燃ゆる里に時雨降るらむ
翔馬だった者は、爆風に吹きとばされるより速く、横っ飛びに逃れる。
時雨はその方向に注意を払いながらも、素早く幼い主君の声のした方角へと走る。
「般若丸様!!」
時雨が駆け寄ったのは、城の本丸中庭から続く細い道。
幼いながらも、あちこち潜り抜けて世話係の妖気を探り当てたのであろうという般若丸の全身は、衣がほつれたり細い枝葉が絡みついたりしている。
「時雨!! 時雨ぇぇぇぇぇ!!!!」
恐らくいきなりよく知らない男に浚われて、恐怖を押し殺して来たのだろう。
般若丸は時雨の顔を見ると、火が付いたように泣き出す。
「若様、ご無事で!!」
時雨は左腕で、般若丸を抱え上げる。
しかし、それにしても何故、般若丸の炎の妖気は、あの「呼ばれざる者」の眷属に通じたのか。
目と鼻の先では、まだそやつらの残骸が白々と燃え上がっている。
助かったのは事実であるが、その理由が判然としないと不安要素に過ぎる。
ふと、時雨は般若丸と自分の体の間にある硬いものに気が付く。
……般若丸の母、火波御前が息子に与えて、常に首にかけさせている、魔性石でできた数珠。
そうか、と時雨は得心する。
この魔性石の塊に妖気を通して術を発動させたがために、般若丸の炎は神性を帯び、「呼ばれざる者」の眷属に通じたのだ。
「まさか、これは。そのような子供に」
背後から、翔馬の声がする。
時雨は、般若丸を左腕に抱えたまま、右腕で燐火円礫刀を構える。
「幼いとばかりに、この方を侮ったな、愚か者め。あの火波御前のお子であるぞ。並みの半妖の訳がない」
燃え、朽ちてゆく眷属の火葬の炎を背景に、わずかな生き残りを連れて、翔馬は立ちはだかっている。
手にはいつの間にか抜き放った刀。
「どんな妖怪といえど、それは魔界の中だけの拙い基準だ。我らが神のおわします天界においては、塵芥でしかない。……しかし、その魔性石は厄介だ。どうにかして押さえようとしたものを、邪魔ばかりしおって」
翔馬が呻くのを聞いて、時雨はなるほどと納得する。
この翔馬の皮を被った者が、少なくとも表面上はこの若さで魔財奉行になど取り立てられたのも、実は翔馬自身が何かしら細工したからなのだろう。
魔界でも、この魔性石は妖気を増幅する作用のある便利な素材としか認識されていないが、実際には下界の者が天界の神仏に立ち向かえる武器となり鎧となるべき唯一の素材。
恐らく翔馬の狙いは、そのことを誰にも気付かれぬようにした上で、自分たちの活動範囲内からは魔性石を排除すること。
「……あの襲撃はまずかったという訳だな。思いがけず、お前等のような者に魔性石が特攻だと拙者が気付いてしまった。火波御前及び殿にも報告が上がり、結果、鬼咲国では『呼ばれざる者』に対する備えがなされてしまったのだ」
時雨がそう言葉を投げると、翔馬はふんと鼻を鳴らす。
「鬼咲国な、あのような昔話くらいしか特産品のない小国の中だけなら良かった。お前の魔界の故国も同じようなものだ。だが、効能に気付いた者が増えていくのは避けたかったのだ。だからしばらくの間こそこそしていたというのに、貴様らは警戒を緩める気配もない」
なるほど、あの紫刻谷の襲撃も、最近なりを潜めていたことも、そして魔界人間界双方の忍びの者を使っての諜報活動にも成果がなかった訳が、今ならわかる。
襲撃が上手くいかなかったので、数年沈黙することにしたのだろう。
ほとぼりが冷めるのを待った。
しかし、襲撃を生き残った魔族である時雨も、その警告を受けた、上役である火波御前も、たった数年程度では警戒を解くに至らなかったのだ。
般若丸という弱みができたことも、警戒をむしろ強める結果となったのだ。
