妖狐夜話
邪神信仰にはまり込んだ父・須佐盛の手の者によって、深花姫は、生贄の儀式の場と設定された広間に引っ立てられる。
両腕を掴まれて引きずり込まれたその広間は、庭に面して、煌々と満月の光が差し込んでいる。
半ば崩れかけた土塀と、松の大木が、青ざめた夜景を切り取っている。
風に潮の匂いを強く感じるその広間に、深花姫は呆然自失といった体で連れ込まれる。
板の間の床に、何やら彼女には見たこともない奇怪な紋様で彩られた円陣が描かれており、その前には三方に剥き出しの太刀が乗せられていて、月光に白々と輝いているのが目に突き刺さる。
更におぞましいことに、その隣の三方には、およそこの世のものとは思えない奇怪な「もの」が乗っている。
確か、あの白銀の妖狐が「種」があると言っていたような気がするが、もしかしてこれがそうなのだろうか?
全体的に見れば確かに普通の種をでかくしたような紡錘形なのだが、ならば何故、動物の血管みたいなものが絡みつき、その血管が月よりも青白く輝いているのだろう?
網目でできたキノコみたいなものが毒々しく橙色に輝きながら、膨れ上がったり縮んだりしているのはどういう訳だ。
深花は円陣の中心にひざまずかされる。
すぐ目の前には父と……子供の頃から知っているその臣下が数人。
「さて。深花。今宵は、そなたが大いなるお方の元に旅立つ、目出度い晩だ。父は、その旅立ちを見送ることができて、嬉しく思うぞ」
心底そう思っているとしか思えない嬉し気な声。
父はどうしたのだろう。
権勢あらたかな武家として、横柄なところもある人であったが、しかし、ここまで残忍に身内を踏みにじる人だったか。
ああ……そうか。
深花は不意に納得する。
自分の知っている父は、もういないと、あの法師が言っていたではないか。
そのように振舞わなければならない。
この人は、もう父ではない別の「何か」なのだ。
「小袖を剥ぎ取れ」
須佐盛が冷厳に、周囲の部下に命ずる。
左右の臣下が動き、深花の華やかな小袖の胸元に手を……
途端に悲鳴が上がる。
血しぶき。
「ああああああああっ!!!!」
深花の小袖に手をかけた二人が、まるで巨人の手に弾かれたように広間の奥へと吹っ飛んでいく。
「!?」
深花は息を呑む。
ふわりと花の香り。
この香りは、自宅の庭にもある薔薇(そうび)だろうか。
「やめておけ。その女から離れろ。俺が目を付けた女だ」
ひんやりと滑らかで、深い男の声はやけにはっきり響く。
深花は顔を上げる。
いつの間にか。
煌々たる満月の光の満ちる庭に、白い男が立っている。
新雪のような白銀に輝く髪に、同じ色の獣耳、尻尾まで生えている。
人ではなく、あやかしだ。
手に緑色の、何やら本当に薔薇の茎のように鋭い棘の生えそろった、鞭のような武器を持っている。
もしや、さっき臣下たちを吹っ飛ばしたのは、あの鞭の一撃なのか。
「貴様!! 何者だ!! わしが執権の……」
「黙れ」
真っ蒼になった須佐盛が喚くのと同時に、妖狐の右腕がぶれたように見える。
声もなく、須佐盛が胴から真っ二つになって吹っ飛び、深花のすぐそばを滑って部屋の奥に転がっていく。
三方の一つが巻き込まれて、あの「種」も須佐盛の亡骸と一緒に視界から消える。
呆然としていた臣下たちが、手に手に佩いていた太刀を抜く。
流石に鎌倉の武士だけある動きで妖狐に突っ込んでいくが、ほんの瞬き一つの間ももたない。
軽やかに翻る薔薇の鞭に弾かれ、いずれの武士も血しぶきを上げて転がるばかりだ。
死んではいないようだが、血まみれで武器を取り落とし、すでに反撃できるような体勢にはない。
深花は、武家の娘としてはっきり悟る。
