必要な時に呼び出されているのだが、気配からして今いるのはこいつを含めて三柱ほど。
「おう」
俺は体を起こし、手を伸ばして、食脱医師の肩に触れてそっと揺する。
「おい。朝だぞ。メシだぞ。起きろ」
食脱医師がかすかな声と共に身じろぎする。
俺は、その隣の息子の腹もぽんぽんと軽く叩いて起こす。
「そら、朝だぞー、メシだぞー」
「とう、たま?」
息子が俺の腕にしがみついて何やらむにゃむにゃ言っている。
可愛い。
「ああ……もうそんな時間か」
食脱医師が身を起こすと、俺は寝ぼけ眼のそいつに軽く口づけする。
「おはよう」
「……また、いつぞやのように朝から盛るでないぞ?」
「俺だって少しは落ち着いたんだぜ?」
朝の支度、そして朝餉だが、俺は当たり前のように食わない。
息子はいつも不思議そうな顔をするので、俺は「修行だから」と言い訳している。
俺は絶食したこの状態でどのくらい生きられるのだろう?
息子が一人前になる時期までは生きていたいものだが。
今日は、ちょっとした用事がある。
いや、ちょっとしたどころでねえな。
結構な重大事だ。
要するに、魔族の血を引いて生まれて来た息子の処遇について、「本山」にお伺いを立てに行くのだ。
同時に、魔族でありながら「護法」として使われている俺自身の処遇も裁定されるらしい。
……息子は、今やどう見ても人間にしか見えないはずだ。
霊力ももう既に髙く、坊主どもが排斥する理由はないように思える。
だが、俺だ。
何せ、人間を食う性質の魔族である。
今は絶食しているとはいえ、空腹に耐えかねて人間を襲う可能性があると判断されれば……
「大丈夫じゃ、雷禅」
本山へと向かう道すがら、食脱医師が俺に切り出す。
俺は息子を腕に抱えて、食脱医師の後ろで歩調を合わせて歩く。
こいつを挟んで反対側には、荷物持ちの阿修羅が風呂敷包みを下げて続く。
「そなたには人間を食わぬ術をかけている。我が生きている限り、その術は有効じゃ。説明すれば、問題にはならぬはず」
旅装束の食脱医師は落ち着き払っているように見える。
前に聞いたが、俺みたいに人食いの魔族でも、人を食うことを禁じる術を掛けられた上で、術師に仕えたという事例は存在しているらしい。
「前例がある。今日はそなたと息子の、本山への面通しくらいじゃ。半妖の息子は、霊力が高いでな、このくらいの霊力があれば、あと一年二年で、術師の修行を始めさせられることじゃろう。その前振りじゃな」
そういうもんなのか。
俺はそれでも一抹の不安を拭えなかったが、食脱医師や阿修羅の落ち着き払った様子を見れば、やはりそんなに大変なことでもないのかという気がしてくる。
天気も良く、気候の涼しい午前中から歩き出して、本山とやらに辿り着いたのは日がだいぶ髙くなってから。
結構な人数の僧侶に出迎えられ、連れていかれたのは、食脱医師の数人いる師の一人だという老僧の前。
身に着けている僧衣から判断するに、この「本山」でも屈指の位の高さのはず。
「ふむ、良い子じゃ、母に負けぬ良い術師になろう。医師より、荒事の術師には向いていそうじゃがの」
老僧は息子を見て二三問答し、そう判断したようだ。
そして、俺。
「医師よ」
深い落ちくぼんだ目が俺を見据え、やがて切り出した言葉は俺にではなく食脱医師に向けられた。
「そなたは、この魔族をどのようにしたいのじゃ?」
食脱医師は、ふと顔を上げて微笑みながら、師に応じる。
「この者は、我が夫ですゆえ。夫として遇しているのみです。護法を夫にして、悪いことはございますまい」
――嬉しすぎて。
俺は、その後のことをあんまり覚えていない。
……その晩喜び過ぎて張り切った俺のせいで、その何か月後かに「幽助」と名付けられることになる下の息子が生まれるのは、まだ先の話である。
1/1ページ