「それもこれも、魔界整体師時雨、貴様のような忌々しい男がこの国にやって来たからだ!! あの谷での襲撃が上手く行かなかったことから全ての歯車が狂ったのだ!!」
吠えたてる翔馬に、時雨は不敵な笑みを向ける。
「お前たち『呼ばれざる者』の信徒という連中は、どうも浅はかであるな。思慮が足りぬ」
「なに……」
翔馬がぎろりと睨みつける。
「本物のもののふたる者、何か一つ上手くいかなかったからといって、全てが倒れるような浅い策など弄ばぬものだ。そなたは、生贄さえ放り込めば宝を吐き出してくれる邪神という名の細工物に夢中になり過ぎたのであろうな」
安易なものには安易な結果。
時雨は翔馬を哀れにすら思える。
実際、どのくらい肉体を渡り歩いて生き長らえてきたかは知らないが、思慮という点ではまるで子供である。
「黙れ化け物!!!」
翔馬が、新たな眷属を召喚する。
まるで虚空から湧き出るように、八角形の紅い何かの角から触手の生えたもの、扇状に棘の生えたえりまきと尾びれを持った巨大ミミズなどが殺到し……
「時雨をいじめるな!! 無礼者ーーーーーーー!!!!!」
般若丸が叫ぶと同時に、白炎が炸裂する。
「呼ばれざる者」の眷属が爆散するのと同時に、翔馬が胴体半ばから千切れて、夜空に放り出されるのを、時雨ははっきり見て取る。
月も暗いのに、自分に何が起こったのかわからない顔で吹き飛ばされて行く翔馬の表情まではっきり見えてしまう。
「若様。このまま国に帰りますぞ」
あれでは助かるまい。
まあ、また別の肉体に乗り移って活動を開始するのかも知れないが、実際に何かできるようになるまでには最低でも十数年はかかるはず。
時雨は、ここは一旦解決したと判断し、般若丸を抱えたまま、引き返そうと石垣を駆け登ろうとする。
と。
「おや、どこへ行こうというので?」
石垣の上に、どざりと降って来た影。
大きい。
今まで出くわした「呼ばれざる者」の眷属をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたかのような姿。
特大畳針状のものの脇から煙を纏う触手が無数に生え、半ばから肉塊のような赤黒い何かが伸びて、その頂点には妙に腕の長い人の上半身のようなものがある。
腕は、恐ろしく長い鎌に似る。
そして、その顔は、確かに翔馬のもの。
――眷属の体を寄せ集めて甦って来たのだ。
時雨は慄然とすると同時に決断する。
「若様!! 若様の炎を、時雨の刀にお貸しください!!」
万が一の時に備えて、般若丸を訓練していたのだ。
彼は覚えているだろうか!?
「時雨!!」
幼い声が上がると同時に、時雨の燐火円礫刀が般若丸の白い炎に包まれる。
妖気でも霊気でもない不思議な力で燃え上がる円礫刀が、時雨の駆け上がる勢いに任せてそのまま目の前の翔馬だったものの肉体を両断する。
肉塊と人の上半身辺りから両断されると同時に、翔馬だったものは再び燃え上がる炎に包まれる。
奇怪な、人の口から洩れると思えぬ悲鳴が上がる。
炎に包まれながらも、翔馬の肉体はまだ上半身の状態で夜空へと上昇しどこかへ逃れようと……
石垣に駆け上がった時雨が振り返れば、まるで主の帰還を待ち構えるように、久矛城のあちこちから「呼ばれざる者」の眷属がぞろぞろと鎌首を伸ばして……
「ハァッ!!!」
裂帛の気合と共に、時雨は炎に包まれた燐火円礫刀を翔馬の上半身に向け投げつける。
瞬時に縦真っ二つ、更に戻って来た炎輪によって四つ、八つ。
円礫刀は翔馬が完全に燃え尽きるのを待たず、久矛城に突進する。
首を伸ばした邪神の眷属たちを次々となで斬りにし、同時に城に炎を放つ。
豪壮な城は、一瞬にして、巨大な松明と化す。
山肌に退避した時雨と般若丸は、しばしその光景を呆然と眺めているばかり。
