ちいさな約束

「おねえちゃん、体のこっちがわ、どうしてそんなになってるの?」

 幼い女の子に大きな目で見つめられた軀は。

「そいつは話すと長くなるぞ?」

 と応じたのだった。

 女の子の背後から、影のように飛影が突進して来る。



◆ ◇

 ことの発端は、進軍する百足の偵察部隊から入ったこんな報告。
 ――進路上に、人間の子供。女の子と思われる。
 ――通常の紛れ込んだ人間と違って、意識がはっきりある様子。
 ――黄色のワンピースに、茶色に白の水玉のレギンス。髪を長めにしている。

「……ということだ。どうするつもりだ? 総司令官」

 飛影が、いつものように軀の私室から指令室に「出勤」しようとする。
 軀はいつも使っている玉座から、気だるげに身を起こす。

「ま、いつもと変わらねえだろ? 霊感がよっぽど高いみてえだが、記憶を操作して人間界に戻せばいいさ」

 子供がおかしなものを見たとか何とか言っても、周囲は真に受けないだろうからな。
 そう心配するこたあねえさ。

 軀は平然としている。
 まあ、その通りだと飛影も思う。
 とりあえず、飛影は子供が運ばれてくるであろう処置室に出向いたのだが。

「こっち!! こっちから凄く素敵な感じがする!!」

 下働きのA級妖怪に抱えられて百足の内部に連れて来られた幼子。
 飛影は五歳くらいだろうかと見て取る。
 流石に人間界が長かったせいか、人間のおおよその年齢はわかるようになっている。

「ほう。ずいぶんはっきり意識があるな」

 飛影は抱えられている子供に近づく。
 色白の可愛い子供だ。
 身なりも綺麗なもので、まともなところに生まれ付いた子供だろうと想像できる。
 ついでに、魔界に迷い込んでからそれほど時間が経っていないのであろうことも。

 ふと。
 子供が、身を乗り出して飛影をじっと見る。

「おにいちゃん。なんで目が三つあるの?」

 飛影は固まる。
 邪眼は露出していないのに。

「それと、あのおねえちゃんはだれ? かみさま?」

 飛影が振り向くと。

「なんだ、気になって来てみたが、ずいぶん面白いガキだな」

 軀が悠然とした足取りで近づいて来るところである。
 飛影が気づくと同時に、礼を取った妖怪の手から抜け出した幼子が軀の方に駆けていく。
 そして、

「おねえちゃん、体のこっちがわ、どうしてそんなになってるの?」

 とのたまったのである。



◆ ◇

「オレは軀。むくろ、っていう」

 軀は。
 何故かその子供を、自分の私室に連れてきていたのだ。
 ベッド状の玉座に並んで座り、話し込んでいる。
 魔界の瘴気なんぞ全く気に留めることもなく、恐らく人間界にいた時と同じようにはしゃぎまわる子供が物珍しかったようだ。
 思えば、軀は人間の生きている子供なぞ、ここ数百年も見たことがないはずである。
 いつもの気まぐれか。
 飛影はほっとくことにした。
 ただし、目は離さずに。

「あたしはねえ、みゆ」

 みゆと名乗る少女が自己紹介する。

「むくろちゃんのそっちがわって、けが?」

「ああ。うるせえ奴から逃げる時に、怪我したのさ」

 軀はこともなげに。
 側の長椅子に座っている飛影はちょっと驚く。
 子供相手とはいえ、アレを「うるせえ奴」程度で済ませた。

「ねえ、むくろちゃん。ここってどこなの? むくろちゃんのおうち? こうえんじゃないよね、ふんすいないもん」

 どうやら、この子供は公園で遊んでいる時にいわゆる神隠し、空間の狭間に飲まれたようだ。
 それに対する軀の答えは。

「ここは、魔界の俺の家だ」

「まかい?」

 人間の子供には意味がわかるまい。

「お前たちの住んでいたところから少し遠くだ。妖怪という生き物がいるところだ。そして、強ければなんでもできる自由な世界だ」

 みゆは目をぱちくり。

「つよければなんでもできる? むくろちゃんはつよい?」

「強いぞ。ただ、もっと強い奴がいて、この間そいつに喧嘩で負けちまったけどな」

 けろけろと、軀が笑う。
 飛影はその顔を横目に眺めながら、あの人間の子供が軀の言葉の意味を理解できるようになるのはどのくらいかかるだろうと考える。
 もしかしたら一生理解できない可能性もある。
 この子供が成長するころ、魔界は、そして人間界はどうなっているのだろう。
 さっぱり見当がつかない。

「けんかはいけないよ!!」

 みゆは、ぎゅっと軀の機械の手を掴む。

「りえせんせいが、けんかはいけませんって」

「いや、ルールがある喧嘩なら時々した方がいいぞ。人間界では難しいだろうがな」

 飛影は内心で、その子供のことを想うなら、妙な価値観を教え込まない方がいいぞ、と突っ込む。
 みゆは全く理解できないように首をくりっとかしげる。

「まかいはけんかしていいの?」

「ああ、魔界は喧嘩で勝つのが全てだ。俺は魔界で勝ち抜いて、何番目かに強くなった。みゆも、頑張れば人間界で何番目かに強くなれるかも知れないぞ? それだけ霊力があるんだからな」

 みゆはこれもわかっていないようで、反対側にくりんと首をかしげる。
 飛影は何となくまずいような気がして、軀に声をかける。

「軀、そろそろその子供を人間界に返さないとまずいぞ。親は気づいているだろうし、周囲も騒ぎ始めるだろう。最近そういう話には敏感らしいからな、人間は」

「えー」

 しかし、反応したのはみゆ。

「あたしもっとむくろちゃんとお話してたーい」

「そうだな」

 軀は機械の手で、みゆの頭を撫でる。

「また遊びに来いよ。お前が軀って名前を、また魔界に来られるまで覚えていられたらな」

 みゆは、まじまじと軀を見上げ。
 大きくうなずいたのだ。



◆ ◇

「あの人間のガキをやけに気に入っていたな。部屋に連れて来た時は食っちまうんじゃないかと思ったぜ」

「なに、あのガキ、俺を全然怖がらなかっただろう? それに、俺の勘では、あのガキはかなりの大物になるぜ。成長が楽しみだ。本当に、軀という名前を覚えたまま、また魔界に来るかもな?」



◆ ◇

 若手外交官の都築美結(つづきみゆ)が、人間界は日本から魔界に派遣され、軀と再会したのは、この二十六年後のことである。
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