この妖怪は、人間に太刀打ちできるような存在ではない。
そうそうお目にかからぬ大妖怪なのではないか。
考えてみれば、こんなあやかしを従えているあの法師の法力も大したものなのだろうが、今はひたすらに、この人ならざる男が頼もしい。
妖狐が一足飛びで、庭から広間に駆け上がる。
誰も彼を止められない。
深花を除き、誰もが傷つき呻いて、動ける状態ではない。
「さて、人間の姫君? 俺と来てもらおう。そうすればこれ以上手荒なことはしない」
妖狐が深花の目の前まで来て目配せする。
本当はどういう意味かは深花には明白にわかるが、今はともかく従順に見せかけてこくりとうなずく。
妖狐が、深花の彼に比べれば小柄な体を、ひょいと担ぎ上げ……
と。
異様な、うめき声が広間に轟く。
蔵馬も、深花もはっとする。
部屋の奥の暗がりから、何かが立ち上がる。
あれは、千切れて吹っ飛んでいった須佐盛ではないのか。
いつの間にか体が一そろい……なように見える。
だが、うっすら浮かび上がるその姿は異様である。
どうも、触手というより木の根じみた何かが、人間に纏いついているように見える。
木の根と違うのは蠢いているということ。
狂人の書き付けのように出鱈目にからみついたそれが、青く炎も上げず燃えているように輝き始める。
須佐盛の、本来なら烏帽子の乗った頭頂部あたりに、赤く白く浮かび上がり明滅し膨張収縮を繰り返すきのこ状の何か。
「しまった!! あの種は、人間の血に反応するのか!! 寄生されている!!」
蔵馬が舌打ちしたのと、肩の上の深花が悲鳴を上げたのとは同時。
爆発するように、須佐盛だったものの全身が膨張する。
咄嗟に蔵馬は深花を抱えたまま庭に飛び退く。
古屋敷の屋根を砕いて、巨大化した化け物が庭に飛び出てくる。
動物の血管のような輝く管を十重二十重に纏う、辛うじて木の根に似た無数の触手を持つ、恐らくは何かの生き物であろう。
理屈的に植物であるはずだが、散々魔界の奇態な植物を操って来た蔵馬でも、見たこともない代物だ。
どうやら、無明聖の言っていた「邪神の神界からもたらされた植物」というのは本当のようである。
よく見るとその植物の上部に、須佐盛の顔が枝らしき何かの先端にくっついて、口をぱくぱくさせているのがおぞましい。
「狐さん!!」
いつの間にか蔵馬の背後に来ていた無明聖が声をかける。
「こいつを安全な場所へ運べ」
蔵馬は素早く振り向き、肩の上の深花を無明聖の腕に押し込む。
「安全な場所に隔離したら戻ってこい、流石に一人ではきつい」
「申し訳ない、少しの間、持ちこたえてください!!」
何事か蔵馬に術をかけた後、無明聖は空間を転移して、抱えた深花姫ごと消える。
蔵馬は、奇怪な咆哮を上げる巨大な邪神植物を前に、改めて薔薇棘鞭刃を構えたのだった。
両腕を掴まれて引きずり込まれたその広間は、庭に面して、煌々と満月の光が差し込んでいる。
半ば崩れかけた土塀と、松の大木が、青ざめた夜景を切り取っている。
風に潮の匂いを強く感じるその広間に、深花姫は呆然自失といった体で連れ込まれる。
板の間の床に、何やら彼女には見たこともない奇怪な紋様で彩られた円陣が描かれており、その前には三方に剥き出しの太刀が乗せられていて、月光に白々と輝いているのが目に突き刺さる。
更におぞましいことに、その隣の三方には、およそこの世のものとは思えない奇怪な「もの」が乗っている。
確か、あの白銀の妖狐が「種」があると言っていたような気がするが、もしかしてこれがそうなのだろうか?
全体的に見れば確かに普通の種をでかくしたような紡錘形なのだが、ならば何故、動物の血管みたいなものが絡みつき、その血管が月よりも青白く輝いているのだろう?