いつの間にか出て来た雲が、細い雨を、そっと二人に投げかけ始める。
時雨はその方向に注意を払いながらも、素早く幼い主君の声のした方角へと走る。
「般若丸様!!」
時雨が駆け寄ったのは、城の本丸中庭から続く細い道。
幼いながらも、あちこち潜り抜けて世話係の妖気を探り当てたのであろうという般若丸の全身は、衣がほつれたり細い枝葉が絡みついたりしている。
「時雨!! 時雨ぇぇぇぇぇ!!!!」
恐らくいきなりよく知らない男に浚われて、恐怖を押し殺して来たのだろう。
般若丸は時雨の顔を見ると、火が付いたように泣き出す。
「若様、ご無事で!!」
時雨は左腕で、般若丸を抱え上げる。
しかし、それにしても何故、般若丸の炎の妖気は、あの「呼ばれざる者」の眷属に通じたのか。
目と鼻の先では、まだそやつらの残骸が白々と燃え上がっている。
助かったのは事実であるが、その理由が判然としないと不安要素に過ぎる。
ふと、時雨は般若丸と自分の体の間にある硬いものに気が付く。
……般若丸の母、火波御前が息子に与えて、常に首にかけさせている、魔性石でできた数珠。
そうか、と時雨は得心する。
この魔性石の塊に妖気を通して術を発動させたがために、般若丸の炎は神性を帯び、「呼ばれざる者」の眷属に通じたのだ。
「まさか、これは。そのような子供に」
背後から、翔馬の声がする。
時雨は、般若丸を左腕に抱えたまま、右腕で燐火円礫刀を構える。
「幼いとばかりに、この方を侮ったな、愚か者め。あの火波御前のお子であるぞ。並みの半妖の訳がない」
燃え、朽ちてゆく眷属の火葬の炎を背景に、わずかな生き残りを連れて、翔馬は立ちはだかっている。
手にはいつの間にか抜き放った刀。
「どんな妖怪といえど、それは魔界の中だけの拙い基準だ。我らが神のおわします天界においては、塵芥でしかない。……しかし、その魔性石は厄介だ。どうにかして押さえようとしたものを、邪魔ばかりしおって」
翔馬が呻くのを聞いて、時雨はなるほどと納得する。
この翔馬の皮を被った者が、少なくとも表面上はこの若さで魔財奉行になど取り立てられたのも、実は翔馬自身が何かしら細工したからなのだろう。
魔界でも、この魔性石は妖気を増幅する作用のある便利な素材としか認識されていないが、実際には下界の者が天界の神仏に立ち向かえる武器となり鎧となるべき唯一の素材。
恐らく翔馬の狙いは、そのことを誰にも気付かれぬようにした上で、自分たちの活動範囲内からは魔性石を排除すること。
「……あの襲撃はまずかったという訳だな。思いがけず、お前等のような者に魔性石が特攻だと拙者が気付いてしまった。火波御前及び殿にも報告が上がり、結果、鬼咲国では『呼ばれざる者』に対する備えがなされてしまったのだ」
時雨がそう言葉を投げると、翔馬はふんと鼻を鳴らす。
「鬼咲国な、あのような昔話くらいしか特産品のない小国の中だけなら良かった。お前の魔界の故国も同じようなものだ。だが、効能に気付いた者が増えていくのは避けたかったのだ。だからしばらくの間こそこそしていたというのに、貴様らは警戒を緩める気配もない」
なるほど、あの紫刻谷の襲撃も、最近なりを潜めていたことも、そして魔界人間界双方の忍びの者を使っての諜報活動にも成果がなかった訳が、今ならわかる。
襲撃が上手くいかなかったので、数年沈黙することにしたのだろう。
ほとぼりが冷めるのを待った。
しかし、襲撃を生き残った魔族である時雨も、その警告を受けた、上役である火波御前も、たった数年程度では警戒を解くに至らなかったのだ。
般若丸という弱みができたことも、警戒をむしろ強める結果となったのだ。
「それもこれも、魔界整体師時雨、貴様のような忌々しい男がこの国にやって来たからだ!! あの谷での襲撃が上手く行かなかったことから全ての歯車が狂ったのだ!!」