網目でできたキノコみたいなものが毒々しく橙色に輝きながら、膨れ上がったり縮んだりしているのはどういう訳だ。
深花は円陣の中心にひざまずかされる。
すぐ目の前には父と……子供の頃から知っているその臣下が数人。
「さて。深花。今宵は、そなたが大いなるお方の元に旅立つ、目出度い晩だ。父は、その旅立ちを見送ることができて、嬉しく思うぞ」
心底そう思っているとしか思えない嬉し気な声。
父はどうしたのだろう。
権勢あらたかな武家として、横柄なところもある人であったが、しかし、ここまで残忍に身内を踏みにじる人だったか。
ああ……そうか。
深花は不意に納得する。
自分の知っている父は、もういないと、あの法師が言っていたではないか。
そのように振舞わなければならない。
この人は、もう父ではない別の「何か」なのだ。
「小袖を剥ぎ取れ」
須佐盛が冷厳に、周囲の部下に命ずる。
左右の臣下が動き、深花の華やかな小袖の胸元に手を……
途端に悲鳴が上がる。
血しぶき。
「ああああああああっ!!!!」
深花の小袖に手をかけた二人が、まるで巨人の手に弾かれたように広間の奥へと吹っ飛んでいく。
「!?」
深花は息を呑む。
ふわりと花の香り。
この香りは、自宅の庭にもある薔薇(そうび)だろうか。
「やめておけ。その女から離れろ。俺が目を付けた女だ」
ひんやりと滑らかで、深い男の声はやけにはっきり響く。
深花は顔を上げる。
いつの間にか。
煌々たる満月の光の満ちる庭に、白い男が立っている。
新雪のような白銀に輝く髪に、同じ色の獣耳、尻尾まで生えている。
人ではなく、あやかしだ。
手に緑色の、何やら本当に薔薇の茎のように鋭い棘の生えそろった、鞭のような武器を持っている。
もしや、さっき臣下たちを吹っ飛ばしたのは、あの鞭の一撃なのか。
「貴様!! 何者だ!! わしが執権の……」
「黙れ」
真っ蒼になった須佐盛が喚くのと同時に、妖狐の右腕がぶれたように見える。
声もなく、須佐盛が胴から真っ二つになって吹っ飛び、深花のすぐそばを滑って部屋の奥に転がっていく。
三方の一つが巻き込まれて、あの「種」も須佐盛の亡骸と一緒に視界から消える。
呆然としていた臣下たちが、手に手に佩いていた太刀を抜く。
流石に鎌倉の武士だけある動きで妖狐に突っ込んでいくが、ほんの瞬き一つの間ももたない。
軽やかに翻る薔薇の鞭に弾かれ、いずれの武士も血しぶきを上げて転がるばかりだ。
死んではいないようだが、血まみれで武器を取り落とし、すでに反撃できるような体勢にはない。
深花は、武家の娘としてはっきり悟る。
この妖怪は、人間に太刀打ちできるような存在ではない。
そうそうお目にかからぬ大妖怪なのではないか。
考えてみれば、こんなあやかしを従えているあの法師の法力も大したものなのだろうが、今はひたすらに、この人ならざる男が頼もしい。
妖狐が一足飛びで、庭から広間に駆け上がる。
誰も彼を止められない。
深花を除き、誰もが傷つき呻いて、動ける状態ではない。
「さて、人間の姫君? 俺と来てもらおう。そうすればこれ以上手荒なことはしない」
妖狐が深花の目の前まで来て目配せする。
本当はどういう意味かは深花には明白にわかるが、今はともかく従順に見せかけてこくりとうなずく。
妖狐が、深花の彼に比べれば小柄な体を、ひょいと担ぎ上げ……
と。
異様な、うめき声が広間に轟く。
蔵馬も、深花もはっとする。
部屋の奥の暗がりから、何かが立ち上がる。
あれは、千切れて吹っ飛んでいった須佐盛ではないのか。
いつの間にか体が一そろい……なように見える。
だが、うっすら浮かび上がるその姿は異様である。
どうも、触手というより木の根じみた何かが、人間に纏いついているように見える。
木の根と違うのは蠢いているということ。
狂人の書き付けのように出鱈目にからみついたそれが、青く炎も上げず燃えているように輝き始める。
須佐盛の、本来なら烏帽子の乗った頭頂部あたりに、赤く白く浮かび上がり明滅し膨張収縮を繰り返すきのこ状の何か。
「しまった!! あの種は、人間の血に反応するのか!! 寄生されている!!」
蔵馬が舌打ちしたのと、肩の上の深花が悲鳴を上げたのとは同時。
爆発するように、須佐盛だったものの全身が膨張する。
咄嗟に蔵馬は深花を抱えたまま庭に飛び退く。
古屋敷の屋根を砕いて、巨大化した化け物が庭に飛び出てくる。
動物の血管のような輝く管を十重二十重に纏う、辛うじて木の根に似た無数の触手を持つ、恐らくは何かの生き物であろう。
理屈的に植物であるはずだが、散々魔界の奇態な植物を操って来た蔵馬でも、見たこともない代物だ。
どうやら、無明聖の言っていた「邪神の神界からもたらされた植物」というのは本当のようである。
よく見るとその植物の上部に、須佐盛の顔が枝らしき何かの先端にくっついて、口をぱくぱくさせているのがおぞましい。
「狐さん!!」
いつの間にか蔵馬の背後に来ていた無明聖が声をかける。
「こいつを安全な場所へ運べ」
蔵馬は素早く振り向き、肩の上の深花を無明聖の腕に押し込む。
「安全な場所に隔離したら戻ってこい、流石に一人ではきつい」
「申し訳ない、少しの間、持ちこたえてください!!」
何事か蔵馬に術をかけた後、無明聖は空間を転移して、抱えた深花姫ごと消える。
蔵馬は、奇怪な咆哮を上げる巨大な邪神植物を前に、改めて薔薇棘鞭刃を構えたのだった。