吠えたてる翔馬に、時雨は不敵な笑みを向ける。
「お前たち『呼ばれざる者』の信徒という連中は、どうも浅はかであるな。思慮が足りぬ」
「なに……」
翔馬がぎろりと睨みつける。
「本物のもののふたる者、何か一つ上手くいかなかったからといって、全てが倒れるような浅い策など弄ばぬものだ。そなたは、生贄さえ放り込めば宝を吐き出してくれる邪神という名の細工物に夢中になり過ぎたのであろうな」
安易なものには安易な結果。
時雨は翔馬を哀れにすら思える。
実際、どのくらい肉体を渡り歩いて生き長らえてきたかは知らないが、思慮という点ではまるで子供である。
「黙れ化け物!!!」
翔馬が、新たな眷属を召喚する。
まるで虚空から湧き出るように、八角形の紅い何かの角から触手の生えたもの、扇状に棘の生えたえりまきと尾びれを持った巨大ミミズなどが殺到し……
「時雨をいじめるな!! 無礼者ーーーーーーー!!!!!」
般若丸が叫ぶと同時に、白炎が炸裂する。
「呼ばれざる者」の眷属が爆散するのと同時に、翔馬が胴体半ばから千切れて、夜空に放り出されるのを、時雨ははっきり見て取る。
月も暗いのに、自分に何が起こったのかわからない顔で吹き飛ばされて行く翔馬の表情まではっきり見えてしまう。
「若様。このまま国に帰りますぞ」
あれでは助かるまい。
まあ、また別の肉体に乗り移って活動を開始するのかも知れないが、実際に何かできるようになるまでには最低でも十数年はかかるはず。
時雨は、ここは一旦解決したと判断し、般若丸を抱えたまま、引き返そうと石垣を駆け登ろうとする。
と。
「おや、どこへ行こうというので?」
石垣の上に、どざりと降って来た影。
大きい。
今まで出くわした「呼ばれざる者」の眷属をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたかのような姿。
特大畳針状のものの脇から煙を纏う触手が無数に生え、半ばから肉塊のような赤黒い何かが伸びて、その頂点には妙に腕の長い人の上半身のようなものがある。
腕は、恐ろしく長い鎌に似る。
そして、その顔は、確かに翔馬のもの。
――眷属の体を寄せ集めて甦って来たのだ。
時雨は慄然とすると同時に決断する。
「若様!! 若様の炎を、時雨の刀にお貸しください!!」
万が一の時に備えて、般若丸を訓練していたのだ。
彼は覚えているだろうか!?
「時雨!!」
幼い声が上がると同時に、時雨の燐火円礫刀が般若丸の白い炎に包まれる。
妖気でも霊気でもない不思議な力で燃え上がる円礫刀が、時雨の駆け上がる勢いに任せてそのまま目の前の翔馬だったものの肉体を両断する。
肉塊と人の上半身辺りから両断されると同時に、翔馬だったものは再び燃え上がる炎に包まれる。
奇怪な、人の口から洩れると思えぬ悲鳴が上がる。
炎に包まれながらも、翔馬の肉体はまだ上半身の状態で夜空へと上昇しどこかへ逃れようと……
石垣に駆け上がった時雨が振り返れば、まるで主の帰還を待ち構えるように、久矛城のあちこちから「呼ばれざる者」の眷属がぞろぞろと鎌首を伸ばして……
「ハァッ!!!」
裂帛の気合と共に、時雨は炎に包まれた燐火円礫刀を翔馬の上半身に向け投げつける。
瞬時に縦真っ二つ、更に戻って来た炎輪によって四つ、八つ。
円礫刀は翔馬が完全に燃え尽きるのを待たず、久矛城に突進する。
首を伸ばした邪神の眷属たちを次々となで斬りにし、同時に城に炎を放つ。
豪壮な城は、一瞬にして、巨大な松明と化す。
山肌に退避した時雨と般若丸は、しばしその光景を呆然と眺めているばかり。
いつの間にか出て来た雲が、細い雨を、そっと二人に投げかけ始める。